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占いの歴史夜話⑪…おみくじのルーツは?

 2016-11-24
占いの歴史夜話⑪ 

…おみくじのルーツは?



神社や寺院に参拝した折り、ちょっとした遊び心で「おみくじ」を引いては、
そのみくじ箋(みくじ紙)に書いてある吉凶判断や和歌、生活全般に亘る運勢
のアドバイスなどに一喜一憂された経験の有る人は多いのではなかろうか。

そもそも、カミの御心、ご神慮を伺う占いの起源は、古代にまで遡り、
古来、政治上の重要事項の決定は、ご神意を仰ぐ「籤引き(くじびき)」に
依って行われたという、「政(まつりごと)」が即ち「祭り事(まつりごと)」で
あった祭政一致の歴史がある。
古代の律令体制下に於いては、神事を司る神祇官(じんぎかん)の中に、
亀卜(きぼく)の専門家集団であった卜部(うらべ)が官職として置かれて
いたように、占いは神事であった。

「おみくじ」に近い形態の占い方法で、最古の記録は「日本書紀」に於ける
「有間皇子の変」の記述であろうと思われる。
「日本書紀」に依れば、斉明天皇4年(658年)11月、斉明天皇と皇太子で
あった中大兄皇子(後の天智天皇)が紀温湯に行き、奈良の都を留守にした際、
有間皇子は蘇我赤兄と挙兵を謀議し、「短籍(ひねりぶみ)」を引いて、謀反の
吉凶を占ったとある。
「短籍」は紙片か、或いは木簡で作った籤(くじ)であったろうと想像される。


第11記事8


現在、「おみくじ」と言えば、仏教寺院よりも神社のイメージで捉えている
人の方が多かろうと思われるが、鎌倉時代初期に始まった、個人の運勢や
吉凶を占う為に行われている現行の「みくじ箋(みくじせん)」の起源は、
仏教サイドにある。

現在のおみくじに繋がる直接の起源は、シナの「天竺霊籤(てんじくれいくじ)」
であるというのが定説である。
その「天竺霊籤」が平安時代中期、日本に伝来し、天台宗中興の祖と呼ばれた
「元三大師(がんざんだいし)」、天台宗座主第18世「慈恵大師(じえだいし)」
良源(912~985)が、観音菩薩に祈念して偈文(げもん)を授かり、人の運勢や
吉凶を表わした100の漢詩(五言絶句)を詠んだという「元三大師百籤
(がんざんだいしひゃっくじ)」或いは「観音籤(かんのんくじ)が起源と
言われる。
良源は「如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)の化身」であると
言われていたことから、「観音籤」と名付けられたとの説もある。
その為に、比叡山横川の元三大師堂は「おみくじ発祥の地」とも言われている。


第11記事9


江戸時代初期、徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策や宗教政策に
深く関与した天台僧「慈眼大師」天海(1536年?-1643)の夢枕に元三大師が
現われ、「信州戸隠山明神の御宝前に観音百籤がある。これらは人々の困難を
救う為、観音菩薩に祈念して戴いた処方箋とも言うべきであるから、これらを
用いて、衆生を利益せよ」というお告げを戴いたという。
そのお告げ通りに、戸隠山明神に納められていた偈文百枚を「元三大師百籤」
或いは「観音みくじ」と呼び、世に広めたという。

江戸時代初期の頃は、自分でおみくじを引く形態ではなく、僧侶が
「浄聖なる観世音菩薩を念じ、念ぜよ。疑いを生ずることなかれ。
観世音菩薩は苦悩や死や厄災において、頼みとして最高の救世主である」
という内容の観音経(法華経第二十五観世音菩薩普門品)を読誦した後に
引いていたという。

やがて、自分で引く形式に変わって行ったものの、正規の作法としては相当に
面倒な決まり事があったようである。
神社参拝の時のように、手や口を水で清めるのは当然としても、観音経を3遍
読誦し、聖観音菩薩、千手観音菩薩、十一面観音菩薩の真言陀羅尼をそれぞれ
333遍唱え、33回礼拝し、次に「おみくじ願文」を読み、占うことを念じて、
番号の付いた100本のおみくじが入った箱筒を振って、小さな穴から一本だけ
取り出す。
書いてある数字を確認した後に、おみくじを筒に戻し、その筒を両手で持って、
「送奉の文」を読む。
その上で、備え付けられた「みくじ本」という解説書で、引いた数字に相応
する箇所の偈文を読んで判断するという、手の込んだ形式であったようである。


第11記事2
「PAKUTASO」様のフリー写真素材を拝借。





明治維新を経て、新政府が慶応4年(1868年)に発布した太政官布告
「神仏分離令or神仏判然令」の影響で、神社サイドでは「寺のおみくじを
止めて、神社独自のおみくじを使うべきだ」との思潮が生まれ、明治以降には、
神社と寺院では別々のおみくじが使われるようになった。
神社では、現行の和歌系おみくじが主流となり、寺院では従来からの
元三大師御籤が用いられている。


「籤(くじ)」という言葉自体の語源としては、諸説有る。
訴訟など、公に関わる事柄を判断するという「公事」から転化したという説、
「串」という言葉から転化したという説、シナで神事や遊びに使われた円盤状
の「鬮(く)」に「子」か「児」を付けて「くじ」となったという説、
結び目を解く道具「抉り(こじり)」に由来するという説、「寄し」説や
「孔子」説など、様々な説があって、断定は出来兼ねる。


第11記事1
「PAKUTASO」様のフリー写真素材を拝借。


おみくじに書いてある吉凶判断の部分で、読み取りに迷うのは、その吉凶の
順序ではなかろうか。
仏閣の場合は、100本中、大吉16本、吉35本、その他の吉19本、凶30本
という割合が決まっている「元三大師神籤」をベースにしているだけに、
大体、「大吉>吉>半吉>小吉>末吉>末小吉>凶」の順序で統一されている
ようなのであるが、神社は独自のおみくじを作る傾向があるようで、吉凶の
序列自体も神社に依って違い、一概に判断出来ない。

神社本庁の見解としては、
「大吉>【吉】>中吉>小吉>末吉>凶」で、「吉」は「大吉」の次、
「中吉」よりも上位に位置しているのだが、神社に依っては、
「大吉>中吉>小吉>末吉>【吉】>凶」と、「吉」が「末吉」よりも
下位に置かれているところもある。

「中吉」が、「吉」よりも上位なのか、下位なのかで定まっていない上に、
「半吉」が「小吉」よりも上位に置かれているところもあるので、判断に困る。

私の見解としては、「中吉」は「吉」の下、「半吉」は「小吉」の下として、
「大吉>吉>中吉>小吉>半吉>末吉>末小吉>凶>小凶>半凶>
 末凶>大凶」の序列で考えている。

吉凶に関して言えば、易の世界の感覚では「大吉」の卦は歓迎しない。
むしろ、「凶」などの良くない卦が出た方が、これ以上は下がらず、
これからは運気が上がるとポジティブに考える。
要するに、「大吉」が出ても油断せず、「凶」が出ても落胆せず、
何れであっても心の励み、向上の糧とするべき神様の励ましなのである。

馴染みは無いが、実は「平」という卦もあり、神道では平穏無事こそ貴い
ものと考えることから、吉凶を超えた良い暗示と捉えて、歓迎する。
現在、おみくじで「平」の卦があるのは、京都の賀茂神社や石清水八幡宮
だけのようである。


第11記事5
PAKUTASO」様のフリー写真素材を拝借。


引いた後のおみくじを、神社境内の木の枝に結ぶ慣わしがあるが、本来は
「凶」が出た場合にのみ、凶運を神社に留め置いて、凶が吉に転じて、
良い運勢が結実するようにと心に念じながら、結び目は魔除けにもなる
という言い伝えもあることから、結んで置いて来るべきものなのである。

おみくじは、吉凶判断を目的とする占いと考えて引くよりも、今後の生活の
指針をアドバイスして頂く、神様の励ましの言葉と捉えて、お守り代わりに
持ち帰り、よく読み返してみると良い。
おみくじに書いてある和歌などは、実に味わい深いものがある。

第11記事3
「PAKUTASO」様のフリー写真素材を拝借。


現在、おみくじを製造する会社は全国で6社あるそうだが、その中でも、
最大手の「女子道社」が日本全国の社寺で授与されるおみくじの約6割の
トップシェアを誇っているという。
山口県周南市に在る二所山田神社(にしょやまだじんじゃ)の21代目宮司、
宮本重胤氏が女性解放運動を推進する為の全国組織「敬神婦人会」を設立し、
明治39年(1906年)に、月刊新聞社「女子道社」を設立し、機関誌「女子道」
を発刊、その費用捻出の為、おみくじ作りを創業したのが始まりだという。
また、同年におみくじの自動頒布機を実用化させたのも同社であるとのこと。
現在でも、作業は全て手作業で行われ、紙折り機なども一切使わず、近隣農家
の主婦達の手で一枚一枚、丁寧に心を込めて仕上げられているという。


第11記事10
山口県周南市のHPより、女子道社の写真を拝借。

第11記事11



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