華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 社名(商号)変更の歴史夜話㉔…新明和工業㈱

社名(商号)変更の歴史夜話㉔…新明和工業㈱

社名(商号)変更の歴史夜話㉔

…新明和工業㈱



我が国では1980年代、社名(商号)を変更する企業が急激に増加した。
「早稲田商学」357号(1993年7月)所収論文「社名変更に対する株式市場の反応」
の研究に依れば、「1981年4月から1992年3月までに,東証1部上場企業で
社名を変更した企業は175社に及ぶ」とのことである。

企業は様々な理由で、社名を変更する。
社名変更の主な理由としては、「事業の多角化や業態の変更、事業領域の拡大」、
「合併や吸収」、「略称や通称への変更」、「ブランド名への変更」、「イメージ刷新」、
「系列や傘下入り」等が挙げられる。
何れにせよ、企業は経営全般の革新、イメージの向上、社内の活性化など、
何らかのプラス効果を期待し、社名変更を行なうはずである。

相と実体は相関関係にあり、人物の名相にその後天運が暗示されている様に、
会社名(法人名、商号、屋号)の名相にも、その企業の栄枯盛衰の有り様が
暗示されている。
不思議なもので、成功する企業は自ずと吉祥名を選定する様になっている。



新明和工業㈱

大正7年(1918年)、川西清兵衛氏は、現在の「富士重工業」の前身である
「中島飛行機」の創業者中島知久平氏と共同で、日本初の航空機製造会社
「日本飛行機製作所」を設立するも、程なく解散。

大正9年(1920年)、清兵衛氏の次男、川西龍三氏を経営者として、
「川西機械製作所」を創設し、同社内に「飛行機部」を設置、航空機の設計と
製作を開始。

昭和3年(1928年)、川西龍三氏は「川西航空機株式会社」を設立し、
九七式飛行艇や二式飛行艇(二式大艇)、水上戦闘機「強風」、
局地戦闘機「紫電改」等々、 我が国の航空史に燦然と輝く数々の名機を製作。


第52記事1
局地戦闘機 紫電改三(N1K4-J)試作機 川西航空機㈱製作 
※局地戦闘機「紫電」二一型以降の機体を「紫電改」と呼称する。


昭和20年(1945年)の敗戦で、は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が、
川西航空機㈱に航空機製造の禁止を命令。

昭和22年(1947年)、「明和興業株式会社」に社名変更。

昭和24年(1949年)、「新明和興業株式会社」に社名変更。

昭和35年(1960年)、「新明和工業株式会社」に社名変更。


第52記事2

第52記事3
世界最高性能を誇る傑作機、二式飛行艇H8K(二式大艇)
初飛行は昭和16年(1941年)。 川西航空機㈱製作

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テーマ : 歴史雑学 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2017/05/26 16:19 | 企業運命学COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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