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日本国憲法第9条 …マッカーサー元帥の理想

 2010-10-10
日本国憲法第9条

  …マッカーサー元帥の理想




【日本国憲法第9条】
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
  国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
  国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
  これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本国憲法は前文第2項「恒久平和の原則」を受け、
第2章で「戦争の放棄」を謳い、一切の戦力の不保持、
武力の使用の否認を宣言したものとなっている。

第1項で戦争と武力による威嚇、武力の行使を放棄し、
第2項で戦力の不保持と交戦権の否認を定めている。
軍備も、それによる戦争行為も認めていない明快な条文である。
第9条を直裁に読めば、国際法上認められる自衛戦争も憲法上、
我が国には出来ないことになる道理である。

第9条の下での自衛戦争の可否については、
1946年の衆議院憲法改正委員会審議で、日本共産党の
野坂参三衆議院議員は自衛戦争と侵略戦争を区別した上で、
「自衛権を放棄すれば民族の独立を危くする」
「侵略戦争の放棄だけにすべきで、正しい戦争はやれるようにすべき」
と第9条に反対し、日本共産党は議決で賛成しなかった。

また、南原繁貴族院議員も日本共産党と同様に「国家自衛権の正統性」と、
「 将来、国連参加の際に国際貢献で問題が生ずる」との危惧感を表明し、
「互に血と汗の犠牲を払うことなく、世界恒久平和の確立をする
国際連合に参加出来るのか?」という論旨であった。



それに対して吉田首相は、第9条は一切の軍備を禁止し、
自衛戦争をも放棄したものとして答弁している。
「戦争放棄に関する本案の規定は、直接には自衛権を否定はして
おりませぬが、第9条第2項において一切の軍備と国の交戦権を
認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄
したのであります。従来近年の戦争は多く自衛権の名において
戦われたのであります。…故に我が国においてはいかなる名義を
もってしても交戦権はまず第一自(みずか)ら進んで放棄する。
…世界の平和確立に貢献する決意をまずこの憲法において
表明したいと思うのであります。」
「かかる思い切った条項は、およそ従来の各国憲法中まれに類例を
見るものであります。」

当時と現在とでは、憲法第9条に対する解釈が政府と日本共産党とで
大逆転しているところが滑稽でもある。

現在でも、世界に比類なき平和主義の憲法であると評価し、
第9条が護憲運動の拠り所となっている向きがあるが、
日本国憲法施行直後に刊行された解説書でも同様で、
美濃部達吉教授は、「嘗て他国に類の無い絶対的の戦争抛棄を
宣言することとなったのである」
佐々木惣一教授も、「一国が、その憲法において、戦争の絶対放棄や
戦力の放棄やを規定することは、他の国には絶てその例がない」
東京大学憲法研究会の著書では、「徹底して戦争を放棄した点で、
本条(第9条)は世界史的な特色を有することが明らかになった」
と叙述されている。

パリ不戦会議400

しかし、実はそうでもないのである。
歴史上、最初に平和主義条項を謳ったのは日本国憲法ではない。
第一次世界大戦の反省として、1919年のベルサイユ平和条約、
1924年のジュネーブ議定書、1925年のロカルノ条約などを経て、
1928年に締結された不戦条約では、「国際紛争解決の手段としての
戦争」と「国策遂行の手段としての戦争」が違法とされている。

「戦争放棄に関する条約」(パリ不戦条約)
第1条
締約国は国家間の紛争の解決のために戦争に訴えることを非とし、
且つ彼ら相互間の関係において、国家政策の手段としての戦争を
放棄することを、各々の人民の名において厳粛に宣言する。

第2条
締約国は彼らの間に起こる総ての争議または紛争は、その性質
又は原因の如何を問わず、平和的解決によるの外にその処理
または解決を求めないことを約束する。

この「戦争放棄に関する条約」(Treaty for the Renunciation of War)
ケロッグ・ブリアン条約が、日本国憲法9条の参照元であることは
憲法学の常識である。

パリ不戦条約会議400

また、1935年当時はアメリカ合衆国の植民地であった
フィリピンで制定された、コモンウェルス(フィリピン)憲法
第2条第3項
「フィリピンは国家政策の手段としての戦争を放棄し、
一般的に確立された国際法の諸原則を国内法の一部として
採用するほか、(平和、自由、平等、協調および全ての国民との
親善を政策として遵守する)」
として、戦争放棄を謳っている。

1935 Philippines Constitution
Article 2
Section 3
The Philippines renounces war as an instrument of national policy,
and adopts the generally accepted principles of international law
as part of the law of the Nation.

実は、この条項が制定された1935年当時、第9条の原案者であった
ダグラス・マッカーサーは参謀総長を退任した後、フィリピン軍の
軍事顧問に就任していた。
アメリカ合衆国が自国の植民地フィリピンを1946年に独立させる
ことを決定した為、フィリピン国軍を創設する必要があり、
マッカーサーの友人であった、初代大統領就任予定者マヌエル・
ケソンの依頼で、陸軍元帥として軍事指導に当たっていたのだ。



ダグラス・マッカーサーは、1899年にウェストポイント
米陸軍士官学校にトップ入学、1903年に陸軍少尉として卒業した。
陸軍工兵隊少尉任官後、初めて配属されたのが当時、アメリカの
植民地であったフィリピンであり、彼の生涯に渡るフィリピンとの
関わりの始まりでもあった。
後年、アメリカ陸軍に復帰してからもフィリピン軍元帥の制帽を
着用し続けた事からも、彼のフィリピンに対する思い入れの強さが
伺える。

フィリピン憲法の戦争放棄条項とマッカーサー憲法とも言える
日本国憲法第9条第1項が類似していることは、注目に値するのだ。

マック仁川400

我が国同様に「国際紛争解決するための手段としての戦争放棄」を
憲法で謳っている国々は、アゼルバイジャン、エクアドル、
ハンガリー、イタリア、ウズベキスタン、カザフスタン、
フィリピンと7ヶ国ある。

「国際紛争の平和的解決」、「侵略戦争または攻撃的戦争の否認」、
「平和を国家目標に設定」、「中立政策の推進」など、平和主義条項を
憲法に明記している国家は124カ国に及ぶのだ。

このように、「国策遂行の手段としての戦争放棄」を明記した憲法は、
日本国憲法が嚆矢という訳ではないのだが、但し、平和主義=非武装
として、非武装を宣言している無謀な憲法は皆無である。

そもそも、日本国憲法はどんな事態の戦争行為をも一切、想定して
いないことが非現実的で理想主義的過ぎるのである。
従がって、大日本帝国憲法のように宣戦・講和や兵役の規定もない。
一切の戦力の不保持と戦争の否認を掲げ、徹底した非暴力主義を
謳っていることになる。
主権国家たるものが、このマック憲法を遵守することほど、
国民の生命と財産を危険に曝し、無責任極まりない態度の政府は
ないことになる。
それでいて、市民に武装する権利すら認めていないのだ。

マックとコート

この自衛戦争の放棄については、
連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、憲法草案起草の責任者
コートニー・ホイットニー民政局長に示した、日本の憲法改正に際して
守るべき三原則(マッカーサー・ノート)の中にも明記されていた。

「国権の発動たる戦争は、廃止する。
日本は、紛争解決のための手段としての戦争、さらに自己の安全を
保持するための手段としての戦争をも、放棄する。
日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。
日本が陸海空軍を持つ権能は、将来も与えられることはなく、交戦権が
日本軍に与えられることもない」

このように、マッカーサーノートでは「紛争解決の手段としての戦争」
=侵略戦争のみならず、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」
=自衛戦争をも放棄することを求めていた訳である。
もしも、このマッカーサー・ノート通りの文言が日本国憲法に
明記されていたならば、侵略戦争のみならず、自衛戦争をも
放棄するものと解釈しなければならなかったのだ。



GHQ民政局局長コートニー・ホイットニーの下で、日本国憲法の
GHQ草案作成の実質的な指揮を執り、ほぼ全ての内容を日本政府に
受け入れさせた、民生局次長チャールズ・ケーディス陸軍大佐は、
不戦条約が締結された1928年時、ハーバード・ロースクールに
在籍していたという。
その為に、マッカーサー・ノートの「紛争解決の手段としての戦争」
放棄は、1928年の不戦条約の引用であると理解出来たという。

しかし、「自己の安全を保持するための手段としての戦争さえをも」
の文言を明記することは、自衛戦争の放棄を意味することになり、
一国の憲法に明記することに躊躇いを覚えたことから、自衛戦争の放棄
までは「非現実的」との判断で、この文言を削除したというのである。
この件について、起草したGHQ草案に対し、マッカーサー元帥から
異を唱えられることがなかったので、ケーディス次長は自らの判断が
マッカーサー元帥の同意を得たものと考えたという。
つまり、この段階で日本国憲法9条1項は、1928年の不戦条約の
解釈への「転換」が行われたのである。

この段階で自衛戦争の放棄は避けられるものとなったものの、
軍隊の保持と交戦権が否認されている以上、実際には自衛戦争も
不可能なのだ。
国家の自衛権は軍隊によって行使されるのであるから、自衛権は
限りなくゼロに近いものとして、制限されることになる。

芦田均

1946年8月に衆議院憲法改正小委員会(委員長は芦田均氏)で、
第9条第2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を
挿入する修正が行われた。
「芦田修正」と呼ばれるこの文言の挿入に依って、
「原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが、
一定の条件の下に武力を持たないことになります。
日本は無条件に武力を捨てるのではないことは明白であります。
そうすると、この修正によって原案は本質的に影響されるのであって、
したがって、この修正があっても第9条の内容に変化がないという
議論は明らかに誤りであります」と芦田氏自身が証言している。

この「芦田修正」に依って、自衛戦争の為や国連軍や多国籍軍、
または国連の平和維持活動の為であれば、軍隊(戦力)と交戦権を
持てることになったと解釈出来るのである。
これで主権国家に固有の自衛権が留保されたことになったのだ。



1981年、ケーディス元民生局次長はインタビューに答えて、
「芦田氏はその修正案によって二つのことを果たそうと
意図していたようです。
第一には、日本が国連に加盟した暁には国連の平和維持軍に
日本も参加、貢献出来ることを可能にしておこうと考えていた。
第二には(中略)、日本はなお自国防衛の権利は有しているのだ
ということを明確にしておこうとした、と私は思いました。
特に、この自衛権については、私はそう言われなくても、
日本に固有の自衛権があることは考えていましたから、直ぐに
その修正には反対はない、と答えたのです」と語っている。

これら、ケーディス次長の「自己の安全を保持するための手段
としての戦争さえをも」の草案からの文言削除、特に「芦田修正」は
真意を露わにせず、さり気無く行われたことからか、面白いことに
日本国政府自身は当初、「自己の安全を保持するための手段としての
戦争さえをも」の意味が残っているかのような解釈をしたのである。

何れにせよ、国家の基本法たる憲法解釈で、自衛戦争是か非かの
議論をせねばならないような憲法に不備があるのは明らかである。

マック第一生命ビル400


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コメント
アマレナ様♪
ご訪問&コメントを、どうも有難うございました。
嬉しゅうございます♪

お返事が遅くなりまして、誠に申し訳ございませんでした。
いやはや、何とも、コメントを頂戴することなんて滅多にないことなので、
すっかり油断しておりまして、気付くのが遅くなってしまったという次第です。

いやはや、何とも、まぁ、恐縮の至りです。
お役に立てますのならば、どうぞご利用下さいませね♪
【2010/11/23 21:51】 | 詠山 #BFBtQilo | [edit]
 憲法9条2項に「前項の目的を達するため、…」を付け加えた経緯や、共産党が憲法9条に反対していたのは知ってましたが、それ以降はあやふやな部分がありました。
 私のブログへコピペさせて戴いて良いですか?
【2010/11/19 22:25】 | アマレナ #- | [edit]












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