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節分の鬼は悪者か?…神道的感性から推察するに…

 2017-02-03
節分の鬼は悪者か? 

…神道的感性から推察するに…



現代では、「節分」は「立春の前日」を指し、2月3日(立春が2月4日)に
来ることが多いが、2日や4日の年もある。
節分とは本来、四季の始まりを表わす立春、立夏、立秋、立冬、それぞれの
前日を指していた。
旧暦(太陰太陽暦)を用いていた時代には、春を年の初めとするサイクルで
考えられ、立春を一年の最初の日、その前日の節分を一年の最終日と捉えて
いたので、正月は立春であった。
やがて、1月の満月の現われる日、新月から数えて15日目の1月15日を正月と
するようになり、更に新月の現われる日、1月1日を正月とするようになった。
このように、正月が立春、小正月、大正月へと変遷して来たことに依って、
元来は同日に行われていた正月行事の事々が、分散したであろうことが推察される。

因みに、明治5年(1872年)、明治新政府は「明治五年十二月三日を以って、
明治六年一月一日とする」という太政官布告を発布し、天保13年(1842年)
に加えた修正に依って、天文学的にも世界で最も正確な暦となった太陰太陽暦の
和暦を、太陽暦の西暦に転換することになった。
東アジア諸国では旧暦で正月を祝うのが一般的で、太陽暦で正月を祝う我が国は
例外的である。


第31記事1
「フリーランスWebデザイナーのリアル」様のHP依り、
フリーイラスト画像を拝借。


節分の風習としての「豆撒き」は、地方に依って様々に特色があるようであるが、
一般的には、炒った大豆の豆を一升桝に入れ、年男(その年の干支の生まれ)、
或いは一家の主人か、その家の男子が豆打ち役となって、家人が戸や障子を
開けた時に大声で「福は内、鬼は外」と掛け声を掛けながら、座敷や茶の間、
玄関と次々に豆を撒いて行く後を、鬼が家に入らぬようにと家人が音高く戸を
閉めて行く。
この時に撒かれた豆を自分の年の数だけ、或いは、年の数プラス1だけ拾って食べ、
一年の無病息災を願うというものであろう。

「鬼は外」の掛け声に関しては、鬼子母神など「鬼」関連の祭神をお祀り
している寺社や、「鬼」の字の付く地域、「鬼」の字の付く苗字(鬼塚さん、
鬼木さんなど)のご家庭では、「福は内」とだけ言うか、或いは「鬼も内」
「鬼は内」と掛け声を掛けるようである。


節分に於ける豆撒きの起源は、奈良時代の慶雲三年(706年)に疫病が
流行したことを受けて、宮中で行われた、楯と鉾を武器に悪鬼を退治する
「追儺(ついな)」の儀式に由来するとされている。
「鬼儺(おにやらい)」「鬼遣らい(おにやらい)」「儺(な)やらい」とも書く。
「追儺」はシナ大唐帝国の行事であったものを、我が国が導入し、大晦日
(旧暦の12月30日)の宮中の年中行事とした「鬼払い」の儀式である。
「追儺」の儀式導入の経緯からすると、大晦日に新年を迎える為の除災招福の
行事として、災いを齎す鬼を追い払い、福を呼び込む行事であると意義付けられた
ものであろうと思われる。

宮中での「豆撒き」は、平安時代の宇多天皇の御世(887年~897年)に始められた
との説があるが、民間で行われた「豆撒き」自体としては、室町時代に寺社が
「邪気払い」の為に行った「豆打ち」の儀式に由来するとも言われ、「鬼は外」
「福は内」との掛け声を掛ける風習はこの時代に確立したようである。


第31記事2
「フリーランスWebデザイナーのリアル」様のHP依り、
フリーイラスト画像を拝借。


撒くものが何故、豆なのかということに付いては、穀物には「邪気を払う霊力」が
あると考えられていたようで、豆撒きが定着する以前には、豆の他に米や麦なども
用いられたというが、その中で撒くに当たって、都合の良い大きさや
収穫量、価格の問題もあったろうし、新年の初めに一年の天候を占う「豆占い」が
行われていたという経緯もあるのではなかろうか。
更に、コトダマ的に、豆は「魔滅(まめつ)」に通じるということもあったのかも
知れない。

では何故、炒り豆を使うのかに付いては、「豆占い」では大豆を煎って使ったと
いうこともあろうし、後述するが、旧年の穢れを祓い捨てる為に、撒いた豆が発芽
したのでは不都合であり、また食べる為にも豆を炒っておく必要があったのだろう
と推察される。
また、言霊的には、「炒り豆(いりまめ)」は「射り魔目(いりまめ)」に通じ、
「魔の目を射る」という意味を持たせたかったのかも知れない。


日本の節分に迎える「鬼」は本来、シナに於けるような打ち払うべき悪鬼では
なかったのではなかろうかと、私が考える根拠としては、
① 悪鬼を退治するという先鋭な感覚が、温和で柔軟、融合を特長とする
 日本神道の指向性にそぐわないこと。
②シナから「鬼」の概念が齎される以前、日本古来の民間信仰での「オニ」は、
 人々の生活を守ってくれる「オニ神様」と呼ばれていたこと。
③かつては立春が「年神様」を迎える正月であったこと。
④かつては同日に行われていた正月行事の事々が、立春、小正月、大正月にと、
 分散して行われるようになったであろうと考えられること。
⑤撒かれた豆を自分の年の数だけ、或いは、年の数プラス1だけ食べること。
などが挙げられる。


甲骨文字金文字篆書文字
フリー百科事典Wikipedia様「鬼部」依り、
甲骨文字、金文字、篆文字の画像を拝借。


「殷(いん)」の時代に作られた甲骨文字「鬼」は、グロテスクな頭部を持つ
人の象形で、死者の魂の意味を表わしている。
奈良時代の歴史書「古事記」「日本書紀」には、日本の「オニ」として、
「鬼」の文字は用いられていない。
日本で「鬼」の文字が「オニ」の意味で多用されるようになったのは、
平安時代以降であり、日本の「オニ」が仏教経典の「鬼」のイメージと同化、
変質してしまったものであろう。
そもそも、日本には「鬼」の概念が無かったのである。


節分に迎えるオニは元来、正月に幸福を齎す為にやって来る「年神(正月神)」
であり、祖霊神であり、穀物神としての鬼神であって、厄を持ち込むのでなく、
厄祓いの神として、春を運んで来てくれる日本の神であったのであろう。

豆を撒くのは鬼を追い払う為でなく、旧年中の罪や穢れに因って穢れた人間の
古い魂を豆に付着させ、それを年神(正月神)であるオニに返し、新しい年齢
の数だけ、神聖な神の魂が宿っている、新しい年の魂を貰って、食べることに
依って、新年の清浄な魂を体内に取り込み、新しく生まれ変わるという意味が
あったのである。
鏡開きの日に、年神に供えた「鏡餅」を割って食べることに依って、ご神霊の
力を体内に取り込むのと同様の考え方である。
お正月に子供が貰う「お年玉」というのは本来、「お年魂(おとしだま)」の
意味で、年神が運んで来てくれる新年の魂のことを言ったのである。

そもそも、「オニ」という言葉は「陰(おん)」が変化したもののようで、
姿形の見えない神霊のような存在を指していたと思われる。
年神や祖霊神が「鬼」として、災厄や悪霊のイメージを持たれるようになったのは、
シナ仏教の影響であったのである。
そうであるが故に、古代の原初日本神道の感覚からすれば、新年の清浄な魂を運んで
下さり、幸福と繁栄を齎す年神を悪鬼と見做し、追い払う為に豆を打付けるのは、
実は誤解に基づく、非礼甚だしき行為と言えるのである。




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