靖国神社四方山話⑦…皇祖皇宗の大御心(おおみごころ)を奉戴する天皇

 2014-01-05
靖国神社四方山話⑦

…皇祖皇宗の大御心(おおみごころ)を奉戴する天皇



政府首脳の靖国神社参拝を非難する論者には、「昭和天皇はA級戦犯合祀に
不快感を抱かれ、それ以降、靖国神社参拝を止められた」ことを取り上げ、
A級戦犯が合祀された靖国神社参拝を拒否為さる、昭和天皇と今上天皇の
「お心」に背いてまで、参拝するのは間違っていると論難する者が多い。

先帝陛下が靖国神社のいわゆる「A級戦争犯罪人」14人の合祀に不快感を
示されたとの根拠として、元宮内庁長官富田朝彦氏の「富田メモ」や、
元侍従卜部亮吾氏の「卜部亮吾侍従日記」が挙げられ、俗に「天皇の親拝問題」
と言われている。
この靖国神社の一件で、「親拝」という言葉を用いるのは誤用である。
本来、「御親拝」という語は、天皇が天照大御神をお祀りする伊勢の皇大神宮や
皇祖皇宗をお祀りする御社を礼拝される場合にのみ用いるべきものである。
靖国神社や護国神社の場合、ご祭神は天皇の臣下である臣民であるからして、
「行幸(ぎょうこう)」という語を用いるのが正しい。

それにしても、この「天皇の親拝問題」を取り上げる輩は、それほどまでに、
「天皇のお心」なるものを気遣い、そのお心に沿わんとする忠臣たちなので
あろうかと、皮肉の一つも吐いてみたくなる。
己らの都合の良い時にだけ、尊敬してもいない「先帝陛下と今上陛下のお心」
を騙り、利用するとは、不届き千万な所業である。




昭和天皇の不快感報道


2013年12月27日付、東奥日報のコラム「天地人」で、
先帝陛下が昭和61年(1986年)8月15日に詠まれた御製
「この年の この日にもまた 靖国の みやしろのことに うれひはふかし」を挙げ、
「昭和天皇はかつて終戦の日に合わせてこう詠まれた。靖国神社には1978年、
東京裁判のA級戦犯が合祀された。昭和天皇の憂いが深い理由だ。
合祀以降、昭和天皇も現在の天皇陛下も参拝されていない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『日本のために尊い命を犠牲にした英霊に尊崇の念を表した』
その首相の気持ちに国民も異論はなかろう。
だが、中韓との亀裂を深めるとなれば話は別だ。
そもそも国民の象徴である天皇陛下が参拝できない状況はおかしい。
英霊のためを思うなら、そのことを改善する方が先ではないのか」と書いている。
この記事でも、「昭和天皇の憂いが深い理由」を、「1978年、靖国神社に
東京裁判のA級戦犯が合祀された」ことと断定し、「天皇のお心」なるものを
手前勝手に利用している。

平成16年(2004年)、当時の小泉内閣は「皇位継承制度と関連する制度に就いて、
高い識見を有する人々の参集を求めて検討を行う」として、「皇室典範に関する
有識者会議」の設置を決定し、翌年この有識者会議なるものは、 皇位継承を
「女系皇族へ拡大する」方針を発表し、小泉首相は皇室典範の改正準備に
着手している旨を公表した。
この時期にも、「女性天皇容認は、今上陛下のご意思である」との怪情報を
触れ回り、皇統断絶を策謀する者どもがいた。
女性天皇容認論、女系天皇容認論は、平成18年(2006年)、秋篠宮家に若宮が
ご誕生され、立ち消えになったものの、女性宮家創設が話題に上った時期にも同様、
執拗に皇統断絶を狙う勢力が、「女性宮家創設は今上陛下のご意思である」と
騙り、巧妙な悪巧みを仕掛けて来た。




皇室典範義解


「天皇のお心、お考え」を意味する「大御心(おおみごころ)」という語がある。
「叡慮(えいりょ)」とも言う。
我が国の国体は本来、万世一系の天皇が皇祖皇宗の神勅を奉じて統治する
一大家族国家という在り方である。
天皇は皇祖皇宗、ご歴代天皇の神霊を祀り、その「大御心」を奉戴して国を
統治し、国民はそのご歴代天皇の下で臣民として生きたご先祖代々を敬い、
君臣共に「生者のみの概念」でものを考えないのである。
神代以来の万世一系の天皇と臣民という関係の連続性があると同時に、
各時代の天皇は、皇統という縦糸の連続体の中に在る。
天皇は世襲である。その天皇のお心、すなわち「大御心」も皇祖皇宗のお心として、
世襲でなければならないのである。

明治22年(1889年)、伊藤博文著として出版された「帝国憲法皇室典範義解」
の「皇室典範義解(こうしつてんぱんぎげ)」の前文に、
「祖宗肇国、一系承継、與天地無窮、此不仮言説、有一定之模範、以為不易基準」
「祖宗国を肇め、一系相承け、天壌と與に無窮に垂る。此れ蓋し言説を
仮らずして既に一定の模範あり。以て不易の基準たるに因るに非ざるはなし」とある。
【意訳】
「皇祖(神武天皇)皇宗(歴代天皇)が国を創られ、一つの流れを相承され、
天地と共に永遠に極まりなく続く。これは言葉にはしないが、既に定まった
模範、決まりがある。決して変更されてはならない基準、決まりに因っている」
                              (文責在詠山史純)


建国


何が言いたいのかと言えば、極端な話、先帝陛下や今上陛下が、靖国神社への
いわゆるA級戦犯合祀に不快感を抱かれようが、どう思われようが、それは
どうでも良いことなのである。
人格としての先帝陛下、すなわち、諱を裕仁(ひろひと)と名乗られた人物、
人格としての今上陛下、すなわち、諱を明仁(あきひと)と名乗られる人物が、
何をどの様にお考えになろうが、その玉体からどの様なお言葉が発せられようが、
絶対君主制ではなく、立憲君主制の我が国では何ら問題にならないのである。
神格で在らせられる第124代天皇としての先帝陛下、神格で在らせられる
第125代天皇としての今上陛下のお心は、皇祖皇宗に連なるお心、「大御心」で
なければならないからである。

万が一にも有り得ないことであると確信しているが、仮に今上陛下が
「女系天皇」「女性宮家創設」を容認されるご意思をお持ちであったとしても、
その人格としての明仁と名乗られる人物のお考えは、皇祖皇宗が示された模範
に背くことになり、それは「大御心」たり得ない誤りなのである。
たとえ、それが今上陛下の玉体から発せられたお言葉であろうが、それは勅語、
勅命たり得ず、詔承必勤と言えども、大義無き勅語、勅命はその対象外で無効、
臣民は従ってはいけないのである。
皇祖皇宗に連なる、万世一系の天皇とは、そう在るべき神格なのである。


「天皇の親拝問題」なるものは、靖国神社で春秋に執行される例大祭には必ず、
先帝陛下、今上陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下依りの御幣物
(ごへいもつ=供え物)が献じられ、御祭文(ごさいもん)が奏上されるという、
「大御心」の顕現である事実を以って、その論は霧散するのである。
※天皇が奏するものを「御告文(おつげぶみ)」勅使が奏するものを
「御祭文(ごさいもん)」という。

天皇陛下が「勅使」を差遣為さるということの意味の重さを知るべきである。
勅使は天皇陛下の「大身代わり」として、征夷大将軍宣下や勅令の伝達に
際しては、いつの時代にも天皇陛下への臣礼同様の敬意が払われたのである。
江戸幕府では一時期、江戸城内での将軍宣下に際し、勅使を下座に、将軍が
上座に坐すという非礼が行なわれたとのことであるが、それも幕末には逆転し、
勅使が上座に座し、将軍が下座に座すという作法に戻されたとのことである。


東條英機 絞首刑V
旧南部盛岡藩士東條英俊の孫、元総理大臣東條英機陸軍大将の名誉恢復を願う。


日本人でありながら、大日本帝国の戦争責任者たちが戦勝国に押し付けられた
「戦争犯罪人」という不当な汚名を好んで使い続ける人々がいる。
曰く、靖国神社に「A級戦犯」刑死者7人を含む14人が合祀されている云々と。
「敗戦国日本の戦争犯罪」、「日本の戦争犯罪人」とは、戦勝国側の概念であり、
呼称に過ぎないのである。
戦勝国側から戦争犯罪人の汚名を着せられ、処刑された同胞が国内法に於いて、
犯罪者であろうはずがない。
彼らもまた、敬意を払うべき、国家に殉じた昭和の殉難者ではないか。
0007_なく_なみだ[顔・表情]


東條英機 享年64歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
内閣総理大臣、陸軍大臣等を歴任。

広田弘毅 享年70歳 外交官
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
内閣総理大臣、外務大臣、駐ソ連大使等を歴任。

土肥原賢二 享年65歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
奉天特務機関長等を歴任。

板垣征四郎 享年63歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
支那派遣軍総参謀長等を歴任。

木村兵太郎 享年60歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
ビルマ方面軍司令官等を歴任。

松井石根 享年70歳 陸軍大将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
中支那方面軍司令官等を歴任。

武藤章 享年56歳 陸軍中将
昭和23年(1948年)12月23日 絞首刑
陸軍省軍務局長等を歴任。

平沼騏一郎 享年84歳 司法官
昭和27年(1952年)8月22日 刑期中に病死(終身刑)
内閣総理大臣、枢密院議長等を歴任。

白鳥敏夫 享年61歳 外交官
昭和24年(1949年)6月3日 刑期中に病死(終身刑)
駐イタリア大使等を歴任。

小磯国昭 享年70歳 陸軍大将
昭和25年(1950年)11月3日 刑期中に病死(終身刑)
内閣総理大臣、朝鮮総督等を歴任。

梅津美治郎 享年67歳 陸軍大将
昭和24年(1949年)1月8日 刑期中に病死(終身刑)
関東軍司令官、陸軍参謀総長等を歴任。

東郷茂徳 享年67歳 外交官
昭和25年(1950年)7月23日 刑期中に病死(禁固20年)
外務大臣、駐ドイツ大使等を歴任。

永野修身 享年66歳 海軍大将
昭和22年(1947年)1月5日 判決前に病死
海軍大臣、海軍軍令部総長等を歴任。

松岡洋右 享年66歳 外交官
昭和21年(1946年)6月27日 判決前に病死
外務大臣、南満州鉄道総裁等を歴任。



★戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議 
…昭和27年(1952年)12月の国会決議
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-363.html

★戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議
…昭和28年(1953年)8月の国会決議
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/blog-entry-364.html

泣きまくり








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