靖国神社四方山話⑤…国家神道なるものの成立の経緯

靖国神社四方山話⑤ 

…国家神道なるものの成立の経緯

…明治新政府の神道政策



明治維新の王政復古は、水戸学、国学に基づく天皇崇拝の尊王思想や復古神道
の神国思想を中核的なイデオロギーに据えて、断行されたクーデターであったと言える。
ごく少数で政権奪取に成功し、その成立基盤の惰弱な新政府の指導者たちには、
自分たちの立場の正当性の根拠として、万世一系の天皇の神聖性と国体の権威
を強調することが必要であった。

慶応4年(1868年)、新政府は先ず、古代の律令体制下で、朝廷の祭祀を司り、
太政官と並ぶ中央最高官庁であった、神祇官を約1000年振りに復活させた。
明治3年(1870年)には、復古神道を奉じる平田派国学者に依る祭政一致論に
基づく、「大教宣布の詔」が発布され、天皇を神格とし、神道を国教として、
祭政一致の国家建設の方針が示された。


明治天皇 東京行幸
明治天皇の東京行幸


明治4年(1871年)、官職のトップである神祇官が廃止され、神祇省と改称の上、
太政官所管に格下げされた。
同年、「神社ノ儀ハ、国家ノ宗祀ニテ、一人一家ノ私有ニスヘキニ非サルハ
勿論ノ事ニ候処…」との太政官布告(第234号)で、神社を「国家の宗祀」と
位置付け、神社の神職の世襲制度が廃止された。
明治政府は、「神道は宗教ではなく、治教である」「神社神道は宗教ではなく、
国家祭祀である」として、神道から祭祀のみを分離し、神社信仰という宗教性
を神社神道から完全に切り離したのである。
明治政府に依って創作された、この「非宗教の神社神道」が後に「国家神道」
と呼ばれることになる。

明治5年(1872年)、神祇省を改組し、民部省社寺掛を併合の上、新たに
教部省が設置され、神祇行政が移管された。
同年、尊皇愛国思想の教化運動(大教宣布)を展開する為の機関である大教院
が設置され、「三条の教憲」が制定された。

「三条の教憲」
①敬神愛国の旨を体すべき事。
②天理人道を明らかにすべき事。
③皇上を奉戴し、朝旨を遵守せしむべき事。(文責在詠山史純)

「神を敬い、国を愛し、天理人道を明らかにし、天皇を謹んで戴き奉り、
天皇のご意向を遵守すること(文責在詠山史純)」と国民は教導された。

神道政策に於ける朝令暮改の経緯からして、新政府は明治初年の段階で、
ロシア帝国に於ける皇帝がそうであったように、天皇を宗教的最高権威とする
祭政一致の神政国家体制を志向していたと思われるが、神道から祭祀のみを
分離し、神社信仰という宗教性を神社神道から完全に切り離すことで、
非宗教の祭政一致で、政教分離を実現する方向へと大転換したと推察される。




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