日本の慟哭②…衆人環視の中でのBC級戦犯銃殺刑

 2018-04-22
日本の慟哭② 

…衆人環視の中でのBC級戦犯銃殺刑




田中久一陸軍少将(1889年-1947年) 兵庫県出身 陸軍士官学校22期
終戦時、第23軍司令官兼香港総督
昭和21年(1946年)3月、BC級戦犯指名され、10月9日、上海アメリカ軍事法廷で
死刑判決を受ける。
更に、昭和22年(1947年)3月、支那の軍事法廷で起訴され、同年3月27日、
広東で衆人環視の中、銃殺刑に処せられた。

辞世
「永年の 終りの歩み さわやかに 恵みの途を 辿りゆく吾」


田中久一中将A


田中中将 移送500


田中久一中将B


田中中将A500



支那のネット情報では、昭和22年(1947年)6月11日、南京に於ける
「松本浩」氏(詳細不明)の銃殺刑とある。


詳細不明A


戦犯処刑 支那H


※射殺した支那兵が被っているのは、ドイツ国防軍と同じM35型ヘルメットで、
蒋介石の国民党中央直轄軍はドイツ製のM35型を標準装備していた。

ナチス政権下のドイツは、昭和11年(1936年)に日独防共協定を締結する
一方で、昭和13年(1938年)まで、蒋介石の国民党軍に軍事顧問団を派遣し、
軍の育成や軍需産業の援助を継続していた。
このドイツ軍事顧問団は、昭和12年(1937年)の第二次上海事変では、同盟国の
日本軍に敵対し、支那軍の作戦計画を立案、ドイツ軍が第一次世界大戦中に
築いていたヒンデンブルクラインと呼ばれる要塞群を模した防御陣地を構築し、
塹壕戦を指導した。
概して、ナチス党は日本重視、ドイツ外務省は支那重視であったとされる。



以下、詳細は不明。

詳細不明C500


詳細不明D500


戦犯処刑2




チョン公の侮辱

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