華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 歴史随想

靖国神社四方山話② …安倍内閣総理大臣の談話~恒久平和への誓い~

靖国神社四方山話② 
…安倍内閣総理大臣の談話~恒久平和への誓い~



Good job!安倍晋三総理大臣の靖国神社参拝


五七の桐紋


安倍内閣総理大臣の談話
~ 恒久平和への誓い ~


平成25年12月26日

 本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げると
ともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。また、戦争で亡くなられ、靖国神社に
合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも、参拝いたしました。

 御英霊に対して手を合わせながら、現在、日本が平和であることのありがたさを噛みしめました。

 今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。
愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。
その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。

 今日は、そのことに改めて思いを致し、心からの敬意と感謝の念を持って、参拝いたしました。

 日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。
戦争犠牲者の方々の御霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を、新たにしてまいりました。

 同時に、二度と戦争の惨禍に苦しむことが無い時代をつくらなければならない。アジアの友人、
世界の友人と共に、世界全体の平和の実現を考える国でありたいと、誓ってまいりました。

 日本は、戦後68年間にわたり、自由で民主的な国をつくり、ひたすらに平和の道を邁進してきました。
今後もこの姿勢を貫くことに一点の曇りもありません。世界の平和と安定、そして繁栄のために、
国際協調の下、今後その責任を果たしてまいります。

 靖国神社への参拝については、残念ながら、政治問題、外交問題化している現実があります。

 靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足した今日
この日に参拝したのは、御英霊に、政権一年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの
無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。

 中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません。
靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであった様に、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、
韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています。

 国民の皆さんの御理解を賜りますよう、お願い申し上げます。

(首相官邸HP依り、転載)


安倍総理 靖国神社参拝
可愛い拍手ぱち2




可愛い拍手ぱち2






陸軍特攻誠第119飛行隊
陸軍特攻 誠第119飛行隊の遺影。 台湾桃園航空基地にて。 
昭和20年4月22日午前8時半頃、出撃1時間半前の写真。
少年飛行兵出身14名の搭乗員達。
特攻散華を目前にしていながら、護国の覚悟に輝くばかりの笑顔を見せる、
18歳から19歳の天晴れな日本男児達。 泣きまくり


(西村真悟衆議院議員のHP依り、拝借)


岩手県北上市展勝地
岩手県北上市展勝地の見事な桜並木 愛おしいなぁ


少なくとも江戸時代からの日本人の子孫である大和系日本人であるならば、
偽論である東京裁判史観、自虐史観に惑わされることなく、先祖への尊崇の念と
祖国への愛念を胸に抱きつつ、真摯に正視眼的に祖国の近現代の歴史的事実に
向き合うべきではないのか。










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2013/12/28 20:11 | 歴史随想COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

靖国神社四方山話① …洒落臭ぇ!アメリカ国務省の「失望」談話発表

靖国神社四方山話① 
…Good job!安倍晋三総理大臣の靖国神社参拝


洒落臭ぇ!アメリカ国務省の「失望」談話発表




12月26日午前、安倍晋三総理大臣が東京都千代田区の靖国神社に参拝された
ことに対し、同日午後、在日アメリカ合衆国大使館は、「アメリカ合衆国は政府は
失望している」とする声明を発表した。

声明文には、「日本は大切な同盟国であり、友好国である。
しかしながら、日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を
取ったことに、アメリカ合衆国政府は失望している」
「アメリカ合衆国は、日本と近隣諸国が、過去からの微妙な問題に対応する
建設的な方策を見い出し、関係を改善させ、地域の平和と安定という共通の
目標を発展させる為の協力を推進することを希望する。
「アメリカ合衆国は、首相の過去への反省と日本の平和への決意を再確認する
表現に注目する」とある。      (アメリカ合衆国大使館HP依り)


また、アメリカ合衆国国務省のサキ報道官も26日、「日本は大切な同盟国だが、
日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに
アメリカ合衆国政府は失望している」と、在日アメリカ合衆国大使館が発表
した声明と同じ内容の談話を発表した。


安倍総理 靖国神社参拝
可愛い拍手ぱち2


我が国の実質的な敗戦国状態の継続を望むアメリカ合衆国政府からして見れば、
「戦後レジームからの脱却」(戦後社会体制からの脱却)を標榜し、日本国の
真の独立国への大転換を意図する安倍晋三総理大臣の存在は、邪魔者以外の
何者でもない。
日本国政府も「アメリカ合衆国政府には失望している。ほとほと愛想が尽きた」
との声明を発表してやれば良いのである。
アメリカ合衆国は、日本の同盟国ということになっているが、歴史的経緯からして、
この関係を譬えれば、聡明で気立ての良い美女を強姦し捲くった、低能でフニャチンの
荒くれ男が彼女の家に居座り、勝手に亭主の座に収まっているようなものである。
好機さえ訪れれば、こんな馬鹿男とは上手に別れ、他人になりたいと願うのは、
当然の理である。


昭和20年(1945年)の敗戦で、我が国は連合国軍に占領され、名目上は間接統治の
形態を取りながらも、実質的には極東委員会、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の
直接統治の管理下に置かれた。

連合国の中核を為したアメリカ、イギリスは、対ドイツ占領政策に当たっては、
「ドイツ民族は本来、優秀な民族であるが、ナチ党の政治指導に依って、国策を
誤ったのであって、本来のドイツ文化を復興させる」との態度で臨んだが、
対日占領政策では、「日本という国も日本人も得体の知れない化け物であるから、
軍隊は元より日本の国体、つまり天皇と臣民の関係から皇族の弱体化や、
日本の伝統文化、神道から歴史教育、家族制度、土地制度に至る、何から何まで
徹底的に解体させる」という強い意志の下に、極端に社会主義的な政策を取り、
焚書という前近代的な蛮行まで行なった。
靖国神社は進駐当初、更地にする計画であったが、それどころか、全ての神社
という神社を地上から抹殺させる意見まで挙がっていたのである。


GHQ民間情報教育局(CIE)は日本の占領政策で、WGIP(ウォー・ギルト・
インフォメーション・プログラム)と呼ばれるプロパガンダ計画を遂行し、
「アメリカは正義の国、日本は極悪非道な国」「アメリカは民主主義の国、
日本は軍国主義の国」「都市の無差別爆撃も原爆投下も何もかも自業自得で、
アメリカに文句も言えないほど、全て日本が悪かった」「軍国主義者が悪かった」
「国家神道が悪かった」「アメリカは軍国主義の国日本に、民主主義を齎して
くれた、有り難い、立派な正義の国」「日本は何から何まで駄目な国」という
自虐史観を、敗戦で失意のどん底に在った日本人の心に植え付けた。



明治大帝の御製 靖国神社
明治大帝御製 可愛い拍手


アメリカ合衆国は、平然と国際法違反を犯す国家である。
ハーグ国際陸戦法条約の第三款「敵国の領土における軍の権力」
第43条に、「国の権力が事実上、占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な
支障がない限り、占領地の現行法律を尊重し、なるべく公共の秩序及び生活を
回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない」とあり、
第46条には、「家の名誉及び権利、個人の生命、私有財産並びに宗教の信仰
及びその遵行を尊重しなければならない。私有財産は没収できない」とあり、
占領軍の「宗教に対しての干渉」を違法として、禁じている。


昭和20年(1945年)12月15日、GHQは「ハーグ国際陸戦法条約を守る」と
言明していたにも拘わらず、「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、
保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」という表題の指令、略称「神道指令」
を「日本国政府宛覚書」として発し、越権の宗教干渉を強行した。


そもそも、GHQは本国で相手にされないニューディラー(社会主義者)の
吹き溜まりであったとの悪評があり、特に日本国憲法の総司令部案を起草した
GHQ民生局(GS)などはソ連のスパイの巣窟であったと後日、判明している。
何よりも許し難いのは、神道指令を起草した、GHQ民間情報教育局(CIE)の
宗教局長W・K・バンズには、「神道の何たるか」、「神社神道の何たるか」、
「国家神道の何たるか」という知識が全く無かったにも拘わらず、10月23日
に書かれた第1次草案から第6次草案まで、僅か6週間という拙速の作業で、
日本の民族精神の根幹に関わる神道に干渉する指令を完成させたことである。


尤も、日本国憲法の総司令部草案に至っては、GHQ民生局(GS)が6日間の
拙速作業で完成させたのであるが。 


有楽町を行進する進駐軍
有楽町を行進する進駐軍  

 大和民族を舐めんじゃねぇ!日米安全保障条約を即時破棄してやる!ヤンキー ゴー・ホーム!



陸軍特攻誠第119飛行隊
陸軍特攻 誠第119飛行隊の遺影。 台湾桃園航空基地にて。 
昭和20年4月22日午前8時半頃、出撃1時間半前の写真。
少年飛行兵出身14名の搭乗員達。
特攻散華を目前にしていながら、護国の覚悟に輝くばかりの笑顔を見せる、
18歳から19歳の天晴れな日本男児達。 泣きまくり

(西村真悟衆議院議員のHP依り、拝借)


岩手県北上市展勝地
岩手県北上市展勝地の見事な桜並木 愛おしいなぁ


少なくとも江戸時代からの日本人の子孫である大和系日本人であるならば、
偽論である東京裁判史観、自虐史観に惑わされることなく、先祖への尊崇の念と
祖国への愛念を胸に抱きつつ、真摯に正視眼的に祖国の近現代の歴史的事実に
向き合うべきではないのか。










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2013/12/28 05:47 | 歴史随想COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

ジェファーソン・デイヴィスの論考の一節 …パール判決書に引用された一文

ジェファーソン・デイヴィスの論考の一節 

…パール判決書に引用された一文



アメリカ南北戦争(American Civil War 1861年~1865年)終結後、
旧南軍(アメリカ連合国軍)のアンダーソンヴィル捕虜収容所に於ける、
北軍(アメリカ合衆国軍)捕虜への虐待行為に就いて、軍事裁判が開かれ、
収容所の責任者であったヘンリー・ワーズ(Henry Wirz)大尉(1823年-
1865年)は、南北戦争で戦争犯罪を問われ、死刑に処せられた唯一の人物
として、絞首刑に処された。


南北戦争1


裁判での絞首刑宣告後、収監中のワーズ大尉に北部の有力政治家から使者が
派遣され、「元南部連合大統領のジェファーソン・デイヴィス(Jefferson Davis)も
捕虜虐待に加担していたと証言してくれれば、死刑を取り止めるが…」との
申し出があったが、彼は「そんな嘘は吐けない」とその司法取引を拒否し、
1865年11月10日、首都ワシントンで衆人環視の中、絞首刑に処された。


ワーズ処刑1


ジェファーソン・デイヴィス(1808年-1889年)は米国陸軍士官学校
(ウェストポイント)出身のエリート軍人、政治家であった。
1844年、ミシシッピ州選出の下院議員に当選するも、1846年にメキシコとの
米墨戦争が勃発すると議員を辞職、ミシシッピ州の義勇軍(州軍)に志願し、
ミシシッピ・ライフル兵連隊の義勇軍大佐として、前線で活躍。
デイヴィスは戦後、政界に復帰、1861年1月、連邦上院に於いて、ミシシッピ州
代表として、連邦からの分離を宣言し、議員辞職した。
デイヴィスは南軍の義勇軍少将として、ミシシッピ州軍の指揮官に任命され、
1861年2月、「連合国憲法制定会議」(実質的なアメリカ連合国の準備政府)の
要請を受諾し、南部連合の暫定大統領に就任した。
南部戦争当時の人口は、北部2200万人、南部900万人、内400万人が奴隷。
動員数は北軍156万人、南軍60万人で、死者62万人。
1865年4月3日に南部の首都リッチモンドが陥落、9日に南部連合軍司令官
ロバート・リー(Robert Lee)将軍が降伏し、南北戦争は事実上、終結した。
1865年5月、デイヴィスはバージニア州ハンプトンのモンロー砦に収監され、
国家反逆罪の審議が行われたが、1869年に起訴は取り下げられた。



          ジェファーソン・デイヴィス(1808年-1889年)

JD大統領就任式
        ジェファーソン・デイヴィスの南部連合(アメリカ連合国)
        大統領就任式 1861年2月


デイヴィスは81歳で亡くなる前年の1888年、ワーズ大尉の冤罪を実証的に
論証する捕虜虐待問題の論考を書いた。
その論考の中で、ワーズ大尉の汚名がいつかは雪がれるであろうと書いた。

When time shall have softened passion and prejudice, when Reason shall
have stripped the mask from misrepresentation, then, justice, holding evenly
her scales, will require much of past censure and praise to change places.

「時が、熱狂と、偏見を和らげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を
剥ぎ取った暁にはその時こそ、正義の女神はその天秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くに、その所を変える事を要求するであろう」


南部連合軍の戦死者を追悼する女性団体であるUDC「南部連合の娘たち
(The United Daughters of the Confederacy)」は1908年、ワーズ大尉の
鎮魂の為、アンダーソンヴィルに記念碑を建立し、その第4面にデイヴィスの
上記の言葉が刻まれた。


Wirzモニュメント
          The Wirz Monument アンダーソンヴィル


昭和23年(1948年)11月12日、極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決が下った。
11人の判事の内、唯一の国際法の専門家であったインド代表のラダ・ビノード・
パール判事は、極東国際軍事法廷が下した判決に対し、英文で1275ページにも
及ぶ反対意見書(Dissentient Judgement)を提出し、東京裁判は勝者が敗者を
一方的に裁いた、国際法に違反する復讐であるとしてその違法性と、起訴の
非合理性を主張した。
※このパール判事の「反対意見書」は一般に、「パール判決書」と呼ばれている。


パール判事は、南北戦争に於けるワーズ裁判と、大東亜戦争に於ける東京裁判
に類似性を見て取り、ジェファーソン・デイヴィスの言葉を反対意見書の中に
引用したに相違ない。

"When time shall have softened passion and prejudice, when Reason shall
have stripped the mask from misrepresentation, then, justice, holding evenly
her scales, will require much of past censure and praise to change places."と、
引用符「” ”」が用いられているのは、その所為である。


靖国神社内の顕彰碑
                  靖国神社内のパール判事顕彰碑

京都護国神社内の顕彰碑
                  京都護国神社内のパール判事顕彰碑






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2013/10/03 19:26 | 歴史随想COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

捕虜虐待という戦争犯罪の概念…アンダーソンヴィル裁判からBC級戦犯裁判へ

捕虜虐待という戦争犯罪の概念

…アンダーソンヴィル裁判からBC級戦犯裁判へ



昭和20年(1945年)8月14日午後11時、大日本帝国はポツダム宣言受諾を
連合国に通達し、事実上の無条件降伏をした。
厳密に言えば、大日本帝国陸海軍の無条件降伏であって、大日本帝国自体の
無条件降伏ではないのであるが。

ポツダム宣言の第10項に、「われわれは、日本を人種として奴隷化するつもり
もなければ国民として絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を
虐待した者を含めて、すべての戦争犯罪人に対しては、厳重な処罰を加える
ものである。……」とある。

(10)we do not intend that the japanese shall be enslaved as a race or
destroyed as a nation, but stern justice shall be meted out to all war
criminals, including those who have visited cruelties upon our prisoners.

終戦後、敗戦国日本はこのポツダム宣言10項に依拠する戦犯裁判で、5,000人
を超える旧日本軍将兵が裁かれ、国内外で獄中死も含み、1,068人が落命した。
特に捕虜収容所勤務者は、死刑を含む重罪に処せられた。



痩せさらばえた北軍兵士1 1863年撮影、1864年公表


痩せさらばえた北軍兵士2 1863年撮影、1864年公表

ワーズ裁判1
ワーズ裁判(映画の1シーン)

ワーズ裁判2
ワーズ裁判(映画の1シーン)

ワーズ裁判4
ワーズ裁判(映画の1シーン)


極東国際軍事裁判所条例に於ける、A級B級C級戦争犯罪という戦争犯罪類型
は、単なる分類であって、戦争犯罪の軽重を意味している訳ではない。

A級戦争犯罪とは、「平和に対する罪」(Crimes against Peace) であり、
東京の極東国際軍事裁判所(市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂)で審理された。
B級戦争犯罪とは、「通例の戦争犯罪」( Conventional War Crimes) であり、
戦時国際法に於ける交戦法規違反行為を意味し、戦場地域の各国に於いて、
審理された。
C級戦争犯罪とは、「人道に対する罪」( Crimes against Humanity) であり、
日本に対しては殆ど適用されなかったとは言え、現実には、「捕虜虐待の指揮、
監督当たった士官など」をB級、そして、「直接捕虜を取り扱い、虐待の命令を
具体的に実行した、主に下士官、兵士、軍属」がC級として、処断された。


Henry Wirz3
南軍アンダーソンヴィル捕虜収容所所長 ヘンリー・ワーズ大尉


ワーズ裁判


ワーズ裁判


現代の日本人は、戦争を倫理的判断から絶対的な罪悪と捉え、法律論より
道義論に走る傾向が強いが、国際法上、戦争自体は合法的な行為であり、
違法行為ではない。

「侵略戦争は犯罪である」との見解があるが、「侵略戦争」は「aggressive war」
の和訳で、本来は「先制攻撃」程度のニュアンスでしかない。
平成7年(1995年)8月15日に大日本帝国の植民地支配と侵略を謝罪する
「村山談話」を発表した村山富市元首相は「武力で敵国に乗り込めば、それが
侵略」と述べたが、実は侵略戦争の定義は国際的にも明確に定まってはいない。
国際法に於いては、「aggressive war」は犯罪とはならないのである。
そうであるからこそ、国際軍事裁判所条例(1945年8月8日、英米仏ソ4ヶ国
がロンドンで調印した、ニュルンベルク裁判及び、東京裁判の基本法)以前に
は存在しなかった「平和に対する罪」と「人道に対する罪」という新しい犯罪
規定の事後法が適用されたのである。

戦争犯罪とは言え、戦争自体は国際法上、合法的行為であることから、
戦場で展開された戦闘行為を犯罪と見做すものではない。
連合国が特に拘ったのは、ポツダム宣言の第10項に「捕虜を虐待した者」云々
とあるように、捕虜への暴行や食事、医療の不充分な処遇であって、多くの
旧日本軍将兵がB級、C級戦争犯罪人として、裁かれたのである。
食事に沢庵を出したケースでは、捕虜に腐った物を食わせたと死刑に処され、
ゴボウを出したケースでは、木の根っこを食わせたと死刑に処され、神経痛の
捕虜に好意でお灸を据えてやったケースでは、火責めの拷問に掛けたと死刑に
処され…と極めて理不尽な理由で処刑されているのである。

アメリカ映画には「第17捕虜収容所」(1953)や「戦場にかける橋」 (1957)、
「大脱走」 (1963)、「勝利への脱出」(1981)、「ジャスティス」 (2002)等々、
捕虜収容所を扱った名作が数多いが、日本人には理解し難いほど、捕虜の待遇
には強い拘りを持っているようである。
尤も、イラクのアブグレイブ刑務所に於ける捕虜虐待事件では、BC級戦犯裁判
であれば、死刑に処されていたはずの罪状でも禁固刑で済まされているように、
自国の軍隊の捕虜虐待体質に対しては追求が甚だ甘い。
そう言えば、昨年の暮れ、アンジェリーナ・ジョリーの監督で、日本軍に依る
捕虜虐待を描く小説「Unbroken: A World War II Story of Survival, Resilience,
and Redemption」が映画化されるという報道があったが、どうなったことやら。


アンダーソンビル収容所7
南軍のアンダーソンヴィル捕虜収容所 ジョージア州

アンダーソンビル収容所1
南軍のアンダーソンヴィル捕虜収容所 ジョージア州

アンダーソンビル収容所5
南軍のアンダーソンヴィル捕虜収容所 ジョージア州

アンダーソンビル収容所4
南軍のアンダーソンヴィル捕虜収容所 ジョージア州

アンダーソンビル収容所2
南軍のアンダーソンヴィル捕虜収容所 ジョージア州

アンダーソンビル収容所3
南軍のアンダーソンヴィル捕虜収容所 ジョージア州


戦後に捕虜虐待の責任者を追求するという裁判の雛形は、アメリカ合衆国の
南北戦争(American Civil War 1861年~1865年)の戦後処理にあった。
南北戦争の終結後、旧南軍(アメリカ連合国軍)の捕虜収容所に於ける、
北軍(アメリカ合衆国軍)捕虜への虐待行為に就いて、軍事法廷が開かれた。
その結果、ジョージア州のアンダーソンビル(Andersonville)捕虜収容所の
所長であったヘンリー・ワーズ(Henry Wirz)大尉が絞首刑に処せられた。
620,000人もの死者を出した大戦争で戦争犯罪を問われ、死刑に処せられた
唯一の人物が捕虜収容所勤務者であったのである。

南北戦争に於ける捕虜収容所の環境は南軍北軍を問わず、悲惨であったという。
開戦当初、リンカーン大統領は、捕虜の交換は南部連合を政府として公認する
ことを意味するとして、捕虜の交換を拒否していたが、特にヴァージニア戦線で
大勢の北軍兵士が南軍の捕虜となる事態を迎えるに至り、捕虜交換を諒承した。
1862年7月、北軍ジョン・ディックス(John Dix)将軍と南軍ダニエル・ヒル
(Daniel Hill)将軍間の交渉で、全ての捕虜は原則10日以内に交換、若しくは
従軍しないことを条件に仮釈放すること、階級に応じた交換比率が決められた。
しかし、1863年に北軍が黒人兵を投入、南軍は拘束した黒人兵を捕虜として
認めなかったことから、この協定は機能しなくなった。
1864年3月に北軍の総司令官に就いたユリシーズ・グラント(Ulysses Grant)
将軍が従来の捕虜政策を転換させ、捕虜交換を停止させたことから、両軍共に
捕虜収容施設の整備に苦慮することとなった。

1864年2月、ジョージア州アンダーソンヴィルに急造された捕虜収容所サムター砦
(Fort Sumter)は収容定員8,000人に対し、最盛期の同年8月には32,000人
が収容され、1865年3月に閉鎖されるまでの14ヶ月で延べ45,000人の捕虜
が収容された。
45,000人の内、13,000人が死亡し、29%の死亡率であった。
南北戦争全期を通して、捕虜収容所での死亡は、北軍兵士捕虜211,400人の
内、30,208人(14%)、南軍兵士捕虜462,000人の内、25,976人(6%)である
ことからして、アンダーソンヴィル捕虜収容所の29%の死亡率は異様に高かった。


キャンプダグラス
北軍のダグラス捕虜収容所 イリノイ州シカゴ 

キャンプチェイス1
北軍のチェイス捕虜収容所 オハイオ州コロンバス

キャンプチェイス
北軍のチェイス捕虜収容所 オハイオ州コロンバス

キャンプチェイス3
北軍のチェイス捕虜収容所 オハイオ州コロンバス


戦争の長期化で食料や衣料、医薬品が極端に不足し、アンダーソンヴィル捕虜
収容所では医療も施せず、深刻な過密状態の収容スペースは極めて劣悪な衛生
環境状態で、飲料水の不足、赤痢などの伝染病の発生にも苦しめられたという。
収容所から脱走した北軍兵士の証言で、その劣悪な環境は新聞でも報じられ、
解放以前からアンダーソンヴィル捕虜収容所の悪名は高かった。

1963年に捕虜交換で帰還した北軍兵士の痩せさらばえた姿を写した写真8枚が
1964年に公開され、その余りの悲惨さに衝撃を受けた北部人は南軍への憎悪を
滾らせ、連邦議会では虐待した者を絞首刑にするとの決議をした。
これらの写真の被写体は「生ける屍(living corpse)」と称され、
ニューヨーク・タイムズ紙やハーバーズ・ウイークリー紙などに掲載され、
収容所内での捕虜虐待の証拠写真になった。
これらの写真を、アンダーソンヴィル捕虜収容所の解放後に撮影されたとする
記事があるが、アンダーソンヴィル捕虜収容所の開設は1864年2月で、1865年
3月に閉鎖されていることから、当該写真の北軍捕虜は別の収容所に居たはずである。

戦後、アンダーソンヴィル捕虜収容所の責任者であったヘンリー・ワーズ大尉
(1823年-1865年)は逮捕され、1865年8月23日から10月18日までの裁判で
絞首刑が宣告され、11月10日に執行された。
捕虜の殺害と虐待を訴因とする裁判であったが、死刑執行後11日を経て、
証人の偽証が明らかになるなど、初めに有罪の結論有りきの杜撰な審議で
あったようである。
この軍事法廷の開廷4ヶ月前、1965年4月14日にリンカーン大統領暗殺事件
が起きていたことも、ワーズ大尉にとっての不運であったと言える。
軍事法廷での絞首刑宣告後、ワーズ大尉は北軍から「全ての罪を認めろ。
アメリカ連合国大統領のジェファーソン・デイヴィス (1808年-1889年)の
命令であったと供述すれば、罪を許す」との司法取引を持ち掛けられたが、
「そんな嘘は吐けない」と拒否し、従容と処刑台の階段を上ったという。

因みに、1865年は日本では元治2年で、慶応に改元された年である。
徳川家茂が長州再征を上奏、薩摩の西郷吉之助が流罪から帰藩、長州で正義派
のクーデターが成功、坂本龍馬と中岡慎太郎が薩長連合に奔走、土佐勤皇党の
武市半平太や岡田以蔵などが刑死、そんな時代であった。

ワーズ処刑8

ワーズ処刑6

ワーズ処刑2

ワーズ処刑3









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2013/10/02 12:06 | 歴史随想COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

被爆国としての原点に返れとは?…米国の新型爆弾に依る攻撃に対する抗議文

被爆国としての原点に返れとは?

…米国の新型爆弾に依る攻撃に対する抗議文



8月9日、田上富久長崎市長は長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の平和宣言で、
日本政府が今年4月、スイス・ジュネーブで2015年の核拡散防止条約(NPT)
再検討会議に向けた第2回準備委員会が開催され、南アフリカ共和国が
「核兵器の人道的影響に関する共同声明」を発表し、「広島、長崎への原爆投下
や核実験に依って、甚大な被害が齎された」「如何なる状況下でも、核兵器が
再び使用されないことが、人類生存の利益になる」「核兵器が再び使われない
ことを保証する唯一の手段は核廃絶である」と訴えたが、この共同声明に
賛同しなかったことを「被爆国としての原点に反する」として批判した。

田上市長は、「世界の期待を裏切った」「核兵器の使用を状況によっては認める
姿勢を示した」と述べ、日本政府に「被爆国としての原点に返ること」と、
核廃絶にリーダーシップを発揮するよう求めた。
また、原子力発電の技術を輸出する為、NPT未加盟のインドと原子力協定の
交渉を再開したことに就いても、「NPTを形骸化し、NPTを脱退し、核保有を
目指す北朝鮮などの動きを正当化する口実を与える」と批判した。


安倍総理 長崎1


田上市長の言う、「被爆国としての原点」とは一体、何ぞや。
田上市長はその長崎市長平和宣言の中で、先ず「68年前の今日、この町の上空に
アメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました」と述べた後、一転させて、
「この惨い兵器を作ったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったの
も人間です。核実験を繰り返し、地球を汚染し続けているのも人間です。
人間はこれまで数々の過ちを犯してきました」と述べた。

アメリカの爆撃機が原子爆弾を投下したのであるから、アメリカ人が作った
ものを敢えて「人間が作った。人間が使った」と言うのであるから、文明論でも
ぶち上げるのかと思いきや、何のことはない、「日本政府に、被爆国としての
原点に返ることを求めます」と繋げた。

南アフリカ共和国の提案した「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に
署名しなかった日本政府を「世界の期待を裏切った」と表現し、このことは、
「二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に
反する」と述べた。

しかし、その「被爆国としての原点」とやらに立った場合、日本が世界で
唯一の被爆国であるからと言って、何故に日本政府が世界人類に対し、
核兵器廃絶の責任だの、使命とやらを負わねばならぬことになるのか。
日本政府の責務は、二度と日本への核攻撃を許さないということであって、
他国民が核攻撃の惨禍を免れるか否かには、日本政府は責任を負ってはいない。


田上市長は、「GHQ民生局の軍人、軍属25人&コミンテルンのスパイ&日本人
売国奴共同制作の即席翻訳占領憲法」である日本国憲法の薄見っともない駄文
である前文を引用し、『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのない
ようにする』という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の
固い決意が込められています」と述べた。
しかし、国民的な議論も経ず、国民投票も行なわれること無く制定され、
施行されてから、現在に至るまで一度たりとも国民に信を問うてはいない、
進駐軍のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が書いたものの翻訳に、
「日本国民の固い決意が込められて」いる道理などないではないか。

日本国憲法前文の「政府の行為に依って…」との表現の意味するところは、
「日本国民が被った戦争の惨禍は、全て日本国政府が国策を誤ったことに
起因する。
日本国政府が悪かったのであって、米国政府は悪くない。 
原子爆弾を投下されたのも、日本国政府の所為であって、米国政府は悪くない。
全ての戦争責任は、日本国政府にある」という、米国の自己正当化の論理なのである。
要するに、田上市長は此処で、「原子爆弾を投下した米国政府の非道を糾弾する
のではなく、原子爆弾を投下されたのは日本政府の所為で、日本政府の責任」
と述べているのも同様で、実はこの論理は「米国の原爆投下容認論」と言えるのである。

これは広島の事例であるが、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」の説明文に、
「…誤った国策により犠牲となった多くの人々…」
「…その惨禍を二度と繰り返すことがないよう、後代に語り継ぎ…」
という表現がある。
広島でも、「米国に原子爆弾を投下されたのは、日本政府が国策を誤ったから」
という論理で、投下された日本が悪いことになっている「米国の原爆投下容認論」
に凝り固まっているのである。

田上市長が、日本政府のインドとの原子力協定交渉の再開に就いて、批判した件、
「NPTに加盟せず、核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国を
これ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります」
「NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、
朝鮮半島の非核化の妨げにもなります」という論理も、その底流は同じである。
北朝鮮の核武装化は、北朝鮮が批難されるべきことで、日本政府の与り知らぬ
ことである。
「日本政府が悪かったから、米国は原子爆弾を投下した」
「日本政府が悪いから、北朝鮮は核武装化を正当化する」
こんな倒錯した論理ではなく、「原子爆弾を投下した米国が悪い」「核武装化
する北朝鮮が悪い」とストレートに批難すれば良いのである。


田上市長は、「人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、
という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては
認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。
これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての
原点に反します」と日本政府を批判しておきながら、その実、自らが「米国の
原爆投下容認論」を語っていることの矛盾を認識出来ない程に、戦後の日本
国民は、東京裁判史観、自虐史観にその頭脳を侵されているのである。


田上富久長崎市長1


安倍晋三内閣総理大臣も、長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での挨拶で、
「私たち日本人は、唯一の、戦争被爆国民であります。
そのような者として、我々には、確実に、『核兵器のない世界』を実現して行く
責務があります。
その非道を、後の世に、また世界に、伝え続ける務めがあります」
「核兵器の惨禍が再現されることのないよう、非核三原則を堅持しつつ、
核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に、力を惜しまぬことをお誓いし、
私のご挨拶とします」と述べられたが、日本が世界で唯一の被爆国であるから
と言って、何も日本政府が世界人類に対し、核兵器廃絶の責務を負っている
訳ではないのである。
核兵器廃絶が、核兵器武装国家にしか出来ないことはものの道理である。


安倍総理 長崎2


田上市長はまた、「世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、
その90%以上がアメリカとロシアのものです。
オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に
取り組んで下さい。
『核兵器のない世界』を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき
課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。
核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけに任せるのではなく、
市民社会を構成する私たち一人ひとりにも出来ることがあります」
「我が国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。
非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和を求める市民の決意を
示すものです」
「市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します」と述べた。

非核武装国家の「核兵器廃絶宣言」だの、市民レベルでの「非核都市宣言」だの、
端から核武装していない国家の「宣言」などに実効力などあろうはずがない。
吉本新喜劇の役者さん、池乃めだかさんには、喧嘩でボコボコにやられた後、
散々な目に遭って、負けた側であるはずの池乃めだかさんが、「よっしゃ、
今日はこれ位にしといたるわ」と捨て台詞を吐く面白いギャグがあるが、
それと似たようなものである。

日本国は将来に亘って、非核三原則を国是とし、「GHQ民生局の軍人、軍属
25人&コミンテルンのスパイ&日本人売国奴共同制作の即席翻訳占領憲法」
である日本国憲法も後生大事に一言一句、手を付けることはないであろう。

核兵器に依る報復攻撃手段を持たぬ国家は、核攻撃を誘発する。
核兵器に依る報復攻撃手段を持たぬ日本は、相手国に核攻撃を躊躇わせる
ことはない。
日本はいつの日か、『公正と信義を信頼出来る、平和を愛する国民を有する』と、
日本国憲法前文がほざく周辺国家から、核攻撃を受けることになる。
生き残った日本国民が居たとするならば、その時、その人は「国策を誤った
日本政府の所為だ」と嘆くのである。





「被爆国としての原点に返れ」と言うならば、極東国際軍事裁判で倒錯した
自虐史観に依るのではなく、昭和20年8月10日、日本政府がスイス政府を
通じ、米国政府に差し出した「米国の新型爆弾による攻撃に対する抗議文」に
立ち返ることこそが、日本国民としての核兵器批判の原点に帰ることと言える
のではなかろうか。



「米国の新型爆弾に依る攻撃に対する抗議文」 (文責在詠山史純)

本月六日、米国航空機は広島市の市街地区に対し、新型爆弾を投下し、
瞬時にして、多数の市民を殺傷し、同市の大半を潰滅せしめたり。

広島市は何ら特殊の軍事的防衛乃至施設を施し居らざる普通の一地方都市にして、
同市全体として一つの軍事目標たるの性質を有するものに非ず。
本件爆撃に関する声明に於いて、米国大統領トルーマンは、我らは船渠
(せんきょ)、工場、及び交通施設を破壊すべしと言いおるも、本件爆弾は
落下傘を付して投下せられ、空中に於いて炸裂し、極めて広き範囲に破壊的
効力を及ぼすものなるを以つて、これに依る攻撃の効果を右の如き特定目標に
限定することは、物理的に全然不可能なこと明瞭にして、右の如き本件爆弾の
性能については米国側に於いても既にに承知しおるところなり。

また、実際の被害状況に徴するも、被害地域は広範囲に亘り、右地域内に
あるものは交戦者、非交戦者の別なく、また男女老幼を問わず、全て爆風、
及び幅射熱に依り、無差別に殺傷せられ、その被害範囲の一般的にして、
かつ甚大なるのみならず、個々の傷害状況より見るも未だ見ざる惨憺なるもの
と言ふべきなり。

抑々(そもそも)交戦者は害敵手段の選択に就き、無制限の権利を有するもの
に非ざること、及び不必要の苦痛を与うべき兵器、投射物、その他の物質を
使用すべからざることは、戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規
慣例に関する条約付属書、陸戦の法規慣例に関する規則第22条、及び第23条
(ホ)号に明定せらるるところなり。

米国政府は今次世界の戦乱勃発以来、再三に亘り、毒ガス乃至その他の
非人道的戦争方法の使用は、文明社会の世論に依り不法とせられをれりとし、
相手国側に於いて、先ずこれを使用せざる限り、これを使用することなかる
べき旨声明したるが、米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別
かつ惨虐性に於いて、従来かかる性能を有するが故に、使用を禁止せられおる
毒ガス、その他の兵器を遥かに凌駕しおれり。
米国は国際法、及び人道の根本原則を無視して、既に広範囲に亘り、帝国の
諸都市に対して、無差別爆撃を実施し来り、多数の老幼婦女子を殺傷し神社、
仏閣、学校、病院、一般民衆などを倒壊、または焼失せしめたり。

しかして、今や新奇にして、かつ従来の如何なる兵器、投射物にも比し得ざる
無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは、人類文化に対する新たなる罪悪なり。
帝国政府はここに自らの名に於いて、かつまた全人類および文明の名に於いて、
米国政府を糾弾すると共に、即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきこと
を厳重に要求す。





テーマ : 歴史 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2013/08/11 05:16 | 歴史随想COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP