占いの歴史夜話⑯…手相学研究の意外な歴史

 2016-11-26
占いの歴史夜話⑯ 

…手相学研究の意外な歴史



インドに発祥した手相学は、紀元前にはすでにエジプト、ペルシャからトルコ、
ギリシャに至るまで広まっていて、古くは「キロロジー」と呼ばれていた。
「キロ」というのはギリシャ語で、「手」を意味する。

古代ギリシャの偉大な哲学者たちの中にも、手相学に魅せられ、熱心に研究
したことで有名な人々がいる。
紀元前6百年頃のピタゴラスや、紀元前5百年頃のアナクサゴラスは有名。
その中でも驚くべきは、手相学の普及に大きく貢献した、紀元前4百年頃の
アリストテレスの存在であろう。
アリストテレスは「手相術」という著作で、手の線や紋と運命の関係に就いて、
「手の線は生命の長さを表わす」「自然が人間の手の平に刻み付けた色々な線
や紋に依って、その人の健康状態や性癖、運勢の判断をするのが手相術である。
これらの線や紋は十人十色であって、決して同一のものはない」などと述べ、
手相の判断法を詳細に述べている。
このアリストテレスの著作は、手をテーマにしたテキストでは現存する最古の
ものの一つと言われている。


第16記事1
プラトン&アリストテレス


また、アリストテレスはエジプトを旅した時に見付けたアラビア語で書かれた
手相学の本に感銘を受け、アレキサンダー大王にその本を贈り、「これは有益で
価値ある研究成果であるから、学者という学者はみな、これを学ぶべきです」
と助言したと言われている。
そして、アレキサンダー大王はその価値を大いに認め、早速ラテン語に翻訳
させたことに依って、手相学はヨーロッパの学者たちにも伝わり、研究される
ようになったとのこと。


第16記事2
アレキサンダー&家庭教師アリストテレス


ヨーロッパの手相学研究は4世紀に至って、ローマカトリック教会からの弾圧
を受け、その後1千年もの長い期間、禁止されていた。
手相学はキリスト教ではない異教に起源を持つもので、手相の診断に関わった
者は破門するとの決定がローマカトリック教会で為されたのである。
教会から破門されれば、地獄行きというキリスト教の観念に囚われていた時代
のことであるから、禁忌を破ることは大変に恐ろしいことであったに違いない。
それでも人目を忍んで、密かに手相診断は行なわれ続けていたようである。
この手相学が迫害された時代、手相診断はジプシーの間だけで行なわれていた
という説もある。

14世紀から16世紀に掛けてのルネサンスの時代を迎え、キリスト教会の呪縛
から解き放たれ、古代の文化を復興しようという機運に乗って、手相学への
興味や理解が復活したと言われている。
ドイツの大学では手相学の講座まで開設されるようになった時代に、イギリス
では時代の流れに逆行した形で、手相学を全面的に禁止する法案が議会で可決
されるような事態も起きた。
それでも19世紀末のイギリス、ビクトリア女王の時代には手相診断が大流行
したとの記録がある。


第16記事3
Cheiro (William John Warner)


世界で最も華やかな成功を収めた手相家は、アイルランド生まれのキロ
(1886~1936)と言えるであろう。
ギリシャ語で「手」を意味する「キロ」(Cheiro)を鑑定士名として、
名乗ったのである。
我が国では「キロ」と呼ばれているが、「カイロプラクティック」の「カイロ」
と同様に、本来は「カイロ」と発音するのが正確なようである。


第16記事4
「Cheiro's Language of the Hand」(1892)


キロの本名はウィリアム・ジョン・ワーナー(William John Warner)で、
20歳の時にイギリスに渡り、ロンドンの中心部、ウエストミンスターにある
街路ボンドストリートで街占の占い師として、活動を開始した。
貴族の血統であるという権威付けの演出をしたかったと見えて、当時から
ルイス・ハーマン伯爵と名乗っていたという。
やがて、王族やグラッドストーンなどの政治家、発明家のエジソンや作家の
マーク・トウェインなど、有名人の相談役として、イギリス、アメリカで活躍
したが、キロの著作は現代日本の手相診断法にも大きな影響を残している。
特に、キロの流年法を用いている手相家は現代でも多い。
勿論、独自の流年法を編み出している優れた手相家もいらっしゃる。


第16記事5
マーク・トウェインの手相


手型学と掌線学で構成されるキロの著作「Cheiro's Language of the Hand」
(1892)、「The language of the Hand」(1897)は当時、ベストセラーとなり、
その印税で得たお金を賢く投資に回しては、大いに利益を得たと言われている。
彼の著作の成功は、有名人の手の写真を掲載したことが大きかったという。
有名人の威光を自分に投射させ、自らの名声を高めるというのは、今も昔も
変わらない自己宣揚の演出法と言えるのであろう。



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