華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 岩手県盛岡のチャグチャグ馬コ(まっこ)…農耕馬を家族同然に慈しむ心の昇華

岩手県盛岡のチャグチャグ馬コ(まっこ)…農耕馬を家族同然に慈しむ心の昇華

岩手県盛岡のチャグチャグ馬コ(まっこ)

…農耕馬を家族同然に慈しむ心の昇華



岩手県盛岡の初夏の風物詩「チャグチャグ馬コ」が本日、開催された。
この「チャグチャグ馬コ」は例年、晴天に恵まれることが多いのであるが、
今日は雨に降られ、途中までは雨中の練り歩きと相成ったとのことである。


第73記事1岩手県庁
※画像は、岩手県庁様のHP依り、拝借。


「チャグチャグ馬コ」は、農作業で農民と苦労を共にする農耕馬たちの勤労に
感謝し、慰労するという岩手県旧南部領地方ならではの愛馬精神に満ち溢れた
微笑ましい伝統行事である。
毎年6月の第2土曜日、馬主に艶やかな晴れ着で豪華に飾って貰い、沢山の
お飾りや鈴を付けて貰った100頭近くの馬が、滝沢村鵜飼の鬼越蒼前神社迄、
(おにこしそうぜんじんじゃ)に詣でて、無病息災を祈願した後、盛岡八幡宮
約15kmの道程を、歩くたびにチャグチャグと鳴る鈴の音を響かせながら、
約4時間半掛けて練り歩くという盛岡の初夏を代表するお祭りである。
華やかな馬のお飾りは、大名行列に使われた「小荷駄装束」に由来すると言われ、
馬主の愛念が籠められた、それはそれは煌びやかなものである。
元来は旧暦の5月5日に開催されていたこの行事は、昭和33年から6月15日
となり、平成13年からは6月第2土曜日に行われるようになったという。

因みに、「チャグチャグ馬コ」の「馬コ」に「うまっこ」とルビが振ってある
のをよく見掛けるが、実際には「まっこ」と発音する。


第73記事3イーハトーブログ
※画像は、岩手県が楽天市場「まち楽」内に開設されている
ブログ「イーハトーブログ」様の公式ツイッター依り、拝借。


昭和53年(1978年)には、国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗
文化財」に選定され、平成8年(1996年)には、「チャグチャグ馬コの鈴の音」が、
が環境庁(現環境省)の「残したい日本の音風景100選」に認定された。
それにしても、馬が歩くたびに鳴る鈴の音が「チャグチャグ」と聴こえた、
鈴の音を「チャグチャグ」と表現した南部の人々の感性の何と豊かなことか。


第73記事5
出発点の滝沢市鵜飼の鬼越蒼前神社(おにこしそうぜんじんじゃ)


この「チャグチャグ馬コ」の由来であるが、慶長2年(1597年)のこと、
関が原の合戦の3年前に当たるが、沢内村の馬が野良仕事の最中に暴れ出して
しまい、滝沢村まで駆けて、そこで死んでしまったという。
滝沢村の村人達はこの馬を憐れに思い、手厚く葬り、祠を建立して上げたのが、
鬼越蒼前神社の起源と言われている。
以来、「蒼前様(そうぜんさま)」と呼ばれる鬼越蒼前神社には、近在近郊の
農家の人々が5月5日の端午の節句には野良仕事を休み、愛馬に飾りを付けて、
参拝するようになったという。


第73記事7
※画像は、盛岡市の公式ツイッター様依り、拝借。


岩手県は源平の昔から、日本馬の中で最良の馬と評された南部駒の大産地と
して知られているが、残念ながら、昭和初期には南部駒を絶滅させてしまった。
一関市千厩(せんまや)町の名の由来は、平泉の藤原氏がこの地に厩舎を建て、
数多くの名馬を輩出したことから、「千馬屋」と呼ばれたことに依るという。

治承4年(1180年)、源義経が兄頼朝の伊豆での挙兵を知り、兄に加勢すべく、
平泉から鎌倉へと出陣する際、藤原秀衡が餞に贈った秀衡自身の秘蔵の愛馬
「薄墨」、後に「太夫黒(たゆうぐろ)」と呼ばれた駿馬は千厩産の南部駒で
あったと言われている。
「一の谷の戦い」で名高い「鵯(ひよどり)越えの逆落とし」の働きを見せた
義経の愛馬「太夫黒」は、「「天下の名馬、みちのく産に過ぎるものは無し。
みちのくの良馬、この馬に及ぶものは無し」と評されたほどの名馬で、千厩町
千厩地内には「太夫黒」の顕彰碑がある。
頼朝の挙兵以前、義経が平泉に在って、愛用した「小黒」もまた、遠野産の
南部駒で名馬であったと言われ、「名馬小黒之碑」が建立されている。

岩手県は近代に於いても名高い馬産地であっただけに、日露戦争後の明治42年
(1909年)、盛岡に騎兵第3旅団司令部が設置され、第23騎兵連隊と第24
騎兵連隊が駐屯し、部隊編成は東北健児と東北地方の産馬を以って成された。


第73記事2
積雪時等の訓練の為の「覆馬場」


岩手県旧南部領地方、特に馬産地であった岩手郡、紫波郡、稗貫郡、上閉伊郡、
下閉伊郡、九戸郡には、母屋と厩(うまや)をL字型に一体化させた「曲り家
(まがりや)」という独特な農家の建築様式があった。
人と共に働く農耕馬は農家の貴重な宝であり、家族の一員として遇し、人と馬
が一つ屋根の下で暮らせるようにとの慈しみの発想から、曲り家の特異な造形
が生み出されたのであろう。
一般的な方位としては、東側に台所があり、南側の母屋の下手に突き出した
部分が厩に当たり、竃や炉の暖気が厩の屋根裏を通って流れ込み、馬の背を
暖める仕組みに成っていたという。
また、母屋と厩を一体化させていても、L字型ではない建築様式は、「直家(すごや)」
と称する。


第73記事8
母屋と厩(うまや)をL字型に一体化させた、独特な農家の建築様式である
「曲り家(まがりや)」


第73記事4



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2017/06/10 22:38 | 岩手県賛歌COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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