華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 占いの歴史夜話⑮…手相学研究の始原

占いの歴史夜話⑮…手相学研究の始原

占いの歴史夜話⑮ 

…手相学研究の始原



街占(がいせん)の占い師さんが、テーブルの上に置いている行灯(あんどん)
には、「観相学」とか「観相(かんそう)」と書いてある。
観相学というのは、人相学のことであるが、人相というのは本来、骨相、体相、
顔相、手相などを含む総称である。
しかし、現代では人相と言う場合、その殆どが顔相のことを指している。

手相、人相と聞くと、如何にも東洋的な占術の印象が強いのではなかろうか。
日本の人相学の場合は、今から4千数百年前の古代中国で発祥した人相学を
基本にしているが、手相学の場合は西洋の手相学が基本になっている。
手の平の指の下の膨らみを「丘(おか)」と呼ぶが、人差し指は木星の波動を
キャッチするので、人差し指の根元の丘を「木星丘(もくせいきゅう)」、
中指の根元の丘を「土星丘」、薬指の根元の丘を「太陽丘」、小指の根元の丘を
「水星丘」、親指の根元を「金星丘」、また小指の下、手首の上辺りの広い範囲
の膨らみを「月丘(げっきゅう)」と呼ぶように、日本の手相学がヨーロッパで
発達した手相学をルーツにしているというのは意外な印象を受ける。


第15記事1
かわいいフリー素材集「いらすとや」様の画像を拝借。


昭和20年(1945年)の話であるが、横山一郎海軍少将が当時、海軍省職員の
身分で航空機パイロットの採用選考時に、手相人相の鑑定を担当していた
水野義人氏に「手相の勉強をしたいので、教科書を貸して欲しい」と頼んだ
ところ、英語の本を2冊渡されたそうで、手相学は中国の占術だと思い込んで
いた横山少将は、余りの意外さに大変驚いたというエピソードが残されている。

手相学の発祥の地は、数千年も昔の古代インドだと言われている。
古代インド人は人間の身体の「皺(しわ)」と、運命の間には深い関係がある
のではないか?ということに思い至って、「サムドリカ」という運命学として
研究を始めたというのである。
全身の皺が対象では、さぞや難儀な研究であったに違いない。
サムドリカの研究が進み、やがて手の平の筋が最も人間の運命と深い関係に
あるという結論に至り、現在の手相学の元となる「サムドリカ・シャストラ」
が成立して、手相の研究が進められたという。

旧約聖書のヨブ記37章7節に「人の手の業(わざ)をすべて封じ込め、
すべての人間に御業(みわざ)を認めさせられる」とある。
(聖書 新共同訳 日本聖書協会発行 825ページ)
「神はすべての人間に自分の為すべきことを自覚させる為に、その暗号として、
スジや線を刻んだ」(文責在詠山史純)という意味になろうか。
ヨブという人は、紀元前2千年のアラビヤに住んでいた実在の人物であるから、
インドに発祥した手相学は、4千年前にはアラビアにも伝わっていたことになる。

また、旧約聖書の箴言(しんげん)3章16節にはソロモン王の格言として、
「右の手には長寿を、左の手には富と名誉を持っている」とある。
(聖書 新共同訳 日本聖書協会発行 993ページ)
「右手にはその人の寿命が表わされ、左手には財運や成功運が表わされる」
(文責在詠山史純)という意味で、この手相の見方は現代ヨーロッパでも
用いられている。
ソロモン王はイスラエル王国の第3代の王であるから、紀元前1千年頃には、
古代イスラエルでも手相学が盛んに研究されていたことになる。


第15記事3

第15記事2
   手相診断(Palm Reading)を受けるマリリン・モンロー





スポンサーサイト

テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2016/11/26 00:25 | 占いの歴史COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

 | BLOG TOP |