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ロッキードP-38とチャールズ・リンドバーグ①…プロローグ

 2017-08-11
ロッキードP-38とチャールズ・リンドバーグ①

…プロローグ


大東亜戦争で日本軍と戦った、アメリカ陸軍航空軍第475戦闘航空群のロッキード
P-38ライトニング(Lockheed P-38 Lightning)パイロットの中には、太平洋戦線に
於ける最大の功労者は、チャールズ・A・リンドバーグ(Charles Augustus
Lindbergh)であったと極論する者が居た。
「幕末の三舟」と称された一人、勝海舟が赤坂氷川に隠居した晩年、坂本龍馬を
評し、「薩長連合、大政奉還、あれはみんな龍馬一人でやったことさ」と述べたのに似て、
極端に大袈裟な物言いであるが、C・リンドバーグがP-38ライトニングの
性能(航続距離)向上に多大な貢献を果たしたことは確かである。

昭和2年(1927年)、「スピリットオブセントルイス号」を駆って、5,810kmの
飛行距離を33時間29分30秒で飛び、初めて大西洋単独無着陸飛行を成功させた
C・リンドバーグは、その燃費効率向上術で航続距離を増大させ、P-38ライトニングの
行動半径を400マイル(約640km)から600マイル(約960km)にまで拡げ、
6~7時間であった作戦飛行時間を10時間以上にまで伸ばしたと評価されている。
(左右内翼に懸吊する増槽《補助燃料タンク》の種類に依り、事情は異なるが)
空戦の最前線に於いて、機体を改造することなく、燃費効率の良い操縦技術を
駆使し、メーカーのロッキード社でさえ認識していなかったその性能を最大限に
引き出した事例は、極めて稀なことであったに違いない。


C・リンドバーグはヨーロッパ戦線へのアメリカの参戦に反対したことから、
フランクリン・ルーズベルト大統領に依って軍籍を剥奪され、当時は一民間人に
過ぎなかったが、P-38に搭乗して、約50回の飛行を行った。
偵察飛行に同行した際に遭遇した日本軍機(陸軍九九式襲撃機or九九式軍偵察機)を
対進戦闘で撃墜までしている。
九九式襲撃機は複座であったから、C・リンドバーグは軍籍になかったにも拘わらず、
日本人を二人殺していることになる。
真に残念ながら、当該機の固定武装が、翼内2挺の7.7 mm 機関銃から、12.7 mmに
換装されていたとしても、中央胴に強力な火力を集中したP-38の敵ではなかったに
違いない。


第117記事1
レイテ湾上で作戦中の第475戦闘航空群第431戦闘飛行隊
フレデリック・チャンプリン大尉機
※画像は、米国のサイト「WORLD WAR Ⅱ TODAY」依り、拝借。


第117記事2
昭和19年(1944年)5月、ニューギニアのエミラウ島に滞在中の
チャールズ・リンドバーグ(左から二人目)
※画像は、豪州のサイト「AUSTRALIA@WAR」依り、拝借。


第117記事3
昭和19年(1944年)7月、ニューギニア島のホランジアで、
P-38J型のコックピットに搭乗するチャールズ・リンドバーグ
※画像は、豪州のサイト「AUSTRALIA@WAR」依り、拝借。




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