スポンサーサイト

 --------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

機雷戦のエピローグ …海上封鎖された日本列島

 2010-09-20
機雷戦のエピローグ 

…海上封鎖された日本列島


昭和20年8月15日の終戦時の段階で日本本土は、
約6万6千個の機雷に依って、海上封鎖されていた。

機雷地図500

旧日本海軍は開戦に当たり、敵艦船の侵入を防ぐ為に
約5万5千個の「係維機雷」を日本沿岸の各水道や港湾の入り口、
海峡などの航路に敷設していた。

「係維機雷」(けいいきらい)というのは、
爆薬を装填した丸い缶体を海水面下の水中に浮遊させ、
これを係維策と呼ばれるワイヤーで海底の錘量(重り)に
結び付けたもので、艦船がこの缶体に当たると、その衝撃で
爆発する仕掛けになっていた。
この係維機雷は当時、世界水準からすれば既に旧式で、
日露戦争で大きな成果を挙げただけにその後、日本海軍は
技術的進歩の必要性を認識していなかったのかもしれない。



米軍は戦争末期、日本本土を海上封鎖することに依って、
重工業の弱体化を図り、また食料や必要物資の輸入を阻止する
飢餓作戦を意図して、B-29爆撃機や潜水艦から
「感応機雷」約1万7百個を投下敷設した。

我が国は当時、近海に至るまで海上交通路を機雷で封鎖され、
輸送船への航空機に依る空爆、米潜水艦の魚雷攻撃もあり、
僅かに食料を輸入していた満州からでさえ、物資搬入は困難で
戦争継続の能力を完全に失っていたのである。

「感応機雷」(かんのうきらい)というのは、
鉄製の艦船が航行する時に地球磁気を撹乱して行くので、
その磁気の撹乱に反応して作動する仕掛けの「磁気機雷」や、
艦船のスクリュー音に感応して作動する「音響機雷」、
また、水圧の変化と磁気の撹乱を組み合わせて作動させる、
「磁気水圧複合機雷」などの新式機雷であった。

感応機雷500

従がって、我が国の戦後処理作業の緊急かつ最重要課題は、
食糧が欠乏逼迫し、飢餓に瀕していた国民に即刻、
生活必需品を供給する為に、機雷を除去《掃海(そうかい)》し、
日本沿岸の航路を開いて、船舶の安全運航を図ることであった。

1945年9月2日、マッカーサー連合軍最高司令官は、
一般命令第1号で、我が国大本営に掃海艇の準備と機雷の除去を
指令しているところからしても、日本近海の掃海が如何に
最重要緊急課題であったかが伺い知れる。

敗戦後2ヶ月間で、83隻もの艦船が機雷に接触(触雷)し、
損害を被ったという記録が残っているほどの爆発頻度だ。

機雷爆裂の威力というのは、物凄いのだ。
今年の6月12日、神戸港で発見された太平洋戦争時の米国製
円筒形機雷(直径40cm長さ170cm)爆薬THN500kg重量1t
の爆破処理が、六甲アイランド沖合い半径600メートルの海域を
船舶往来全面禁止にして行われたが、高さ80メートルもの水柱が
立ったと、その映像も報道番組で放送されて話題となったものだ。



1945年9月、海軍省軍務局の中に、掃海部が新設された。
部長は田村久三海軍大佐で、10月には地方掃海部6箇所、
支部掃海部17箇所が設置され、海軍軍人約1万名、
掃海関係艦艇348隻の態勢で「機雷掃海部隊」
《航路啓開部隊(こうろけいかいぶたい)》が整備された。

係維機雷の処理方法は、
喫水線の浅い掃海艇が2隻対になって、強力な特殊ワイヤーを
水中に曳航しながら航行して、機雷の係維策を切断する。
そうすると、機雷の缶体はその浮力で水面に浮上して来るので、
銃撃などに依って爆破してしまうのである。

感応機雷の処理作業は、実に厄介であったという。
そもそも、鉄製の船体が航行する時に地球磁気を撹乱することを
感知して爆発する仕掛けであるから、鉄分の少ない木造船などで
なければ、掃海出来ない。
木造の掃海艇2隻が対になって、両艇の間に網のような電纜(でんらん)
=ケーブルを水中に曳航し、この電纜に強力な電流を流すことに依って、
地球磁気を強く撹乱して、海底の磁気機雷を爆破するのである。

しかし、更に難問題があった。
毛唐人どもの性格の悪さからか、米軍の磁気機雷には「回数起爆装置」
というものが装備されていて、その機雷の上を一回航行しただけでは
爆発せずに、設定された回数、地球磁気の撹乱が必要であったのだ。
その回数起爆装置が2回~12回も掛けられた磁気機雷があったので、
つまり、敷設海域に依っては、掃海を12回も繰り返さねば
ならなかったということなのだ。



この命懸けの機雷掃海で、79名もの殉職者、
200名を超える負傷者という犠牲を払ったのだ。
彼らの多くが旧海軍軍人で、残存機雷を除去し、
安全な海上交通を再開させることが、国家再建の
緊急業務であるとの使命感を奮い立たせて、
勇敢に航路啓開業務に挺身したという。

掃海は国際法上、戦闘行為である。
79名もの機雷掃海隊員達が国家事業で命を落としながら、
彼らは靖国神社にお祀りされてはいない。
彼らの偉業を讃えて、香川県中多度郡琴平町の金刀比羅宮には
掃海殉職者顕彰碑が建立されている。



彼らが自らの危険をも顧みず、国家の復興に貢献したお陰で、
昭和27年、日本沿岸の総べての主要航路と100余箇所の
港湾に対して、全世界に「安全宣言」が発せられた。

戦後、この掃海業務の担当機関は海軍省、第二復員省、
運輸省、海上保安庁、海上自衛隊へと移管され、
掃海部隊は今日に至るまで、その伝統は受け継がれている。
海上自衛隊が保有する警備艦艇約120隻の内、
その三分の一を掃海艦艇が占めているのが現状である。

身勝手なフニャチンのヤンキーどもに文句を言いたい。
国際法では、戦後の機雷処理は当事国(敷設した国)の責任で
行うべきところを、連合国軍最高司令官総司令部GHQは、
敗戦国であった我が国に掃海を命令したのは、国際法違反である。
合衆国政府は、その非を詫びた上で、遺族に賠償しろ!

朝鮮半島地図元山

戦後、米海軍太平洋艦隊機雷戦部隊は、兵員の動員解除やら、
軍事予算削減やらで、掃海駆逐艦は太平洋巡洋駆逐艦部隊に、
掃海艇は太平洋艦隊補給部隊に配属させた結果、機雷戦の
戦術研究には進展がなく、掃海訓練も減少していた為、
その対機雷戦即応能力を大幅に低下させていたのだ。

そこで、我が国の掃海部隊の協力が必要となり、1950年10月、
占領軍から海上保安庁に朝鮮海域に於ける掃海活動の命令が下された。
海上保安庁法の第25条に「海上保安庁は非軍事組織である」と
明記されていたにも拘わらず、当時は対日講和条約草案が検討
されていた微妙な時期であったことから、吉田茂首相は
憲法違反の日本特別掃海部隊派遣を秘密裏に行うこととした。



北朝鮮元山沖に敷設されたソ連製の機雷除去は、
国連軍の反攻作戦元山上陸に必要な敵前掃海であった。
日本の掃海部隊の参戦が作戦自体に組み込まれていたのだ。
掃海艇20隻、母船1隻、巡視船4隻、延べ1200名を
朝鮮水域に投入することとなった。

元山 触雷1

元海軍中佐で、能勢省吾運輸事務官を指揮官とする
第2掃海隊は10月17日、元山沖を4隻で掃海して、
いたところ、1隻が浅海面で触雷して木っ端微塵となり、
船倉に降りていた中谷坂太郎隊員(21歳)が行方不明
22名が重軽傷を負った。
本来であれば、浅深度の小掃海の後に、日本特別掃海部隊が
掃海すべきところを、上陸作戦の開始を2日後に控えていた
ことから、米軍は掃海の安全性を犠牲にして、掃海の続行を
命じて来たのだ。

日本側の「触雷必至が予想される掃海は出来ない」との
浅海面小掃海の要望は却下され、米軍は
「日本の掃海艇3隻は15分以内に出港して、内地に帰れ!
然らざれば、15分以内に掃海に掛かれ!」と無礼千万な
厳命を吐いた。

能勢指揮官率いる第2掃海隊は帰国したが、海上保安庁では
現地掃海部隊に、米軍に指示された掃海任務に精励するように
長官命令が発令された。
吉田首相のメッセージは、
「日本政府としては、国連軍に対し全面的に協力し、
これに依って、講和条約を我が国に有利に導く考えである。
全力を挙げて掃海作業を実施し、米海軍の要望に副って
頂きたい」ということであった。
米極東軍司令部から、
「能勢指揮官及び3名の艇長を、航路啓開部隊から排除せよ」
との強硬な指示が出され、彼ら4名は責任を取って退職した。

元山上陸500

この日本特別掃海部隊の参戦は、
極東海軍司令官の命令に依る掃海作業であったが、
国連軍としては形式上、臨時雇用と位置付けていた。
一方、特別掃海部隊の艇長達は、日本国政府の命令に依る
公務員の業務として、戦時下の朝鮮海域で活動したのである。
国際法上、実に曖昧に強いられた憲法違反の戦闘行為であったのだ。

機雷掃海部隊の殉職者79名の内、朝鮮戦争に参戦した
日本特別掃海部隊での行方不明者である中谷坂太郎隊員は
その実、戦死である。

掃海艇500

1991年にペルシャ湾に派遣されたのは、世界有数の掃海技術を
誇るとされる海上自衛隊の掃海部隊であった。
しかし、我が国の掃海部隊が対応して来た機雷の多くは
太平洋戦争当時のもので、その後に大きく進歩発達した機雷には、
当時、充分に対応出来なかったと湾岸海域での掃海を指揮した
落合海将補は語っていた。

自衛隊 掃海特別訓練

装備としては、ヨーロッパ諸国の海軍の方が勝っていたようだ。
その後、海上自衛隊の掃海部隊は装備面でも近代化、大型化を
進めているようである。




スポンサーサイト
タグ :
コメント
富田様

初めまして!
コメントを、誠にどうも有難うございます。

そうですか。
朝鮮戦争に就いて、お調べですか。
私も歴史が好きで、特に我が国の近現代史を研鑽しています。
折がございましたら、どうぞまた、ご来訪下さいませ♪

【2014/05/28 00:17】 | 詠山 史純 #- | [edit]
はじめまして。同じ気学を実践しているものです。
朝鮮戦争についてネットで調べていました。大変興味深いです。

また、訪問させてもらいます。

【2014/05/27 06:09】 | 富田成一 #TBb5cWT2 | [edit]












管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
トラックバックURL:
http://kannoeizan.blog111.fc2.com/tb.php/69-a918db6d
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。