華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 天神地祇

神々に捧げる言葉①…天津祝詞(あまつのりと)

神々に捧げる言葉①…天津祝詞(あまつのりと)

…禊祓詞(みそぎはらえのことば)



祝詞は、「宣り言(のりごと)」「宣り聞かせる言葉」を語源とするようで、
古くは神職がご祭神に対し、その霊力を讃え、祈願するところの成就を願う
言葉を申し上げる「奏上体」の祝詞と、祭祀の場に参集した人々に対して、
神に奏上するその祭祀の意義や目的を宣り聞かせる「宣命体」の祝詞に大別
されたようである。

奈良時代、律令体制が整備された段階で、神々に向かって捧げられる言葉は
中国の「祝文」に倣い、総べて「祝詞」と包括されたということであるが、
そもそも、神々の霊力を讃える「タタエゴト」(讃えごと)
願い事の成就を祈る「イハヒゴト」(祝ひごと)
祭儀の前に祓い清める為の「ハラヘコトバ」(祓え言葉)
卜占の結果を文字に表わした「ノリト」(祝詞)
天皇の長寿を讃える「ヨゴト」(寿詞)
葬儀で死者を弔う「シノビゴト」(誄《しのびごと》)と
用途別に呼び名が細分化されていたとのことである。

古代の日本人は自らの発する言葉に神霊を感じ、言葉に宿る神秘的な霊力を
言霊(ことだま)として、言語に対する畏怖の念を抱いていたと推察される。
「言霊は、いふ言(こと)に即ち神の霊まして、助くるよし也」(賀茂真淵)で、
「言(こと)」が、そのまま「事(こと)」であり、「言語の妙用」で、言霊が
「事」の実現を支配すると信じられていたのであろう。
現代に生きる私も、この言霊信仰を前提として、神々との交感を願い、誠の心
を込めて、祝詞を唱えつつ、神々に祈りを捧げている。


神宮450


神道に於いて際立つのは罪や穢れ(けがれ)を清める「禊祓え(みそぎはらえ)」
の思想である。
日々の祈りの中でも、「祈願を目的としてご神前に奏上する祝詞」と祓い清めて
頂く為に唱える「祓詞」(はらえことば)とは一線を画するものである。

「天津祝詞(あまつのりと)」は、復古神道(古道)の大成者である平田篤胤が、
神祇伯(律令制の神祇官の長官)白川家や伊勢神宮、その他の神社や諸神道に
伝えられる祝詞を再編し、文化12年(1815年)、その著書「大祓太詔刀考」に
発表された祓詞(はらへのことば)である。
中世以来の「美曾岐祓(みそぎはらえ)」四篇を編修し、一篇に纏めたという説もある。
神社本庁では「天津祝詞」を正式採用してはいないが、「天津祝詞」を簡略化
した「祓詞(はらえのことば)」「略拝詞(りゃくはいし)」を制定している。
「天津祝詞」を奉唱するのは神道系新宗教の教団に多く、その神社や流派に
依って、「高天原」を「たかまがはら」と訓むか、「たかあまはら」と訓むかや、
「阿波岐原」を「あわぎがはら」と訓むか、「あはぎはら」と訓むか、
「生坐る」を「あれませる」と訓むか、「なりませる」と訓むか、
「禊祓へ給へし時に」か、「禊祓ひ給ふ時に」か、
「祓ひ給へ清め給へと」か、「祓へ給ひ清め給ふと」か、
「天の斑駒の耳振立て」の部分を読むか、読まぬかなど、
文言や漢字の訓みに若干の違いはあるものの、本質的な相違は無い。


古社450


天津祝詞(あまつのりと)…禊祓詞(みそぎはらへのことば)


高天原に神留坐す。
たかあまはらに かむづまります。

神魯岐神魯美の詔以ちて
かむろぎ かむろみの みこともちて。

皇御祖神伊邪那岐大神。
すめみおやかむ いざなぎのおおかみ。

筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に
つくしの ひむかの たちばなの おどの あわぎがはらに

御禊祓へ給へし時に 生坐せる祓戸の大神等。
みそぎはらエたまエしときに あれませる はらえどのおおかみたち。

諸々の枉事罪穢を祓ひ賜へ 清め賜へと
もろもろのまがごと つみけがれを はらイたまエ きよめたまエと

申す事の由を 天津神国津神
まをすことのよしを あまつかみくにつかみ

八百万の神等共に聞食せと 
やおよろづのかみたちともに きこしめせと

(天の斑駒の耳振立て)
(あめのふちこまの みみふりたてて)

恐み恐みも白す。
かしこみ かしこみもまをす。
(文責在詠山史純)

諏訪大社450


(現代語訳)
高天原にいらっしゃる男神様カムロギノミコトと女神様カムロミノミコトの
ご教示に依って、天皇陛下の祖神であらせられるイザナギの大神が筑紫の
日向の橘の小戸の阿波岐原で、黄泉の国での穢れを禊ぎ祓えされた時に
現われ為さった祓戸の大神たちよ。
色々な悪いことや、罪、穢れなどがありましたら、どうぞお祓い下さい、
お清め下さいとお願い申し上げることを、天の神様、地の神様、全ての神様も
ご一緒に(斑模様のある天馬が、耳を振り立てるようにして)、どうかお聞き
届け下さいと恐れながら、お願い申し上げます。
(文責在詠山史純)















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2014/01/07 02:44 | 天神地祇COMMENT(1)TRACKBACK(0)  TOP

祝詞奏上(のりとそうじょう) …己の脳内言語で祈りを捧げる

祝詞奏上(のりとそうじょう) 

…己の脳内言語で祈りを捧げる



神徒は、祝詞(のりと)を奏上する。
祝詞は、「宣り言(のりごと)」「宣り聞かせる言葉」を語源とするようで、
古くは神職がご祭神に対して、その霊力を讃え、祈願するところの成就を願う
言葉を申し上げる「奏上体」の祝詞と、祭祀の場に参集した人々に対して、
神に奏上するその祭祀の意義や目的を宣り聞かせる「宣命体」の祝詞に大別
されたようである。

奈良時代、律令体制が整備された段階で、神に向かって捧げられる言葉は
中国の「祝文」に倣い、総べて「祝詞」と包括されたということであるが、
そもそも、神々の霊力を讃える「タタエゴト」(讃えごと)
願い事の成就を祈る「イハヒゴト」(祝ひごと)
祭儀の前に祓い清める為の「ハラヘコトバ」(祓え言葉)
卜占の結果を文字に表わした「ノリト」(祝詞)
天皇の長寿を讃える「ヨゴト」(寿詞)
葬儀で死者を弔う「シノビゴト」(誄《しのびごと》)と
用途別に呼び名が細分化されていたとのことである。

神道に於いて際立つのは罪や穢れ(けがれ)を清める「禊祓え」
(みそぎはらえ)の思想であろう。
日々の祈りの中でも、祈願を目的としてご神前に奏上する祝詞と祓い清めて
頂く為に唱える「祓詞」(はらえことば)とは一線を画するものである。
祓詞にも、神社や神道教団の流派に依って、その言葉使いや漢字の訓みに
若干の違いはあるものの、本質的な相違ではない。


神棚A


「天津祝詞(あまつのりと)」《「禊祓詞」みそぎはらへのことば》

『高天原(たかあまはら)に 神留坐(かむづまりま)す
 神漏岐(かむろぎ) 神漏美(かむろみ)の 詔以(みこともち)て
 皇親神伊邪那岐(すめみおやかむいざなぎ)の 大神(おおかみ)
 筑紫(つくし)の 日向(ひむか)の 橘(たちばな)の 小門(をど)の
 阿波岐原(あわぎがはら)に 禊祓(みそぎはら)へ給(たま)へし時(とき)に
 生坐(あれま)せる 祓戸(はらひど)の 大神等(おおかみたち)
 諸々(もろもろ)の枉事罪穢(まがごとつみけがれ)を 祓(はら)ひ給(たま)へ
 清(きよ)め 給(たま)へと 申(まを)す事(こと)の由(よし)を
 天(あま)つ神(かみ) 国(くに)つ神(かみ) 
 八百万神等共(やほよろづのかみたちとも)に 聞食(きこしめ)せと
 畏(かしこ)み 畏(かしこ)みも 申(まを)す』(文責在詠山史純)

この「祓詞」を簡略にしたものが、「略拝詞(りゃくはいし)」である。

『祓へ(はらえ)給へ(たまえ) 清め給へ』
或いは、『祓え給へ 清め給へ 守り給へ 幸栄え(さきはえ)給へ』
(文責在詠山史純)


祈りA


自宅などの神棚のご神前で唱える、祈願目的の祝詞には「神棚拝詞」がある。

『此の神床(かむどこ)に坐(ま)す 掛けまくも畏(かしこ)き 
 天照大御神等(あまてらすおおみかみたち)
 産土大神等(うぶすなのおおかみたち)の大前(おおまえ)を
 拝(をろが)み奉(まつ)りて 畏(かしこ)み畏みも 申(もう)さく
 大神等(おおかみたち)の広き厚き御恵(みめぐみ)を
 辱(かたじけな)み奉(まつ)り 高き尊き神教(おしへ)のまにまに 
 直(なお)き正しき真心もちて 誠の道に違(たが)うことなく 
 負(お)ひ持つ業(わざ)に励ましめ給ひ
 家門(いえかど)高く 身健(みすこやか)に 世のため 人のために
 尽くさしめ給へと畏(かしこ)み畏みも 申(まを)す』(文責在詠山史純)


このように、神道に於ける祝詞は、「やまと言葉」を用い、ご神前で語り掛けるように
奏上する「祈りの言葉」である。
私の思考回路は、日本語を脳内言語に変換するので、大和言葉の祝詞を唱えて、
日本語で祈りを捧げているということである。


「いのる」の「い」は「斎」であり、「のる」は「宣る」である。
また、「いのる」は「意乗る」で、「意」を言葉に「乗せて」
神々にお伝えすることである。
誠の心から湧き出ずる神聖な言葉を発することに依って、その言葉の霊力、
「言霊」が発揮され、捧げた祈りが現実化して、願いが成就するという
言霊(ことだま)への信仰が「祈り」の根底にある。
つまり、祈りはその内容を言葉にして、口に出すことが肝要と言える。
高度難聴の方は発語出来なくても、無音の脳内言語を捧げれば、良いのである。
私は日々、祈りを捧げつつ暮らしているが、神主さんのように朗々と祝詞を
唱えることはないものの、自宅でも神社でも、祝詞も祈りの詳細も呟くように、
囁くように口に出して、ご神前で語り掛けている。



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2013/12/27 03:49 | 天神地祇COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

護法善神説という妄説…仏教は大和民族の宗教ではない

護法善神説という妄説…仏教は大和民族の宗教ではない

…1400年間に亘る仏教勢力の日本神道侵食



我が国には太古の昔から、素朴な自然崇拝から始まったと考えられる固有の
民族宗教である神道(しんとう)がある。
「神道」という言葉は中国語で「易経」にあり、「霊妙不可思議な自然の法則」
という意味である。
「神道」という言葉は奈良時代、仏教に対抗し、「日本書紀」に初めて
用いられた用語であって、本来は「古道(こどう)」という。
外来宗教である仏教は、飛鳥時代の552年(538年説あり)に伝来したが、
日本人はその「仏」なるものを、日本の神々と同質の存在と認識し、
「蕃神(となりのくにのかみ)」として、受容した。

おそらくは、縄文人の「ミ(神・霊)や、チ(霊)、タマ(魂・魄・霊)、
モノ(物)、ケ(怪)、ヌシ(主)」などへの精霊崇拝、弥生人の「八百万
(やおよろず=数が極めて多いことを意味する)の神々」への崇拝を原初に
持ち、教祖や経典、教義を持たぬ神道は、仏教勢力拡大の格好の餌食として、
いとも容易く取り込まれたであろうことは想像に難くない。
うなずく

古代出雲大社500
古代出雲大社想像図


★神身離脱説 

仏教勢力の神道侵食は先ず、「神身離脱説」という大法螺から始まった。
「日本の神々も人間と同じように、輪廻の中で煩悩に苦しんでいる身であり、
仏法に依って救済される。
日本の神々は、神身を離れて、仏法に帰依し、その迷い、苦しみから逃れる
ことを願っている」というものである。
随分と居丈高な態度に出て来てくれたものだが、神をも救済して下さるという
「仏」の実体とは、一体全体、何者だというのだろうか。
実に馬鹿馬鹿しい妄説なのであるが、神宮寺、神護寺などと称する、
神社に附属した寺院は、このような名目の下に建立されたものであり、
日本の神々の神前で仏教経典の読誦が為されたというのである。


ブラフマー300
          ブラフマー(梵天)


★護法善神説 

次の段階では、日本の神々が仏法を守護するという「護法善神説」が説かれた。
この説の発端は、インドの仏教指導者が、一介の人間に過ぎなかったゴータマ・
ブッダを、超人的存在であると宣揚する為に、アーリア人系やドラヴィダ人系
のインド人が崇拝していた、インド最古の聖典「リグ・ヴェーダ」に於ける
最高位の武神で、バラモン教、ヒンドゥー教の神である帝釈天(インドラ)や、
バラモン教、ヒンドゥー教では世界創造神、神々の頂点に立つ最高神である
梵天(ブラフマー)までもがブッダを崇拝し、仏法に帰依し、その他のインド
諸神も挙って、それに倣い、仏法の守護神になったほど、それ程にまでブッダ
は偉大であると大法螺を吹いたことに起因する。

仏教で言うところの「天」とは、「神」を意味する。
バラモン教、ヒンドゥー教から取り入れた神々の殆どが天部(天界)に存在
するものとして、仏教世界の守護神とされた。
特に、阿修羅と戦う勧善懲悪の神とされる帝釈天は、仏教世界の中心にある
という須弥山(しゅみせん)の頂上に棲み、バラモン教の最高神、梵天は
有頂天に棲み、共に仏教を守るというのである。
しかし、そもそも、この妄説はバラモン教、ヒンドゥー教から取り込んだ神々
の仏教教義体系内部での位置付けの問題であって、本来は日本神界の神々には、
些かも関わり合いの無い大法螺話なのである。

日本の仏教徒が神々に守って欲しいと言うならば、どうぞご勝手にバラモン教や、
ヒンドゥー教の神々に守って貰えば良いではないかという話である。
清涼なる日本神界の神々を、穢れた仏教なんぞに巻き込むなという話である。


インドラ300
          インドラ(帝釈天)


★本地垂迹説 

平安時代に至り、仏教勢力の増長もピークを迎え、遂に「本地垂迹説」なる
戯言が登場した。
仏・菩薩は日本の神々の真の姿(本地《ほんち》)であり、八百万の神々は、
仏・菩薩が衆生を助ける為に仮の姿(垂迹《すいじゃく》)、つまり権現
(ごんげん)となって、日本の地に現われたものであるというのである。
この様に、日本の神々は、仏なるものを優位とした関係性で、仏教に取り
込まれ、「神仏習合」と呼ばれる特異な信仰体系が構築されたのだ。

この神仏習合時代は1868年(慶応4年=明治元年)、明治維新政府が神社神道
を国家の宗祀とする政策として、神仏判然令(神仏分離令)を布告したことに
依って、一応の終焉を迎え、全国規模で展開した廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)
という仏教排斥運動を経ても尚、神仏習合の思想自体は、極端には衰えること
なく、現代の日本人の精神構造にも影響を及ぼし続けていると言える。


僧形八幡神像300
          僧形八幡神画像

(八幡大神の本地(真の姿)は阿弥陀如来で、その垂迹(仮の姿)したもの
 とする視座から、八幡大神が僧侶の姿に描かれたという戯けた話である)


★諸天善神説という妄説 

日本神界の神々は、虚空会の儀式なんぞとは100%無縁である!

日本の仏教界に於いては、特に日蓮系法華宗では護法善神を「諸天善神」と
呼ぶが、日蓮の文字曼荼羅に天照大御神と八幡大神のご神名が書かれている
(私は敢えて、「勧請」とは表現しない)ことから、日本神界の神々が法華経に
書かれている虚空会の儀式に参加し、法華経の信者を守るとブッダに誓約した
という真っ赤な大嘘を吐き続けなければ、教義の整合性が保てないという事情
を抱えているだけに、護法善神説という妄説を後生大事に維持しなければなら
ない仕儀と相成る。


日蓮一党は世界中に広まっているとのことであるが、日本人以外の日蓮信者が
礼拝の対象とする文字曼荼羅の座配はどうなっているのか?
まさか、天照大御神と八幡大神のご神名が書かれたままではあるまいな。
ユダヤ教圏、キリスト教圏、イスラム教圏に配布する文字曼荼羅には、
唯一神の「ヤハウェ」と書いてあらねば、理屈に合わないのである。
それとも、世界の果てまで、天照大御神と八幡大神のご足労願う気か?
いい加減、己らの教義体系の不整合に気が付いても良い頃ではないのか?

可愛い音頭取り





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2013/12/26 16:20 | 天神地祇COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

伊勢信仰四方山話①…伊勢神宮「天照皇大神宮」のお札

伊勢信仰四方山話①

…伊勢神宮「天照皇大神宮」のお札



我が国の一般的な家庭や事務所では、清潔で日当たりや風通しが良く、
日々礼拝するのに都合の良い高所を選んで、神棚を設置する。
神棚の中心には「宮形(みやがた)」と称する、社殿のミニチュアモデル
を置き、その中に神社のお札(おふだ)を収めて、お祀りする。
宮形には、お札を収める場所が一ヶ所の「一社造(いっしゃづくり)」と、
三ヶ所有る「三社造(さんしゃづくり)」とがあり、「一社造り」の場合は、
一番手前に伊勢神宮のお札、次に氏神神社のお札、その後ろに崇敬している
神社のお札の順で重ねて祀り、「三社造り」の場合は、中央に伊勢神宮のお札、
向かって右側に氏神神社のお札、左側に崇敬している神社のお札の順で
お祀りする作法となっている。







※ 現在では、一般的に「氏神(うじがみ)」と「産土神(うぶすながみ)」は
同じ意味に用いられ、同一視されることが多いが、本来は異なるものである。
「産土神」は、生まれた土地の「土(すな)を産み出す神」を意味し、
その土地の万物の生成化育に関わる働きをされ、嘗て人は生まれた土地に生涯、
定住することが多かったことから、「産まれた土地の神」を意味し、その人の
一生を守護されるとも考えられた。
「氏神」とは、その氏一族の守護神をいう。
古代の中臣氏が、鹿島神宮の武甕槌神(たけみかづちのかみ)と
香取神宮の経津主神(ふつぬしのかみ)を氏神と崇敬し、藤原氏が、
武甕槌神を氏神として、春日大社を創建したように。
創建当初は、ある特定の氏一族の守護神を祀る氏神神社であったものが、
その土地に住む、他の氏の人々もその地域全体を守護する神として崇敬し、
やがて、氏神神社が産土神社に変化したと考えられることから、氏神と
産土神との混同、同一視が生まれたのであろうと推察される。


宮形400


一般の日本人が神棚の宮形にお札を安置して、礼拝するのと、
仏教徒が仏壇に納めた仏像や文字曼荼羅を本尊として拝む偶像崇拝と、
外形的行為は似ているが、神徒はお札をご神体と捉えていないことから、
その宗教的な意義は大いに異なる。

神社が頒布する社頭授与品である「お札」は「神札(しんさつ、かみふだ)」と
呼び、その神社のご祭神の象徴を表わした、護符(ごふ)の一種である。
神社には神札授与所があり、「神札」や「お守り」、その神社の信仰に由来する
参拝記念の品々や、開運除魔の破魔矢など、様々な縁起物も頒布されている。
「お守り」は「神符(しんぷ)」「守札(まもりふだ)」と言い、身に付けて、
携帯出来る様に小型化した「神札」である。

古来、社(やしろ)の祭場だけでご神霊を祀っただけではなく、
「宅神(やかつかみ)の祭り」と呼ぶが、稲の穀霊と重ね合わせた祖霊を
各家でも祀っていた。
しかし、当時はまだ常設の神棚でお祀りしていた訳ではなく、必要に応じて、
その都度、家の内外に臨時の祭場を設け、お祭が行われたようである。
家に常設の神棚を設けて、祀るようになったのは中世(鎌倉、室町時代)
以降で、江戸時代に至って本格的に広まったようである。


神宮大麻150


伊勢神宮から毎年全国に頒布されている神札を「神宮大麻(じんぐうたいま)」と呼ぶ。
平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、伊勢神宮と鹿島神宮、
香取神宮の三社だけで、現在では熱田神宮、霧島神宮、明治神宮なども
あるが、単に「神宮」と言えば、「伊勢神宮」を指す。

「大麻」は勿論、末端価格幾ら幾らのマリファナの大麻とは無関係で、
「おおぬさ」と訓む。
神道の祭祀に於いて、神職がお祓い(修祓《しゅばつ》)を行なう時に、
祓う対象の人や物に向かって、左右にシャッシャッと振って、穢れを
移し取る道具(祓え具《はらえぐ》)で、白木の棒や常緑樹の枝に和紙などに
切れ目を入れ、折り目を付け、数十枚重ねたもの(紙垂《しで》)や、麻紐を
垂らしたもので、白木の棒で作ったものは、祓え串(はらえぐし)とも言う。

因みに神道の基本として、心身共に穢れを祓い、清浄であることが求められる。
「禊(みそぎ)と祓え」を大まかに単純化して、立て分けるとすれば、
「禊」は、肉体に付着した汚穢を洗い流して清浄にすることで、「祓え」は、
精神的、霊的な穢れを祓うことと捉えて良いのではないかと思われる。

中・近世に活躍した伊勢の御師(おんし)と呼ばれた人々は、参詣者の案内
や世話をした祈祷師職で、伊勢神宮の神領を中心に全国各地へと赴き、神宮
への崇敬を一般に広めると共に、「檀那(だんな)」「檀家(だんか)」と
呼ばれた崇敬者のご祈祷をし、その印として、神札を授与したという。
御師たちが修祓(しゅばつ)に使用する祓麻(はらえのぬさ)を強調した
ことに依り、当時は「大祓大麻(おおはらえたいま)」、「お祓えさん」と
呼ばれていた「神宮大麻」を民間に頒布し、古神札を回収しては、新しい
神札に更新して回ったという。
こうした歴史的経緯から、神宮大麻の原点は、大麻(おおぬさ)の名が示す
ように、「祓え」にあり、神宮大麻を「祓え具」と意義付けられるようになった。


おおぬさ250


後代、御師は伊勢神宮に限らず、各地の大社にも居て、江戸時代後期には、
全国津々浦々にまで配札の制が整い、安永年間には全国総戸数の九割近い家
が御師の配る神宮大麻を受けていたという、驚異的な記録がある。
江戸幕府が宗教統制、民衆管理を目的とした「寺請制度(てらうけせいど)」を
法制化したことに依って、全ての民衆が必然的に何れかの仏教寺院の檀家に
なることを義務付けられていた時代に、全国の九割近い家が神宮大麻を受けて
いたという歴史的事実に鑑みて、我が国は外来宗教である、ヒンドゥー教の
亜流もどきの日本仏教に侵食された仏教国などではなく、日本の風土から
生まれた日本神界固有の神道が、古代から生活の中に連綿と根深く生き続けて
いる神国であると再認識させられる。


神棚400


明治初年の神宮改革以降、明治5年には御師に依る神札の頒布は廃止され、
神宮司庁が直接奉製・頒布することとなり、これに伴ない、神宮大麻の
体裁も「天照皇大神宮」の御神号に皇大神宮御璽(ぎょじ)の印が捺印
された現在の形に、また名称も「御祓大麻」から「神宮大麻」へと改称された。
戦後の昭和21年からは神社本庁に頒布委託され、全国の神社庁を通じて、
神職や氏子総代などに依って、頒布が行われている。
戦時中の昭和18年には1200万体の頒布が記録されたが、敗戦後は
国家神道への怨念が渦巻いたのであろう、一時大幅に減少し、現在の
神宮大麻の頒布数は、約950万体であるという。


伊勢神宮 宇治橋


私個人の信仰心からは、「神宮大麻」を「天照大御神」の依代(よりしろ)と
拝しているが、明治以降は「神宮大麻」を「大御璽(おおみしるし)」として、
「天照大御神」の標章と仰ぐこととされている。
神棚の宮形にお祀りする神札は、神社のご神体とは違い、神社と家を、ご祭神
と崇敬者を霊線霊流で結ぶものと考えて良いのではないか。
1年間お祀りした神札は、年末年始に神社に納め、新しい神札を頂戴する。
古い神札は、神社でお焚き上げして頂く。
神札自体をご神体として、必要以上に崇め奉ってはいない証である。




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2013/11/29 01:27 | 天神地祇COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

非難を浴びる「外人は来て欲しくない」との発言…伊勢内宮前おかげ横丁の持て成しの心

非難を浴びる「外人は来て欲しくない」との発言

…伊勢内宮前おかげ横丁の持て成しの心

                                  …参拝客と観光客


老舗和菓子製造販売「赤福」の前社長浜田益嗣氏(76歳)が11月26日、
三重県津市で開催された、地域活性化をテーマにしたフォーラムの対談で、
「(おかげ横丁に)外人は来て欲しくない。居たら、おかしいでしょ。
来ないでくれとは言えないが、英語の表記をするような気遣いはしない」と
発言したことが差別だの、偏見だのと非難の的となっている。
浜田氏は、「伊勢は日本人の心の故郷で、日本の方々に喜んで貰う街を作りたい
という意味の発言だった。外国人への偏見ではない」と弁明のコメントを発した。

おかげ横丁は平成5年にオープンし、江戸末期から明治初期の風情をテーマに、
伊勢路の代表的な建築物を移築、復元し、当時の街並みを再現している。
20棟の建物には、伊勢路の老舗31店が出店し、大いに賑わいを見せている。
おかげ座では、江戸時代、当時の人口の2割もの人々が全国からお伊勢さんへ、
お伊勢さんへと、思慕の念を滾らせて参詣に訪れた「おかげ参り」の様子が、
36台の映写機で映し出されている。


おかげ横丁1


ツイッターでも、当該発言に対する小賢しい非難の数々が湧き上がっているが、
その批判者の内のどれ程が神徒で、古来、伊勢神宮が大和民族の神徒にとって、
如何に至高至貴の聖域であるかを認識した上で、発言しているのであろうか。
神徒にとって、神域は本来、第一義が参拝の対象であって、参詣に伴う観光は
二義的な楽しみである。
「外国人に伊勢神宮の歴史や日本の文化を知って貰いたい」として、当該発言
を批判している人もいるが、そもそも、その批判者自身が神宮の何たるか、
神道の何たるかを充分に認識しているとも思えない。

お伊勢さんの門前町で働く昔気質の人であれば、「観光客」を持て成すという
意識よりも、「参拝客」を持て成すという意識の方が遥かに強いのではなかろうか。
「外人は来て欲しくない」「(外人が)居たら、おかしい」という心情は、
神徒である私には共感を持って、良く理解出来る。
但し、本音は正論であっても、人前で発言すべきでなかったことは確かである。

神宮の宮域は約5,500ヘクタール(5,500町歩)の広さで、伊勢市の約3分の1を占める。
それだけに、伊勢市は外国人観光客誘致活動に熱心に取り組んでいるようで、
外国人観光客を持て成す為に、飲食店や土産物店の経営者向けに英会話の研修会
を開催するなどしているという。
去る10月、内宮と外宮では、式年遷宮の「遷御の儀」が行われ、今年の参拝者
は1,000万人を突破しているとのこと。
伊勢市としては、金を使ってくれるのが参拝客であろうが、観光客であろうが、
どうでも良いことなのである。


おかげ横丁2


日本人は昔から、宗教的に甚だ鷹揚なところがある。
一口に「神社」と言っても、その発祥の経緯は千差万別、様々有り、そもそも
ご祭神が天津神系なのか、国津神系なのか、その中でも、伊勢信仰や出雲信仰、
八幡信仰、天神信仰、稲荷信仰、熊野信仰、諏訪信仰等々の相違が有り、各々
の神社で、その歴史的な経緯が大いに異なる訳であるが、そういうことには
余り拘らないことから、参拝する神社のご祭神のご神名に就いてさえ無頓着で
あったようである。
現代の伊勢神宮の参拝者の中にもきっと、正式名称は単に「神宮」であり、
神宮が国家の宗廟であり、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)に二宮から
成っていて、内宮の主祭神は天照坐皇大御神(アマテラシマススメオオミカミ)、
外宮の主祭神は豊受大御神(トヨウケオオミカミ)であることさえご存じない
人がいるに違いない。

古来、日本人がご祭神のご神名を殊更気に掛けない傾向があったというのは、
八百万(やおよろず)の神々がいらっしゃるのは極々当たり前のことであり、
そもそも神なるものの存在を「信じる」とか、「信じない」とかいう概念自体が
希薄なのであろうと思われる。
そうであるから、教派神道の信者は別としても、神社参拝に訪れる人々の殆ど
は、自分を殊更「神道の信者」であるなどとは考えてもいないに違いない。

神社さんの側も、懐の深い大らかさを持っていて、参拝者がご祭神を「信じる」
「信じない」という概念自体が希薄なのである。
神社の境内は、神が宿る場所(依り代《よりしろ》)としての神域(しんいき)
であるが、大方の神社では境内を広く開放しているものである。
何れの宗教であれ、その教団の宗教施設というものはその宗教の「信者」の為
のものであり、「信者でない者」を排除するのが普通のことである。
しかし、神社の場合は、訪れる人が神道を「信じる者」であるのか、「信じて
いない者」なのか、仏教徒なのか、キリスト教徒なのか、イスラム教徒なのか、
などということは、一向に拘らない。


お伊勢さん1


東京の渋谷区代々木に「明治天皇」様と「昭憲皇太后」様をご祭神とする
明治神宮が鎮座している。
大正8年(1919年)に、「明治神宮への参道」として整備された大通りが表参道で、
青山通りから明治神宮の神宮橋交差点に至るオシャレな通りである。
クリスマスの時期には、「表参道イルミネーション」と称するイベントが行われ、
約1kmの欅並木を光のオブジェが美しく飾る。
「神社への参道」を、イエス・キリストの生誕を祝うクリスマスのイベントとして、
通りをイルミネーションで飾るのは奇妙な話であるが、やれ神道だ、やれ仏教だ、
キリスト教だのと、誰も目くじら立てて問題視しないし、明治神宮さんも文句を
言わないという、日本人の宗教的な鷹揚さ、寛大さは桁外れである。

そうした弛緩した宗教風土を背景にした、老舗経営者の発言である。
彼には、伊勢内宮前おかげ横丁が観光の街ではなく、伊勢信仰の街で
在り続けたいという一念があるのではなかろうか。


参拝 お伊勢さん




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2013/11/28 03:14 | 天神地祇COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP