華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 占いの歴史夜話⑳…源平合戦、何れに味方すべきかを占った闘鶏

占いの歴史夜話⑳…源平合戦、何れに味方すべきかを占った闘鶏

占いの歴史夜話⑳ 

…源平合戦、何れに味方すべきかを占った闘鶏




古代の人々は、人知では計り知れない未来に起こる出来事の吉凶や、天候など
の自然現象に左右される農作物の豊作凶作を、様々な形態の占いを行なうこと
に依って、予測したいと切実に願ったことであろう。
そして、その占いの結果は神々の意志の表現であるとして、素直に捉えたに
違いない。
占いは例えば、「こうなったら、豊作や豊漁を意味する」とか、「こうなったら、
こちらを選択した方が良い結果を得られることを意味する」とか、予め定めた
方法に従がって行ない、神々の真意を教えて頂こうとするものであるが、戦い
や競争の勝ち負けさえも、その勝敗は運命的に定められた将来の成り行きを
教示する神々からのサインとして、厳粛に受け止めたようである。

全国各地の由緒有る神社には、相撲、綱引き、舟競争、競馬などの神事が
大切に伝承されているが、今となってはスポーツとして愛好されている
それらの競技は元々、集落などの集団が将来の一年を占う「年占(としうら)」
の一種として、神前で行なわれた神慮を占う行事であったに違いない。


第20記事6
洛中洛外図屏風より、拝借。



「平家物語」巻第十一 「鶏合(とりあわせ)壇浦合戦」

「熊野別当湛増は、平家重恩の身なりしが、忽に其恩を忘れて
『平家へや参るべき。源氏へや参るべき』とて、田邊の新熊野にて
御神楽奏して、権現に祈誓し奏る。『唯白旗につけ』と御託宣有けるを、
猶疑をなして白い鶏七、赤い鶏七、是を以て権現の御前にて勝負をせさす。
赤き鶏一つも勝たず皆負けてけり。さてこそ源氏へ参らんと思定めけれ。
一門の者共相催し、都合其勢二千余人、二百余艘の船に乗り連て、……」

【現代語訳】
「熊野の別当、湛増(たんぞう)は、平家恩顧の身であったが、
忽ちの内にそのご恩を忘れ、平家に付くべきか、源氏に付くべきかと
言って、田辺の新熊野(いまくまの)で御神楽を奏して、権現に祈誓し
申し上げる。
『白旗に付け(源氏に味方せよの意)』との権現の仰せを、なお疑って、
白い鶏7羽と赤い鶏7羽を、権現の御前で勝負させる。
赤い鶏は一つも勝たずに、みな負けて逃げてしまった。
それでは、源氏に加勢しようと思い定めた。 
一門の者を呼び寄せ、都合その軍勢2000余人、200余艘の舟に
乗り連れて…」(文責在詠山史純)


第20記事4
壇ノ浦合戦の図


湛増(1130年-1198年)は、平安時代後期から鎌倉時代初期に掛けての僧侶。
熊野三山の社僧で、第21代熊野別当(熊野三山の統括者)。
平治の乱(1159年)の折りに、平清盛に与力した第18代別当湛快(たんかい)の次男。
湛増の妻は、源為義の娘で源行家の姉である鶴田原(たつたはら)の娘で、
湛増には、源行家は叔父に当たり、源頼朝や源義経、木曾義仲とは従兄弟の
関係にあった。
また、湛増の妹は平清盛の異母弟、平忠度に嫁していた。
伝承では、湛増は義経の従者武蔵坊弁慶の父であるという。

紀伊国(和歌山)田辺を本拠地として、熊野水軍を統率していたと考えられる。
「平家物語」に依れば、湛増は源頼政、以仁王(もちひとおう)挙兵(1180年)
に際しては、平氏方に以仁王謀反を通報し、平清盛に付いて勢力を拡大した。
1180年には、源頼政、以仁王の挙兵に続き、源頼朝が挙兵。
1181年に、平清盛が没し、1185年の壇浦合戦で平氏が滅亡。
(1180年の以仁王・源頼政の挙兵から、1185年の平氏滅亡までの一連の争乱を
治承・寿永の乱と言う)


第20記事5
東京国立博物館様 画像検索「鶏合」より、拝借。


平氏方としてはそれまでの経緯から当然、友好関係にあった湛増が熊野水軍を
率い、源氏との合戦に加勢してくれるものと期待していたに違いない。
ところが湛増は、どちらに味方するかが一族の命運を左右してしまう源平合戦
の戦況の推移を冷徹に見守っていたのであろう。
平氏が京の都を追われ、福原の戦いにも破れ、四国に敗走、屋島、壇ノ浦に陣
を構えた段階で、栄耀栄華を極めた平氏も最早これまでと見限ったに違いない。
但し、湛増は1180年、源頼朝の挙兵を知った後には既に、源氏方へ寝返る動き
を見せていたようであるが、源氏の屋島攻略まで源義経の参陣の呼び掛けには
明確に応じることなく、その去就には迷いがあったようである。
陸戦では優勢な源氏であったが、水軍が無かったことから苦戦を強いられ、
熊野水軍の参陣以前の段階では、海戦では平氏が遥かに優位に立っていた。
その為、源氏にとっては水軍の調達が焦眉の急であったのだ。

文治元年(1185年)の正月、源氏と平氏双方から参陣を要請され、その去就に
迷っていた湛増は熊野権現の神託を得ようと、配下と共に新熊野権現田辺の宮
(いまくまのごんげん たなべのみや)に参詣し、巫女の取次ぎで源氏に味方
するようにとの神示を下された。
それから数日後、湛増は新熊野権現田辺の宮に武装させた配下を集めた上で、
境内に於いて、紅白7羽ずつの鶏を戦わせ、紅が勝てば平氏、白が勝てば源氏
に味方をすることと決め、鶏合わせ(闘鶏)を行ない、神慮を占った。
その結果、白鶏が圧倒的な勝ちを収めた為、源氏に加勢することを決断し、
熊野水軍は屋島攻略に参戦、壇ノ浦の海戦には兵船200艘を揃え、活躍した。
おそらく、この鶏合せは湛増が配下の者共に、源氏に味方し、それまで親交
のあった平氏と戦うことを納得させる為のパフォーマンスであったと思われる。
熊野権現の神託が下されたとなれば、それが源氏に味方する立派な大義名分と
なるからである。


第20記事2
年中行事絵巻 鶏合の図


闘鶏は「鶏合せ(とりあわせ)」と呼ばれ、平安時代の頃から朝廷や神社で神事
や占いとして行われ、後に庶民の間にも広まったという。
唐の玄宗皇帝が乙酉生まれで闘鶏を好み、清明の節(三月節、旧暦2月後半~
3月前半)に催した故事に因んで、朝廷では宮中清涼殿南庭で旧暦3月3日の
節句の景物として行われた。
平安時代後期の「年中行事絵巻」には、「鶏合せ」の様子が描かれている。


第20記事7
「GATAG」様のフリー画像・写真素材集1.0より、フリー画像を拝借。


戦わせるか、或いは競わせるかして、その勝敗を賭博の対象とするならば、
その競技者は昆虫であろうが、爬虫類であろうが、何でも良いのであるが、
神事として、神慮を占う競技となれば、その競技者にも霊性を求めたい。

「古事記」に記されている「天の岩屋戸(あまのいわやと)の祭祀」には、
「常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かしめて」
(『いつまでも長く鳴き続けて止まないニワトリを集めて、鳴かせ』)とある。

「常世」とは、海の彼方にあるとされた永遠の世界を意味する。
「長鳴鳥」とは声を引いて長く鳴く鶏のことで、野鶏の鳴き声は2秒程度で
あるが、長鳴鶏は15秒も鳴き続ける長鳴性があるという。
天の岩屋戸に隠れた天照大御神(あまてらすおおみかみ)を引き出す為に、
長鳴鶏を集めて一斉に鳴かせたという訳である。
鶏は定刻に鳴く。
古代から日本人は暁に鳴く鶏を一番鳥、日の出と共に鳴く鶏を二番鳥と呼んで、
暁を告げ、闇を払う鶏の鳴き声を一日の生活の始まりと考えて来た。
つまり、鶏は太陽神である天照大御神を再び、この世に呼び戻す役割を果たす
「神使」と考えられたのだ。
「神使」は「神の使わしめ」と呼ばれ、神の眷属(けんぞく)であり、
神の御先、御前(みさき)であって、神の先駆け、神の代弁者として、
現実の人間界で神の意志を知らしめる徴を示す役割を果たすと考えられた。
鶏の鳴き声に、邪気を祓い、太陽を招く霊的な力を感じていたのであろう。
神使と考えられた霊鳥である鶏こそが、神慮を占う鶏合せに相応しかった。
因みに伊勢神宮では鶏は神使として、尊ばれている。


第20記事3
和歌山県田辺市 田辺観光協会様HP「田辺探訪」より、画像を拝借。
昭和62年5月、闘鶏神社境内に武蔵坊弁慶・熊野水軍出陣800年祭を記念して、湛増・弁慶の父子像が建立された。


新熊野権現田辺の宮は社伝に依ると、19代允恭(いんぎょう)天皇の御世、
5世紀初頭(423年)の創建と伝えられる古社であるが、この湛増が行なった
鶏合わせに因んで、新熊野鶏合権現(いまくまのとりあわせごんげん)、
新熊野闘鶏権現社(いまくまのとうけいごんげんしゃ)、鶏合わせの宮、
闘鶏権現などと称されていたという。

「権現」とは明治以前の神仏混淆時代の「本地垂迹説」に基づいた名称で、
平安時代に神と仏は一体であるという「神仏習合思想」が説かれ、仏菩薩が
日本の神々の真の姿(本地)で、八百万の神々は仏菩薩が仮の姿(垂迹)と
して、日本の地に現われたもので、その仮の姿としての神を権現と呼んだ。
明治新政府が樹立され、慶応4年(1868年)に、奈良時代から続いて来た
神仏習合思想を禁止する「神仏分離令」が発布された際に、新熊野鶏合権現
(和歌山県田辺市湊)は「闘鶏神社」を正式社名としたという。
(正しくは「闘鶏」を「鬪雞」と旧字体で表記する)


第20記事1
和歌山県神社庁HPより、画像を拝借。
因みに、鬪雞神社は2016年10月、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に追加登録されたとのこと。




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テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2016/11/29 03:28 | 占いの歴史COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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