華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 創氏・改名の歴史的実相…朝鮮人の作為的事実誤認

創氏・改名の歴史的実相…朝鮮人の作為的事実誤認

創氏・改名の歴史的実相
…朝鮮人の作為的事実誤認


「氏の創設」は強制であり、
「日本人式名称の氏の設定」は強制ではなかった




大日本帝国が大韓帝国を併合したのは、明治43年(1910年)のことである。
朝鮮総督府が、本籍地を朝鮮に有する朝鮮人に対し、新たな「氏」の創設と
改名を許可した「創氏改名」の政策は、昭和14年(1939年)に実施された。
この創氏改名に就いて、朝鮮人は元より、多くの日本人もまた、「朝鮮総督府の
戸籍整備は、朝鮮民族の精神とアイデンティティを抹殺する為の皇民化政策の
一環として、朝鮮人に日本式の苗字と名前を付けることを強要した」という
ニュアンスの認識を持っているのではなかろうか。
しかし、それは全くの僻見というものである。

我が国では明治新政府が明治3年(1870年)、「平民苗字許可令」を布告し、
既に苗字を名乗っていた武士や名主など以外の国民全てにも苗字を名乗る
ことを認めたが、それが普及しなかったことから、明治8年(1875年)に
改めて、「平民苗字必称義務令」を布告し、全ての国民に苗字を名乗ることを
義務付けた。 


第33記事7


李氏朝鮮は身分制度の厳しい奴隷社会で、良民と言われる両班(貴族及び
科挙官僚を輩出する階層)、中人(技術官僚・下級官僚を輩出する階層)、
常人(一般の農民)、賤民(奴婢、…、白丁《ペクチョンorペッチョン》)の
身分差別があった。
特に、朝鮮で最下層に位置する白丁は家畜同様の扱いで、白丁を殺害しても、
殺害犯が罰を受けることはなかったという。
朝鮮人を指すチョンという言葉は、どうやら、この白丁に由来するものらしい。

日韓併合の明治43年(1910年)の時点で、朝鮮人の30%から40%が奴隷身分
であったという。
生殺与奪さえ、主人に握られていた奴隷が苗字を名乗っているはずも無かった。
しかし、出身地の「本貫」は名乗っていた様である。
日韓併合で、これらの身分制度は廃止され、奴婢や白丁などは奴隷身分から
解放されたのである。
我が国に渡って来た朝鮮人の殆どが、半島及び済州島の白丁であったという。

韓国では表向き、日本在住の朝鮮人は日本に強制連行されたと大法螺を吹いて
いるが、実際には日本在住の朝鮮人が、移民した白丁であることは韓国社会の
常識であるという。
故に、祖国に帰ったとしても、厳しい差別を受けることは明白であることから、
彼らは半島や済州島に戻る訳にはいかないのである。
現在、在日韓国人、在日朝鮮人は約50万人いるが、強制連行は史実ではない。
奴隷身分であった朝鮮人は、朝鮮政府ではなく、日本政府に依って初めて、
人間らしい扱いを受ける恩恵に与ったと言える。


第33記事13


朝鮮の姓の種類は、朝鮮総統府の調査で256姓、韓国の調査では、
約300姓(249姓+百戸以下の79姓)である。
「金」「李」「朴」の三姓が全体の人口の半数以上を占め、「崔」「鄭」を
合わせて、この五姓が圧倒的に多い。
韓国の姓の数が少ない理由としては、祖先から受け継いだ姓を尊んで、
改姓を嫌う傾向があることに依る。
また、我が国の様に、在所の地名を姓にする風習がなかったことも、
大いに関係していると思われる。
因みに、支那は約700姓、ヨーロッパ全体で約6万姓とのデータがある。
我が国の苗字の正確な数は把握し得ないが、確認出来ている数は12万姓とも、
13万5千姓とも言われており、また27万姓とする文献もある。


第33記事1


一般に、苗字、名字と言うが、その歴史は複雑である。
そもそも、我が国に於ける「姓氏」とは、姓(かばね)は古代豪族が政治的、
社会的地位を示す為に世襲した「称号」で、氏(うじ)は血縁関係にある
家族群で構成された集団を指す。
称号としての苗字は、職業や地名、官職、出身国に由来するものが多かった様である。

朝鮮の姓は、「父系血統の親族集団」を表わすものである。
我が国の苗字は「氏」で、「家」「家族」の名称である。
日本(氏名)  「氏」+「名」 …「山田+太郎」
朝鮮(姓名)  「姓」+「名」 …「金+勲」


第33記事2


明治42年(1909年)、日本の保護下に在った大韓帝国は日本の指導に基づいて、
「民籍法」を制定し、近代的戸籍の整備を開始した。
この「民籍法」の施行に依って初めて、全ての朝鮮人が苗字を持てるように
なったのである。
それ以前、低い階層の人々は、出身地を表わす本貫しか持っていなかった。
朝鮮史上初の近代戸籍である「隆熙戸籍」の整備が終了したのは明治43年
(1910年)4月で、同年8月の日韓併合後も民籍法は維持され、日本の戸籍法
と共に朝鮮人に適用されている。
当初、朝鮮総督府は総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」に
に依って、戸籍や出生で「内地人ニ紛ハシキ姓名」の届出に厳しい制限を
付けていた。
大正12年(1923年)、朝鮮総督府令第154号「朝鮮戸籍令」が公布され、
戸籍法規が統一された。


第33記事8


「創氏改名」と一括りで表現するが、「創氏」と「改名」は別事項である。
「創氏」は、昭和14年、朝鮮総督府が公布した「制令19号」、「改名」は
「制令20号」に基づくものである。

当時の朝鮮に於ける状況を、仮に「金」さんという男性の一家に例えてみる。
朝鮮の姓は、「父系血統の親族集団」を表わすものであったことから、父親や
祖父、兄弟は当然「金」姓であるが、妻は「李」姓、母は「朴」姓、祖母は「崔」姓、
兄弟の嫁は「鄭」姓といった具合に、一家でも姓が皆、違っていた訳である。

家族制度の日本化として、「氏」を決めて、届け出るように指示したのが、
「創氏」ということである。
そして、「金」さん一家が「金」という姓をそのまま氏として届け出るか、
二文字からなる日本風の氏「金田」姓でも、「池田」姓でも、「大川」姓でも、
選択は自由であった訳である。

そこで、「金」さんが一家の苗字を「金田」と決めて、届け出たとするならば、
それまで「李」さん、「朴」さん、「崔」さん、「鄭」さんと、家族内でも違った
名乗りをしていた人々も皆、同じ「金田」姓になったという訳である。
これを「設定創氏」という。
但し、この場合、「姓+姓」の氏、例えば、「金李」や「崔鄭」などは禁止、
「本貫+姓」も禁止、ご歴代天皇の諱は禁止、などの制約は有った。
そして、単に日本にある苗字に倣うのではなく、姓や地名、本貫などから
付けることが奨励されたという。
この辺りに、朝鮮に於ける家族制度の日本化を図るものの、日本本国と朝鮮との
差異化への朝鮮総督府の配慮が窺える。

また、「金」さんが創氏の届出をしなかった場合、家長の姓である先祖伝来の「金」が、
「金」さん一家全員の氏となったのである。
これを「法定創氏」という。


第33記事4

第33記事5


例えば、李明博(月山明博)さんの家族は、「月山」を一家の氏にすると申告し、
朴正煕さんの家族は、「高木」を一家の氏にすると申告し、その際に「正煕」と
いう朝鮮名を、日本式の「正雄」に改名したということになる訳である。
強烈な反日家である朴槿惠氏は、「高木さんのお嬢さん」である。


日本(氏名)  「氏」+「名」 …「山田+太郎」

朝鮮(姓名)  「姓」+「名」 …「金+勲」

       ↓
朝鮮(氏名) 『氏』  +「名」 …「金+勲」「金本+勲」「富岡+康夫」…


創氏を届け出たのは322万戸で、創氏率は約80%であったという。
創氏は法律に定めた義務であり、強制であったが、先祖伝来の姓を抹殺した訳では
ないのである。
創氏は、新たに「家」「家族」の氏を設けたことであり、先祖伝来の姓に変更を
強要された訳ではない。
朝鮮戸籍には届け出た創氏が書き加えられ、姓は抹消されることなく、本貫欄
に出身地である本貫と共に、姓が記載されることになったのである。

「改名」自体には力点が置かれた訳ではなかった。
創氏した氏に似合うように、改名しても良いという趣旨であり、期間限定ではなく、
許可制で、手数料も必要であった。
改名率は10%と低かった。


第33記事6


「創氏改名は朝鮮総督府の強制であった」とする説と、
「創氏改名は日本国内外に於ける内地人との差別を回避する為に、
朝鮮人が望んだもので、自発的に受容した」とする説の両極に分かれる。

「創氏改名」の「改名」の部分には、何ら問題は無い。
重要なのは「創氏」の定義である。
この「創氏」の意味するところを曖昧にしたままの議論が、多々見受けられる。
「創氏」を「氏の創設」と定義しているケースと、「日本人式名称の氏の設定」と
定義しているケースに分かれる。
要するに、「氏の創設」は義務であり、強制であった訳である。
しかし、「日本人式名称の氏の設定」は強制ではなく、嘗ては総督府令第124号
「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」に明らかであったような日本人と朝鮮人との
差別化を緩め、希望者には日本人風の苗字の名乗りを許可するということである。


第33記事12


平成15年5月31日、当時は自由民主党の政調会長であった麻生太郎氏
(現:副総理兼財務大臣)が東京大学の五月祭に於ける講演会の質疑応答で、
「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と述べたことで、批難を浴びたことがあった。

学生の質問
「 中国や韓国と外交をする上で、歴史問題をどうすればいいと思うか?」

麻生太郎氏の回答
「 歴史認識を一緒にしようと言っても、隣の国と一緒になる訳が無い。
例えば、朝鮮人の創氏改名の話。
日本が満州国をやる前に、創氏改名の話が出たことは一回も無い。
しかし、当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートを貰うと名前のところに
『キン』とか『アン』とか書いてあり、「朝鮮人だな」と言われた。
仕事がし難かった。
だから名字をくれ、と言ったのがそもそもの始まりだ。
これを韓国でやりあったら、灰皿が飛んで来た。
その時に「若い者じゃ話にならない、年寄りを呼んで来い」と言ったら、
おじいさんが現われて『あなたのおっしゃる通りです』と。
序でに、「ハングル文字は日本人が教えた。うちは平仮名を開発したが、
お宅らにそういう言葉は無いのか、と言ってハングル文字が出て来た」と
言ったら、もっと凄い騒ぎになった。
その時もそのおじいさんが『よく勉強しておられる。あなたの仰る通りです』
と言って、その場は収まった。
やっぱり、きちんと正しいことは歴史的事実として述べた方が良い」

この麻生太郎氏が語られたところの「創氏改名」は、「日本人式名称の氏の設定」
という意味である。


第33記事11


当時の朝鮮総督の発言や新聞記事に於ける「創氏」の語が、「氏の創設」の
意味であったり、「日本人式名称の氏の設定」の意味であったりと、明確ではない
ところが見受けられるのは奇妙なものである。

昭和14年(1939年)11月、
朝鮮民事令改正公布時の南次郎朝鮮総督の談話
「本令(朝鮮民事令)の改正は、申す迄もなく、半島民衆に内地人式の
「氏」の設定を強要する性質のものではなくして、内地人式の「氏」を
定め得る途を拓いたのであるが、半島人が内地人式の「氏」を称ふることは
何も事新しい問題ではない」
此処では、「創氏」は「日本人式名称の氏の設定」の意味である。


朝鮮総督府局長会議に於ける南次郎総督の発言
「創氏改名に就いて、一部には未だ誤解している向きがあり、
特にこの制度を強制しているといふことは絶対に無く、
創氏せよというのは強制するという主旨では絶対にない」
此処での「創氏」の語自体は「日本人式名称の氏の設定」の意味であるが、
「この制度を強制しているといふことは絶対に無く」という発言は明らかに
おかしいのである。
「氏の創設」自体は強制である。
強制でなければ、「法定創氏」は有り得ない。
南次郎総督は陸軍大将(予備役)で、軍人であったからか、その発言は
厳密さに欠けていた。


宮本元朝鮮総督府法務局長の談話
「半島人の極少部分で、『氏』制度が創設されたのは、必ず内地人式の『氏』を
設定しなければならぬ法意だとか、内地人式の氏を設定しなければ、内鮮一体
の統治方針に反対するのだとか、解釈している向きがあるとのことだが、
それは誤解である。
今迄、朝鮮半島に於いては、家の称号が無かったので此の度、家の称号である
『氏』を定めることになったのであるが、好むと好まざるとに拘らず、一律に
内地人式氏を設けねばならぬ性質のものではない」

東京帝国大学法理研究会に於ける宮本元朝鮮総督府法務局長の講演 
昭和15年(1940年)
「氏制度の設定に依り、半島人は氏の設定を義務附けられた次第でありますが、
内地人式氏の設定に就いては法令上、何等義務附けられたるものに非ざるは
固より、法令の運用上に於いても、聊かたりとも強制的又は勧奨的意図を
有せざる所であります。
換言すれば、半島人に内地人式氏を称し得る途を拓いたに過ぎないのであります」

流石に法務局長だけあって、「氏の設定」は義務付けられたものであり、
「内地人式氏の設定」は義務付けられたものではなく、強制ではないと
明確に立て分けている。
要するに、こういうことであった訳である。

但し、実務を遂行する朝鮮人地方官僚に於いては、内地朝鮮一体に拘り過ぎ、
高い創氏率を挙げようと功を焦る余りに、望まぬ一家にも日本風の氏を強要
したような例もあったであろうことは想像に難くない。


第33記事9


日韓併合は、明治43年(1910年)のことであり、創氏改名は、昭和14年(1939年)
である。
29年間も、明治43年(1910年)の「隆熙戸籍」、大正12年(1923年)の
「朝鮮戸籍令」で統一された戸籍法が適用されていた程であることから、
大日本帝国朝鮮総督府にとって、創氏改名という政策がそれほど必要性の高い
重要課題であったとはとても思えない。
韓国併合も、そもそも会員100万人を呼号した一進会の日韓合邦の請願などが
発端となり、創氏改名も「朝鮮名のままでは、商売が遣り難いから、日本名を
名乗りたい」という朝鮮人の訴えが発端となっている。
超疫病神的国家とは合邦せず、日清戦争で独立させてやった後は保護国のまま、
西洋列強の宗主国のように冷淡に扱っておけば、良かったのである。

日本人は概して、歴史的事実を実証的、且つ客観的に評価する。朝鮮人の作為的
事実誤認は史観以前の問題であり、その認知障害的思考は甚だ病的である。
史実という概念を持たぬ、実に愚かな民族である。


第33記事3
演劇「族譜」



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テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2017/03/10 05:41 | 朝鮮関連COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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