華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 占いの歴史夜話⑱…公的に認知された観相家

占いの歴史夜話⑱…公的に認知された観相家

占いの歴史夜話⑱ 

…公的に認知された観相家
海軍省嘱託、司法省嘱託の水野義人氏




人相とは本来、骨相、体相、顔相、手相などを含む総称であるが、
現在では、殆どが顔相のことを指す。
占術としての「人相学」は、性格や適性だけではなく、運命的な未来予知など
をも読み取るツールであり、別名観相学とも呼ばれる。

昭和11年(1936年)頃のこと、日本海軍航空本部の求めに応じ、水野義人氏
という観相に長けた25歳の青年が海軍省嘱託として、霞ヶ浦航空隊に於いて、
練習生、予備学生の採用選考時の評価に人相鑑定担当で、関わっていたことは
有名である。
昭和17年(1942年)には「奏任官」(昭和20年までの官吏の身分上の等級、
高等官3~9等)待遇となり、昭和20年(1945年)の終戦時には「海軍教授」
に任ぜられていたという。
終戦後、日本を占領していた連合国最高司令官総司令部GHQの指令で、
公職追放されるまでは、復員局で若い復員者の進路相談や「司法省嘱託」と
して、調布刑務所で犯罪人の人相の研究をされるなど、活躍された。


第18記事1
霞ヶ浦海軍航空隊は大正11年(1922年)に開隊された、航空機搭乗員を養成する
教育機関であった。


昭和20年の春、横山一郎海軍少将が水野氏に、手相の勉強をしたいと望み、
教科書を貸して欲しいと頼んだところ、後日、英語の本を二冊渡されたそうで
横山少将は「手相は中国で発達したものだと思っていたので、大変に意外に
思った」と語られている。
確かに観相学と言えば、東洋文化のイメージが強いので、手相や顔相の研究が
ヨーロッパでも歴史が古く、盛んであったことは、一般には意外に感じられる
のかも知れない。

ヨーロッパでは古くから、手相学と共に人相学の研究は盛んに行なわれていた
ようで古代ギリシャでもヒポクラテスやプラトン、アリストテレスの著作など
が有名である。
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画でも、人相学に基づいて、各人物の性格を
表現するように描かれていると言われている。


第18記事2
プラトン&アリストテレス


容貌から、その人の気質や性格、才能や適性を判定し得るものとして
18世紀、スイスの人相学者ラファターが過去の研究文献を集大成した
「人相学断章」は、その後に多大な影響を与えたようである。
哲学者のイマヌエル・カントや文豪ゲーテさえもが、人相学に興味を持って
いたことは広く知られている。

また、大脳を心の器官と捉えて、その心的特性、心的能力はその領域に存在
するものとして、オーストリアの解剖学者フランツ・ジョセフ・ガルが頭骨の
大きさや形状から推定出来るという学説、骨相学を提唱して、19世紀に隆盛を
誇ったそうであるが、如何にも当時のヨーロッパのアカデミックな雰囲気が
伝わって来るかのような考え方である。

これらの学説は当然、アメリカにも影響を与え、1930年代には大学でも人相学
講座が設けられたほどに流行したそうである。
特に、企業が社員採用に際して参考にするなど、ビジネスマンの間で実践的に
珍重されたという。


第18記事3
レオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」 1495年-1498年制作


手相術や人相術などの占術に長けた水野義人氏が、海軍省嘱託の奏任官待遇で
大日本帝国海軍航空隊で活躍された昭和10年代は、欧米でも観相学が科学的
学問として盛んに研究され、それを受け入れる時代の思潮があったのである。

当時の科学技術の最先端を行く海軍航空隊が、「占い師」を雇っていたと言えば、
甚だ奇妙に聞こえる話であるが、その背景には航空界の草創期に於いて、訓練
中の海軍機事故が頻発し、大勢の練習生が殉職されたという異常事態があった。
海軍霞ヶ浦航空隊基地跡に、旧海軍が航空技術の訓練を始めた大正5年以降、
昭和20年の終戦まで、全国で訓練中の事故などで殉職された海軍航空隊員の
御霊5573柱が祭られている慰霊碑がある。
戦闘中の戦死ではなく、事故に依る犠牲者が5573名も居られたということである。

因みに、殉職者の数は
   ……………
昭和 8年31名
昭和 9年32名
昭和10年43名
昭和11年98名
昭和12年58名
昭和13年77名
昭和14年73名
昭和15年93名
   ……………
海軍航空本部では、死亡事故多発の状況下、事故防止対策の手掛かりとして、
機体自体の性能向上や操縦技術の修練は元より、パイロットに向いた適性と
しての性格や、搭乗時の心理状態に至るまでも、研究していたという。


第18記事4


昭和11年(1936年)頃のこと、後世「特攻作戦の生みの親」(異説有り)と
称されることになる、大西瀧治郎教育部長から桑原虎雄航空本部副長に、
自分の妻の父親が順天堂中学の校長をしていて、その卒業生の中に、骨相術、
手相術を良く遣うと評判の水野義人という青年がいるので、会ってみてくれ
ないかとの申し出が有ったという。

そういう経緯で桑原副長が会ってみると、この25歳の水野青年は航空事故が
続発するのは、パイロット選考方法が間違っているからであって、パイロット
としての資質、適性は骨相や手相に表われているはずだと主張した。
そこで、桑原副長は能力テストとして、120名ほどの教官や教員の適性を評価
させてみたところ、水野青年は一人当たり5、6秒、彼らの顔を凝視しては適性
を甲乙丙の三段階に評価してメモを取り、それと航空隊の評価表と比較して
みたところ、80数パーセントの的中率を得た。

その好結果に驚き、水野青年に傾倒するようになった桑原副長と大西教育部長
は早速、海軍省人事局や軍務局に、水野青年の採用を陳情するも当然のこと、
「海軍に人相見とはねぇ!」と取り合っては貰えず、当初は拒絶されたという。
そこで二人は山本五十六航空本部長に相談したところ、山本本部長は水野青年
と面談し、骨相、手相についての基本的な説明を聞いた後、その場に集めた
海軍士官たちの適性や経歴を鑑定させてみると、目を瞠るばかりの的中率で
あったことから、山本本部長は感嘆し、直ちに水野青年を海軍省嘱託として、
霞ヶ浦航空隊で練習生、予備学生の採用試験に立ち会わせることにしたという。
水野義人氏はそれ以来、終戦までの間に総計23万人の鑑定をし、適性を判定
されたという。


第18記事6


水野氏には、如何にも占い師らしい逸話が残されている。
日米開戦前に水野氏が、「あと1年もすると、戦争が始まりますよ」と言うので、
その理由を聞くと「最近、街を歩いている女性の顔を見ると、どうも未亡人の
相が出ています」と答えたとか。

また、昭和20年7月頃、桑原氏が「戦争はこれからどうなると思うかね?」と
聞くと、水野氏は「来月中には終わりますよ」と答え、その理由を聞くと
「最近、特攻基地を回ってみましたが、特攻隊の人たちの顔からどんどん死相
が消えています。これは戦争が終わる兆候です」と答えたという。
(「太平洋海藻碌」岩崎剛二氏著 光人社刊 参照)」


第18記事5
九三式中間練習機


現代からすると、公的機関である海軍省が観相家を顧問としていたことは、
甚だ奇異なことと捉えられるが、第二次世界大戦下に於いて、ドイツでは、
スイス生まれの占星術師カール・エルンスト・クラフト(Carl Ernst Kraft,
1900-1945)が宣伝省の職員として、また、イギリスではハンガリー人の
占星術師ルイ・ド・ウォール(Louis de Wohl ,1903-1961)が軍の特殊作戦
執行部(SOE)の職員として、水面下で「占星術戦争」を展開していたという
歴史的事実がある。




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2016/11/26 21:12 | 占いの歴史COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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