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社名(商号)変更の歴史夜話⑨…日産自動車㈱

 2017-05-20
社名(商号)変更の歴史夜話⑨

…日産自動車㈱



我が国では1980年代、社名(商号)を変更する企業が急激に増加した。
「早稲田商学」357号(1993年7月)所収論文「社名変更に対する株式市場の反応」
の研究に依れば、「1981年4月から1992年3月までに,東証1部上場企業で
社名を変更した企業は175社に及ぶ」とのことである。

企業は様々な理由で、社名を変更する。
社名変更の主な理由としては、「事業の多角化や業態の変更、事業領域の拡大」、
「合併や吸収」、「略称や通称への変更」、「ブランド名への変更」、「イメージ刷新」、
「系列や傘下入り」等が挙げられる。
何れにせよ、企業は経営全般の革新、イメージの向上、社内の活性化など、
何らかのプラス効果を期待し、社名変更を行なうはずである。

相と実体は相関関係にあり、人物の名相にその後天運が暗示されている様に、
会社名(法人名、商号、屋号)の名相にも、その企業の栄枯盛衰の有り様が
暗示されている。
不思議なもので、成功する企業は自ずと吉祥名を選定する様になっている。



日産自動車㈱

明治43年(1910年)、鮎川義介氏が福岡県遠賀郡戸畑町(現在の北九州市戸畑区)に
「戸畑鋳物株式会社」を設立。

鮎川義介氏は山口県の生まれ。東京帝国大学を卒業。
鮎川義介氏は渡米中には職工として働き、鋳造技術を会得。
帰国後、戸畑鋳物㈱を設立。

明治44年(1911年)、橋本増治郎氏が中心となって、東京市麻布区
(現在の東京都港区麻布)に「快進社自働車工場」を設立。

大正3年(1914年)、快進社に出資した田健治郎氏(D)、青山禄郎氏(A)、
竹内明太郎氏(T)の頭文字を取って名付けられたダット自動車(脱兎号)が完成。


第37記事31914年完成のDAT号快進社製
ダット自動車(脱兎号)と快進社自働車工場の従業員達。
※画像は、日産自動車株式会社様のHP会社情報「会社と製品の歴史」 
『日産自動車前史』の項より拝借。


大正7年(1918年)、快進社自働車工場は、「株式会社快進社」に発展。
資本金60万円、従業員60人。

大正8年(1919年)
日本で最初の単塊鋳造4気筒エンジンを搭載したダット41型の乗用車を発売。

大正8年(1919年)、大阪府に「実用自動車製造株式会社」を設立。

大正14年(1925年)、㈱快進社は経営不振から、販売を強化する為、
「合資会社ダット自動車商会」を設立。

大正15年(1926年)、実用自動車製造㈱と㈱快進社が合併し、
「ダット自動車製造株式会社」(本社:大阪)を設立。

昭和6年(1931年)ダット自動車製造㈱が戸畑鋳物㈱の傘下に入る

昭和8年(1933年)、戸畑鋳物㈱が自動車部を創設。

昭和8年(1933年)、日本産業㈱と戸畑鋳物㈱の共同出資で、横浜に
「自動車製造株式会社」を設立。
第37記事1ダットサン12型フェートン
ダットサン12型フェートン
※画像は、NISSAN HERITAGE COLLECTION様より拝借。


昭和9年(1934年)、「日産自動車株式会社」に社名変更。


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