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女性宮家創設は皇統断絶のプロローグ…皇統断絶を狙う執拗な策謀

 2017-06-01
女性宮家創設は皇統断絶のプロローグ

…皇統断絶を狙う執拗な策謀



平成16年(2004年)12月、小泉純一郎内閣総理大臣は「皇位継承制度と関連
する制度に就いて、高い識見を有する人々の参集を求めて検討を行う」として、
「皇室典範に関する有識者会議」の設置を決定した。

座長
吉川 弘之氏   産業技術総合研究所理事長、元東京大学総長
座長代理
園部 逸夫氏   元最高裁判所判事

古川 貞二郎氏  前内閣官房副長官
岩男 壽美子氏  武蔵工業大学教授、慶應義塾大学名誉教授
緒方 貞子氏   国際協力機構理事長
奥田 碩氏    日本経済団体連合会会長
久保 正彰氏   東京大学名誉教授
佐々木 毅氏   前東京大学総長
笹山 晴生氏   東京大学名誉教授
佐藤 幸治氏   近畿大学法科大学院長、京都大学名誉教授

平成17年(2005年)10月、この「皇室典範に関する有識者会議」なるものは、
皇位継承を「女系皇族へ拡大する」という方針を発表し、小泉総理大臣は皇室
典範の改正準備に着手している旨を公表した。


第63記事3


平成17年(2005年)11月24日付の「皇室典範に関する有識者会議」最終
報告書の「結び」には、次のように記されている。

「象徴天皇の制度は、現行憲法の制定後、60年近くが経過する中で、多くの
国民の支持するものとして定着してきた。我々は、古代から世襲により連綿と
受け継がれてきた天皇の制度が、将来にわたって、安定的に維持されることが
何よりも重要であり、また、それが多くの国民の願いであるとの認識に立って、
検討に取り組んできた。

……制度の成り立ちからその背景となる歴史的事実を冷静に見つめ、多角的に
問題の分析をした結果、非嫡系継承の否定、我が国社会の少子化といった状況
の中で、古来続いてきた皇位の男系継承を安定的に維持することは極めて困難
であり、皇位継承資格を女子や女系の皇族に拡大することが必要であるとの
判断に達した。

……、古来続いてきた男系継承の重さや伝統に対する国民の様々な思いを認識し
つつも、議論を重ねる中で、我が国の将来を考えると、皇位の安定的な継承を
維持するためには、女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠であり、
広範な国民の賛同を得られるとの認識で一致するに至ったものである。

……、将来、女性が皇位に即くこととなれば、それは、近代以降の我が国に
とっては初めての経験となる。新たな皇位継承の制度が円滑に機能するよう、
関係者の努力をお願いしたい。

皇位の継承は国家の基本に関わる事項であり、これについて不安定な状況が
続くことは好ましいことではない。また、皇族女子が婚姻により皇族の身分を
離れる現行制度の下では、遠からず皇族の数が著しく少なくなってしまう
おそれがある。さらに、将来の皇位継承資格者は、なるべく早い時期に確定
しておくことが望ましい。このような事情を考えると、皇位継承制度の改正は
早期に実施される必要がある。

当会議の結論が、広く国民に受け入れられ、皇位の安定的な継承に寄与する
ことを願ってやまない」


この小泉内閣の段階で、「女性天皇」のみならず、「女系天皇」をも容認する
ものとして、皇位継承制度を改めようと画策していたが、平成18年2月の
秋篠宮文仁親王妃殿下紀子様ご懐妊報道に依り、間一髪の天佑神助で皇室典範
改正法案提出には至らなかった。
平成18年(2006年)9月、秋篠宮文仁親王殿下と紀子親王妃殿下の第一男子
として、皇位継承者でいらっしゃる悠仁(ひさひと)親王殿下が御誕生された
ことに依って、「女性天皇容認」「女系天皇容認」を画策する皇室典範の改正
論議は一気に終息する様相を見せて行った。


第63記事4


しかし、皇祖神武天皇御即位から、連綿と続いて来た皇統を断絶させ、
御皇室の権威を貶め、国体破壊、日本文明破壊に執念を燃やす勢力は
次なる一手として、「女性宮家創設」という男系継承を絶やす為の巧妙な
仕掛けを持ち出して来た。
将来、「女性宮家」から「女系天皇」を創出させ、皇祖以来の皇統の歴史を
根底から覆そうとする深謀遠慮なのである。
「女系天皇」とは、「男性の女王」という表現同様、絶対に有り得ない存在である。


平成24年(2012年)初頭、野田内閣は小泉内閣時代に於ける元「皇室典範に
関する有識者会議」の座長代理を務めた元最高裁判所判事の園部逸夫氏を内閣
官房参与に据え、女性宮家創設の為の皇室典範改正を進める方向性を示した。
園部逸夫氏は平成16年(2004年)の参議院憲法調査会に於いて、「女性天皇を
認めることが最も相応しい」と明言しているように、前内閣官房副長官の古川
貞二郎氏と共に「女性天皇・女系天皇容認」実現を目論み、「皇室典範に関する
有識者会議」の論議を誘導するなど、皇統断絶の為に暗躍し続けて来た反日的
左翼思想を堅持している人物であることは明らかである。

野田佳彦内閣総理大臣は、皇室典範改正に向けた議論のテーマを「女性宮家
創設」に絞り、「皇位継承」とは切り離して検討すると表明しているものの、
園部逸夫氏を内閣官房参与に据えたということは、野田内閣が「女性天皇容認・
女系天皇容認」を目論む方向性を持っていることを意味している。
そもそも、民主党(現在は民進党に衣替え)国会議員団は歴代総理を始めと
して、反日的朝鮮系日本人が跳梁跋扈している、売国奴的な国賊集団である。
皇祖皇宗への敬愛の念は、大和系日本人にしか湧現しないものなのかも知れない。


野田内閣は、小泉内閣が設置した「皇室典範に関する有識者会議」のような
審議機関を設けず、「皇室制度に関する有識者ヒアリング」として、内閣官房
皇室典範改正準備室が識者から個別にヒアリングを行うという方法を採った。

第1回 平成24年2月29日
今谷 明氏  帝京大学特任教授
田原総一朗氏 ジャーナリスト

第2回 平成24年3月29日
山内 昌之氏 東京大学大学院教授
大石 眞氏  京都大学大学院教授

第3回 平成24年4月10日
櫻井 よしこ氏 ジャーナリスト
百地 章氏   日本大学教授

第4回 平成24年4月23日
市村 真一氏  京都大学名誉教授
笠原 英彦氏  慶應義塾大学教授

第5回 平成24年5月21日
小田部雄次氏  静岡福祉大学教授
島 善高氏   早稲田大学教授

第6回 平成24年7月5日
所 功氏    京都産業大学名誉教授
八木 秀次氏  高崎経済大学教授


第63記事5


皇位継承に付いて、
旧皇室典範(明治22年-1889年)では、第一章 皇位継承
第一条「大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス」とあり、
現皇室典範(昭和22年-1947年)では、第一章 皇位継承
第一条 「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とある。

「日本書紀」に依れば、本年は皇紀2677年、建国から2677年、皇祖神武天皇から
今上天皇陛下に至る万世一系125代、連綿と続いて来た皇統は一度の例外も
無く、「男系」で続いて来ているという伝統は厳然たる歴史的事実である。
そして、我が国は神武天皇御即位以降、政体は変われども、天皇が君臨される
王朝という国体は断絶することなく、現在の皇室へと繋がっている世界最古の
国家なのである。

では、125代に亘る「男系継承」で、一体「何を」相続して来られたのか。
言語表現としては、御不敬に相当し兼ねず、誠に畏れ多いが、端的に申せば、
それは皇祖神武天皇から受け継がれた「種(胤)」である。
皇統とは、「種(胤)」の継承である。

江戸幕藩体制下に於ける大名家のように、血の繋がりの無いお殿様を何処から
連れて来ようとも、名目上のお家さえ維持出来れば良かったという、家産相続
ではないのである。
皇祖神武天皇から今上天皇陛下に至る万世一系125代、連綿と続いて来た皇統は、
「種(胤)」の相続なのである。
「種(胤)」相続であるからこそ、継体天皇(第26代)の様に、5代前に遡る
遠い傍系でありながら、群臣の要請に応えて即位され、宇多天皇(第59代)の様に、
臣籍降下された後、朝議に従がって皇族に復帰、後に皇位を継承された様な
ことも起こった訳である。

従がって、皇祖神武天皇以来の「種(胤)」を相続する能力を持たない
「女系天皇」というものは在り得ないのである。
万が一、天皇を父君に持つ皇女が天皇に即位され(男系の女性天皇)、民間からの
配偶者との間に生まれた御子、その御子は父方を辿っても天皇に繋がらない訳で、
つまり、皇祖神武天皇以来、相続されて来た「種(胤)を持たない人物が
天皇(女系天皇)に即位される様な事態となれば、それは実質的に皇統を
断絶させ、王朝が交代することを意味するのである。
「女性天皇即位」を容認するということは、「女系天皇創出」の前段階であり、
皇統断絶のプロローグなのである。
歴史上の「女性天皇」は何れも未亡人か、生涯独身であり、後嗣は皇統の男系
男子であって、「種(胤)」相続は守られたのである。

平成17年(2005年)の「皇室典範に関する有識者会議」は、「女性天皇容認」
「女系天皇容認」「男女を問わず、長子優先の皇位継承」「女性宮家創設」等を
骨子とする結論を提出し、野田内閣もその結論を前提として、独自の審議機関を
設けることなく、「皇室制度に関する有識者ヒアリング」のみを行った訳であるが、
この一連の策動が、如何に御皇室の権威を貶めんとする悪巧みであるか、
皇統の本質が「種(胤)」相続にあることを認識すれば、一目瞭然なのである。


第63記事1


問題は、皇祖神武天皇以来の「種(胤)」が何方に相続されているかということである。
皇位継承順位第1位の皇太子徳仁親王殿下、皇位継承順位第2位の秋篠宮文仁
親王殿下、皇位継承順位第3位の秋篠宮家の若宮、悠仁親王殿下に、皇祖神武天皇
以来の「種(胤)」が相続されていることは勿論であるが、アメリカ軍を主体と
する連合国軍の占領下に在った、昭和22年(1947年)、皇室弱体化を目論んだ
GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の圧力に依って、臣籍降下させられた
11宮家の内、現在では6家の旧宮家が断絶、または後継者不在となっていると
いうが、旧賀陽宮家、旧久邇宮家、旧朝香宮家、旧東久邇宮家、旧竹田宮家は
男系男子で存続し、無事に「種(胤)」相続されているのである。


「皇室典範に関する有識者会議」報告書では、旧皇族の皇籍復帰に就いて、
「旧皇族は、既に60年近く一般国民として過ごしており、また、今上天皇との
共通の祖先は約600年前の室町時代までさかのぼる遠い血筋の方々であること
を考えると、これらの方々を広く国民が皇族として受け入れることが出来るか
懸念される。
皇族として親しまれていることが、過去のどの時代よりも重要な意味を持つ
象徴天皇の制度の下では、このような方策につき国民の理解と支持を得ることは
難しいと考えられる」とあるが、皇統の本質が皇祖神武天皇以来「種(胤)」の
相続であることを踏まえれば、これが愚論であることが喝破出来るのである。
臣籍降下後、60年の長きに亘り、民間に在ったところで、「種(胤)」相続
されている事実に何ら変わりはなく、皇統は皇祖神武天皇からの「縦のライン」が
最重要なのであって、今上天皇陛下との「横のライン」の距離は二の次の問題である。
11宮家の臣籍降下は日本国民の意思に依って行われた訳ではなく、大東亜戦争に
敗れ、占領されていた特殊な時代に、GHQの皇室弱体化政策の一環として、
行われた暴挙であった以上、旧皇族方には三顧の礼を尽くし、皇籍復帰して
頂くのが道理というものである。
宮家の存在意義は、「種(胤)のスペア」として、直系で皇位を継承出来ない場合に、
天皇に即位して頂くことにある。
「種(胤)のスペア」たり得ない「女性宮家」を創設しようとも、それが
出来ないのであるから、存在意義は断じて無いのである。


第63記事2


女性天皇容認、女系天皇の容認、女性宮家創設賛成を唱える人々は、御皇室を
大切に思うが故の人々と、皇統を断絶させ、我が国の国体を破壊せしめんと
画策する人々との両極に分かれている。
皇統の本質を弁えていない善良なる臣民と、皇統の本質を見極めている狡猾な
反日的逆賊の二種類が存在するということである。

皇祖から連綿と続いて来た皇位継承の男系主義は絶対条件である。
125代の皇統が貴重な所以は、神話時代の皇祖神武天皇から万世一系、一度の
例外も無く、連綿と男系継承されて来たという厳然たる歴史的事実にある。
反日勢力の巧妙な陰謀に嵌まり、世界に類を見ない我が国固有の歴史と伝統を、
平成の御世で断絶させるような愚かな選択をしてはいけない。
125代に亘る皇統を守って来られた先人達の知恵を活かして、皇位継承の危機を
乗り越えて行けば良いのである。


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仙谷由人氏が政治介入の裏工作を証言 …2010年の尖閣沖中国漁船衝突事件

 2013-09-24
仙谷由人氏が政治介入の裏工作を証言 

      …2010年の尖閣沖中国漁船衝突事件



2010年9月、沖縄県尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁巡視船に体当たりした
衝突事件を巡って、案の定、公務執行妨害で逮捕した中国人船長の釈放に向け、
菅直人内閣が法務当局、検察当局に水面下で圧力を掛け、裏指揮権を発動して
いたことを当時、官房長官であった仙谷由人氏が時事通信のインタビューで
証言したとのこと。
(2013年9月19日 於東京都内)

那覇地方検察庁は当時、「国民への影響や、今後の日中関係も考慮した」として、
中国人船長の処分保留での釈放を弁明した。
菅直人首相は「犯人である中国人船長の釈放は、検察独自の判断である」との
大嘘を吐いていた。
柳田稔法相は検察への指揮権発動を否定していたが、実状は見事に裏指揮権を
発動していた訳である。


仙谷由人氏裏工作を証言


2010年
9月 7日 尖閣諸島沖で、海上保安庁巡視船に中国漁船が体当たり。
9月 8日 海上保安庁が公務執行妨害容疑で中国人船長を逮捕。
9月19日 石垣簡易裁判所が、中国人船長の勾留延長を決定。


菅直人首相は2010年11月に横浜で開催予定のアジア太平洋経済協力会議
(APEC)首脳会議に「中国が来ないとどうするのか」と焦りを募らせ、
「解決を急いでくれ」と中国人船長釈放の不当な処置を命じた。
仙谷由人官房長官が法務事務次官に対し、「政治的・外交的問題もあるので、
自主的に検察庁内部で中国人船長の身柄を釈放して貰いたい」と強要。


9月23日 中国政府のレアアース(希土類)輸出通関業務停止が判明。


中国人船長釈放決定に先立ち、法務当局、検察当局からの要請で、内閣官房は
外務省幹部を那覇地方検察庁に派遣し、日中関係に就いての説明を実施。


9月24日 準大手ゼネコンのフジタが、中国当局による社員4人拘束を公表。
     最高検察庁、福岡高等検察庁、那覇地方検察庁に依る協議を実施。
     那覇地方検察庁が処分保留で、中国人船長を釈放する意向を発表。
9月25日 中国人船長を釈放。帰国させる。
10月 4日 菅直人首相と中国の温家宝首相がブリュッセルで非公式会談実施。
11月13日 菅直人首相と胡錦濤国家主席が横浜市で会談実施。








司法の屈服 …現代の「大津事件」 (記事再掲)


昨年9月、沖縄県尖閣諸島沖で中国漁船が日本の海上保安庁巡視船に
衝突した事件から、1年が経過した。
逮捕後、政治的判断で釈放された中国人船長(42歳)は、「英雄」として迎えられ、
華々しく凱旋帰国した。
「中華民族英雄」だの、領海侵犯やら巡視船への体当たりは「道徳模範」と
称賛されて、愚かしくも有頂天になっていたという。



何のことはない、あのアル中の馬鹿面船長とやら、現在は中国福建省晋江で
地方政府の監視下に置かれ、出漁を禁止処分。
衝突した漁船は買い上げられ、事件以前には約1万元の収入があったというが、
月額3000元(約3万9000円)の埠頭での仕事を宛がわれ、飼い殺し同然の
不自由な生活を強いられているという。

「日本の巡視船が突然、方向を変えた所為で衝突した」だの、
「停船後に乗り込んで来た海上保安庁の職員に棒で右肩を殴られ、
左足を蹴られ、暴行を受けた」などと国際社会に対し、大法螺吹いて、
日本国を貶めた天道の報いは受けて貰わねばならない。

ストレスで煙草を1日4箱も吸う様になったと愚痴っているそうだが、
1箱何本入りか知らないが、40本だろうが、80本だろうが、どうぞどうぞ、
お好きなようにご勝手に♪という話である。
これが「中華民族英雄」とやらの実像とは、笑止千万であることよ!
不自由な監視下の鳥籠生活に不満があるのならば、酒を浴びるほど喰らって、
地方政府本庁舎にお得意の体当たりでも敢行してみたら良いのだ。



ところで、この公務執行妨害容疑で逮捕された中国漁船船長の
不可解な釈放は、那覇地検、福岡高検、最高検が協議の上、
「わが国国民への影響や日中関係も考慮する」との理由で
決定したということであった。

那覇地検鈴木享次席検事

那覇地検の鈴木亨次席検事は会見で「今後の日中関係を考慮した」と
述べ、「外交などに与える影響を、あくまで本件の諸事情の一つとして、
考慮したに過ぎない」「中国政府に配慮したことはない」と、
政治的圧力に屈したことに対する説得力のない弁明に終始した。
そもそも「粛々と国内法に則った対応」であれば、
検察に外交上の政治的判断は無縁のはずではないか。

官邸からの圧力の有無を問われると、鈴木亨次席検事は語気を強めて
「そんなことはない。検察当局として決めたこと」と即座に否定したが、
司法の歴史に汚点を残すほどに検察が泥を被って、一身に責任を負う形に
した検察当局の価値判断は、一向に理解出来ない。

聞くところに依れば、仙石官房長官(当時)が官邸の意思として、
指揮権発動が有り得ることを法務大臣経由で検事総長に仄めかし、
検察当局はその事態を避けたというが、それは100年の後までも
禍根を残す「司法の屈服」となったのだ。



三権分立の国是から言えば、検察は独立した立ち位置で
「粛々と国内法に則った対応」を堅持し、それを首相が中国の我攻めに
屈服するという弱腰の政治判断で覆したかったのであるから、
泥を被るべきは意思決定者であって、検察当局としては莞爾として、
指揮権を発動させるべきであったのだ。




この中国漁船長釈放問題の報道に接し、
明治時代の「大津事件」に於ける「護法の神様」大審院長児島惟謙
(こじま これかた・いけん)を連想した人は多かったのではないだろうか。

大津事件とは……
明治24(1891)年、ロシア皇帝アレクサンドル3世の長子で
あった皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフ
(後のニコライ2世=最後のロシア皇帝)がロシア海軍艦隊を率い、
シベリア鉄道建設委員長として、ウラジオストックでの
極東地区起工式典に向かう途中、日本を訪問した。



そのロシア皇太子ニコライが、京都から琵琶湖への日帰り観光を
楽しみ、宿舎の京都・常磐ホテルへの帰り道、琵琶湖湖畔の大津で、
警備(護衛)の一巡査津田三蔵に人力車越しに頭部を切り付けられ、
軽傷を負う事件が起きた。

津田巡査は当時、日本に広く蔓延していたという「恐露(きょうろ)病」
に取り憑かれていて、ニコライが日本侵略の目的を以って、その軍事視察
の為に来日したと固く信じ、凶行に及んだとされている。

本人の供述によれば、以前から北方諸島などに関して、
ロシアの強硬な極東進出策を快く思っていなかったという。

また、津田三蔵は西南戦争で勲章を授与されていたが当時、
自刃したはずの西郷隆盛が、実はロシアに逃げ延び、ニコライと
共に帰国するという噂が実しやかに囁かれていたそうで、
もし西郷が帰還すれば、自分の勲位も剥奪されるのではないかと
危惧していたという説もある。



但し、ニコライを殺害する意図は薄かったらしく、事件後の
取り調べで、「殺すつもりはなく、一本(一太刀)献上したまで」
と武士らしい供述していたという記録もある。

「恐露病」と揶揄(やゆ)されたほどの松方正義首相ら、時の政府首脳は
賠償金や領土の割譲まで要求してくるのではないかとロシアの報復を恐れ、
津田巡査を即座に極刑に処すことを望んだのだ。
しかし、津田巡査の罪過は謀殺未遂罪で、当時の刑法では、殺人未遂の
最高刑は「無期徒刑(ずけい・とけい=旧刑法で、重罪人を島に送って
労役に服させた刑)」であったから、死刑には出来なかった。

そこで、政府首脳は外国皇太子に対する傷害事件を「皇室に対する罪」に
匹敵するものとして、旧刑法116条皇室罪の適用を主張し、極刑に
処すことを司法当局(大審院)に求めたのだ。


旧刑法 第3編 身体財産ニ対スル重罪軽罪
 第9章 未遂犯罪
第112条
 罪ヲ犯サントシテ已(すで)ニ其事ヲ行フト雖(いえど)モ
犯人意外ノ障礙(しょうがい)若クハ舛錯(せんさく=物事が反対に
なって乱れるさま)ニ因リ未タ遂ケサル時ハ已ニ遂ケタル者ノ刑ニ
1等又ハ2等ヲ減ス

第1章 皇室ニ對スル罪
第116条
天皇三后皇太子ニ對シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ處ス

※三后(さんこう)とは、
「太皇太后」(たいこうたいごう=先々代の天皇の皇后)、
「皇太后」(こうたいごう=前天皇の皇后、また前天皇の皇后で、
現天皇の生母、皇太后宮《おおきさき》)、
「皇后」(こうごう=天皇・皇帝の正妻。きさき)のこと。
三宮(さんぐう)ともいう。

政府首脳は、本来、日本の皇室にしか適用されなかった「皇室に対する罪」を
類推適用(類似性を理由として法を適用する。ある事項について法律が
規定していることを、規定のない類似の事項にあてはめて解釈すること。
近代刑法では国民の基本的人権擁護の観点から禁止されている)して、
津田巡査を極刑(死刑)にすべしと、司法当局(大審院)に迫ったのだった。



児島惟謙(当時、52歳)が大審院長(いまの最高裁長官)に就任した
6日後の1891(明治24)年5月11日に、この「大津事件」が起きた
のである。
児島は宇和島藩家老視宍戸家の臣金子惟彬の二男として、
天保8年に生まれ、文武に優れ、幕末文久から慶応年間には諸国を
往来奔走し、長崎で坂本龍馬や五代友厚とも交わった勤皇の志士上がり
であった。


当時は大日本帝国憲法(明治憲法)が前年に実施されたばかりであった。
この帝国憲法には「司法権の独立」が保障してあり、また明文を以って、
臣民の権利を保障して、
「日本臣民ハ法律ニ依ルニ非ズシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ」
と規定してある。
また刑法第2条には
「法律ニ正条ナキ者ハ何等ノ所為ト雖モ之ヲ罰スルコトヲ得ズ」
との明文があるのである。


児島は「三権分立の理念」を説き、明治政府側の非立憲的発想に依る
皇室罪の適用は帝国憲法を損ない、裁判史に汚点を残すと考えたのだ。

法で裁くという信念から、「法の尊厳と裁判の独立」の堅持こそが、
「国家の自主性を確保する道」であるとして、法の拡張解釈に反対し、
外国皇太子に対する傷害事件には皇室罪でなく、謀殺罪を適用すべきだと
司法当局を纏め、果敢に政治介入を排除して、津田巡査に謀殺未遂罪に
依る無期徒刑を宣告させ、終に「司法権の独立」を守り通したのだった。

このことに依り、児島は、「護法の神様」「護法の巨人」と称えられ、
我が国の司法史上に不滅の光を放っているのだ。

児島惟謙250

実はこの時、司法当局が児島の見解で統一されていた訳ではない。

被告人である津田巡査は「皇室に対する罪(大逆罪)」に依り、
「大津地方裁判所」に起訴され、本来、地裁で開かれるべき裁判で
あったが、松方正義首相ら政府首脳が「皇室に対する罪」の適用を
強く主張して、圧力を掛けたことから、皇室罪に関する裁判は総べて
大審院に於ける一審に於いて判決が下される規定があったので、
適用可否判断を含めて、地方裁判所ではなく、大審院(大審院に依る
一審で終審の裁判。尚、地裁で大審院が開かれたのは、これが最初に
して最後である)に持ち込まれることになったという経緯がある。

大津事件を告発した大審院検事総長の三好退蔵は、児島とは反対に
「皇室に対する罪」に依り、死刑に処すべきものと論告求刑した。

これに対して、児島は津田巡査の行為は「皇室に対する罪」の
構成要件に該当しないとの信念の下、事件の審理を担当する堤裁判長以下、
判事一人ひとりを政府の圧力に屈することのないようにと説得したのだ。

その結果、大審院は事件から16日後の5月27日、一般人に対する
謀殺未遂罪(旧刑法292条)を適用して、無期徒刑(無期懲役)の判決を
下したのである。


※但し、権力の所在や運用が未熟・未分化であった時代を象徴した事件
であったが故に、大津地裁で扱われるべき事件を正常な手続き無しで
大審院に移管したり、裁判に直接関わっていなかった児島が判決直前に
裁判官を呼び出して翻意させるなど、干渉を重ねたことは審理に当たる
裁判官の判断の独立性を侵した問題として残ったと言える。
しかし、司法当局が政府の圧力をはねのけた事実は司法史上、
大きな意義を持っているのだ。


この事件判決で、大審院が司法の独立を達成したことに依り、
曖昧だった大日本帝国憲法の三権分立の意識が広まり、世論から高く
評価された。

また海外でも大きく報じられ、児島は司法権の独立の維持に貢献し、
「護法の神様」と国際的に日本の司法権に対する信頼を高めたという。

大国ロシアの対日感情に悪影響を与えることが憂慮されたこの判決で
あったが、しかし、当時の欧米列強からも日本の近代化の進展振りを
示すものという高い評価を受け、国際的には日本の司法権、延いては
近代国家としての評価を高め、治外法権の撤廃を目指す明治政府の
不平等条約改正交渉にとって、大いにプラス材料となったという。

つまり、事なかれ主義で原則を曲げようとする政府に抗して、
司法の独立を貫こうとした児島の活躍によって、日本が近代国家
として世界に認められるようになった次第である。

大津事件 サーベル400

それにしても、当時の我が国に於ける「恐露病」の深刻さには、
現代の我々の想像を遥かに超えるものがある。
小国であった我が国が大国ロシアの皇太子を負傷させたとして、
「事件の報復にロシアが日本に攻めてくる」、と日本国中に大激震が
走ったという。
学校は謹慎の意を表して休校となり、神社や寺院や教会では、
皇太子平癒の祈祷が行われたという。
ニコライの元に届けられた見舞いの電報は1万通を超え、
山形県金山村(現・金山町)では、「津田」の姓及び「三蔵」
の命名を禁じるという、愚かしい条例を決議したという。

ロシア側に誠意を見せる為に、明治天皇の京都への緊急行幸を
要請し、負傷したロシア皇太子を慰問の上、謝罪。
天皇が拉致されるとの懸念があったにも拘わらず、ロシア側の招き
に応じ、敢えてロシア艦内に赴いたほどの異例の措置を採ったのだ。

また、天皇が謝罪したにも拘わらず、ニコライが東京訪問を中止し、
神戸から艦隊を率いてウラジオストックへ向かうと、死を以って詫びる
として、京都府庁前で剃刀で喉を突いて自害し、後に「房州の烈女」
と呼ばれた畠山勇子のような女性も出現したというのだ。


この事件に対する政治的な圧力が如何に強大なものであったかを
推量するに足る事例を挙げてみる。

結果的には、賠償要求も武力報復も行われなかったが、ロシア皇帝
アレクサンドル3世は、暗に死刑を求めていた。

ロシア公使シェービッチは以前から日本に対して、恫喝的な態度を度々
取っており、この事件に関しても事件の対処に当たった青木周蔵外務大臣、
西郷従道内務大臣達に死刑を強硬に要求し、無期徒刑が決定したことを
知らせると「いかなる事態になるか判らない」旨の恫喝発言をしている。

青木外相が事件発生直後、駐日ロシア当局に、津田は死刑に処せられる
はずであるという言質(実は伊藤博文の意向)を与えていたという。

伊藤博文は死刑に反対する意見がある場合、「戒厳令」を発してでも
断行すべきであると主張したという。

松方正義首相、山田顕義法務大臣らが死刑適用に奔走した。

副島種臣は、「法律もし三蔵を殺すこと能わずんば、種臣彼を殺さん」
と語ったという。

逓信大臣の後藤象二郎などは「津田を拉致し拳銃で射殺することが
善後策になる」と語ったという。


幕末に活躍した勤皇の志士の内、一流の人物達は幕末の動乱、
萩の乱や西南戦争など明治初期の段階でこの世を去り、生き残った
二流三流の人物達が明治の顕官として、栄耀栄華に浴したのだから、
このような体たらくであった訳である。

津田三蔵は、事件から4ヶ月後の同年9月29日、北海道釧路監獄で
絶食、肺炎にて病没したとされる。享年38歳
しかし、死因に不審な点があることから、政府に依る謀殺説がある。

大日本帝国憲法(明治)下に於いては、司法行政(裁判官の)監督権が
司法大臣にあった(旧裁判所構成法135条)為に、政治権力(内閣)に
依る裁判官に対する統制(監督)が可能で、裁判官の職権の独立を
脅かしていたのだ。



これに対して日本国憲法下においては、行政機関には司法行政監督権が
与えられておらず、また行政機関は裁判官の懲戒処分を行うことも
出来ない(憲法78条)ので、法制上は、政治権力(行政機関)による司法
への干渉の危険性が無くなっていると言える。

但し、内閣(総理大臣)に最高裁の裁判官指名(任命)権が与えられており、
(憲法6条・裁判所法39条)、実際、時の政治権力(内閣)に依って、
最高裁の裁判官が選ばれ、その最高裁による下級裁判所の裁判官統制が
可能ではあるのだが…。


中国漁船船長の釈放問題は、国家意思として、国益と法との関係を
どのように考えるべきかを問われた、重大な問題であったのだ。
司法当局は取り返しの付かない誤った選択をしてしまったと言える。
大津事件の裁判で我が国が得た「司法の独立」を拙速に覆した
「司法の屈服」は、国家の自殺的行為である。
我が国は中国漁船船長釈放以前、「法治国家」であったはずであるが、
それ以後は中国同様に「人治国家」に転落してしまったのである。

因みに、尖閣諸島周辺では8月24日、中国の漁業監視船2隻が日本の領海を侵犯した。







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世界に核廃絶を訴えることは、日本の使命なのか? …被爆国の使命という倒錯した発想

 2013-08-07
世界に核廃絶を訴えることは、日本の使命なのか? 

…被爆国の使命という倒錯した発想



日本は、世界で唯一の原子爆弾被爆国である。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、米軍の戦略爆撃機B-29
スーパーフォートレス(エノラ・ゲイ号)に依って、原子爆弾リトルボーイ
(ウラン型)が広島市に投下され、上空600mで炸裂した。
広島市の人口約35万人の内、爆心地から1.2kmの範囲では、その日の内に
50%の人が死亡し、同年12月末までに更に14万人が死亡したと推定されて
いるが、死者数に就いては正確に把握出来ていない。

広島への投下から3日後の、昭和20年(1945年)8月9日午前11時2分、
米軍の戦略爆撃機B-29 スーパーフォートレス(ボックスカー号)に依って、
長崎市に原子爆弾ファットマン(プルトニウム型)が投下された。
同年12月末の集計では、7万3884人が死亡、7万4909人が負傷となっている。


ウラン広島型原爆

リトルボーイ

ファットマン1


核兵器は悪魔の兵器である。
その悪魔の核兵器で無差別攻撃を被った広島、長崎の未曾有の地獄絵図。
人類史上、これほどの惨禍は無かったはずである。
そして、戦後の日本には、「世界で唯一、核爆発の惨禍を説明出来る被爆国で
ある日本には、世界に核廃絶を訴える使命がある」と主張する人の如何に多いことか。
しかし、被爆国である日本政府及び日本国民が、何故に、何者から、自国の
安全保障を非現実的に放擲し、自国民の生命と財産、領土を危険に曝してまで、
世界からの核兵器廃絶という使命を背負わされねばならぬのか。
啓示宗教の狂信的ミッションではあるまいし、被爆国が負わねばならぬ「義務」や
「責任」などあろうはずがないではないか。

そうではなくて、本来は、核兵器の惨禍を知っている世界で唯一の被爆国で
あるからこそ、絶対に3発目の核兵器攻撃を受けたくないが為に、世界で唯一、
核武装する「権利」を有する国家であると考えるのが常識的なのではないか。
核兵器に依る報復攻撃手段を持たぬ国家は、核攻撃を誘発するのである。
中国、北朝鮮、ロシア、アメリカと、核弾頭ミサイルの射程を日本列島に
合わせた一党独裁国家と超大国の核武装国家群に囲まれている地政学的現実
を直視すべきなのである。

日本共産党系の日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)などはその総会で
「憲法第9条を活かすことこそ、被爆国の使命」などと決議している。
日本共産党は非核武装どころか、常備軍の必要も無いと主張しているほどで
あるからして、要するに第4インター方式で外国勢力に日本を侵略させて、
己らが傀儡政権を樹立したいだけのことなのである。




エノラ・ゲイのクルー

ポール・ペデッツ大佐


原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)石室前面に刻まれた碑文
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の「過ち」は誰が犯した
ものであるかに就いて、「碑文論争」と呼ばれる議論があった。
戦後日本の思潮では、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)と反日左翼の
摺り込み通り、多くの日本人は、「日本が戦争を起こした結果、原子爆弾を
投下されたのであるから、戦争を起こした日本政府が悪い。
日本が戦争を起こしさえしなければ、将来に亘って戦争は起こらない。
日本が非武装でありさえすれば、その『公正と信義を信頼出来る、平和を愛する
国民を有する』周辺の支那人や朝鮮人の国家群は攻撃して来ない。
日本が核武装さえしなければ、日本が核兵器攻撃を受けることは無い」と
考えているようである。
碑文の前に立つ一人一人が「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と、
原子爆弾の犠牲者に対して立てる誓いであるという。
しかし、原子爆弾を実戦で投下した、当のアメリカ合衆国の国民の意識には、
そんな殊勝な考えなど露ほども無い。
この碑文は明らかに「日本人の過ち」として、書いてある。


広島死没者慰霊碑石室の碑文2


東京裁判(極東国際軍事裁判)に於いて、唯一公正な判断を下されたインドの
パール判事が昭和27年(1952年)、この碑文に就いて、「原爆を落としたのは
日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と語った。
これに対して、碑文を書いた雑賀忠義広島大学教授は、
「広島市民であると共に、世界市民である我々が、過ちを繰返さないと誓う。
これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり、良心の叫びである。
『原爆投下は、広島市民の過ちではない』とは、世界市民に通じない言葉だ。
そんなせせこましい立場に立つ時は、過ちを繰返さぬことは不可能になり、
霊前でものを言う資格は無い」との抗議文を送ったという。
この反論は、明らかに詭弁を弄している。
戦後、公職追放を受けることなく、国立大学の教職に就いていたことは、
GHQ公認の左翼人という証である。
現在、碑文の主語は「世界人類」「世界市民」という誤魔化しで、落ち着いて
いるようである。

「日本人が犯した過ち」は、大東亜戦争を戦ったことではない。
大東亜戦争に負けたことこそが、「日本人が犯した過ち」であった。
核攻撃を可能にさせたことが、「日本人が犯した過ち」であった。
「過ちは繰り返しません」と言うならば、次に戦争が起きた時には、
決して敗北しないことである。
二度と核攻撃を許さないということは、日本を核攻撃すれば、核兵器での報復
が予想され、相手国に日本への核攻撃を躊躇わせるだけの国防体制整備こそが、
日本政府の国民に対して、果たすべき責務である。
日本が世界で唯一の被爆国であるからと言って、何も日本政府が世界人類に
対して、核兵器廃絶の責任を負っている訳ではない。


ヒロシマ

広島3


今年4月、スイス・ジュネーブで2015年の核拡散防止条約(NPT)再検討会議
に向けた第2回準備委員会が開催され、南アフリカ共和国が「核兵器の人道的
影響に関する共同声明」を発表し、「広島、長崎への原爆投下や核実験に依って、
甚大な被害が齎された」「如何なる状況下でも、核兵器が再び使用されないことが、
人類生存の利益になる」「核兵器が再び使われないことを保証する唯一の手段は
核廃絶である」と訴えたが、日本政府はこの共同声明に賛同しなかった。
また、昨秋の国連総会で「核兵器を非合法化する努力」を促した共同声明に、
日本政府は安全保障政策に合致しないとして、賛同しなかった。

この日本政府の判断に対し、日本のマスコミは、「唯一の被爆国である日本が
賛同しなかった対応に世界は落胆し、国内外の批難と失望を招くと報じた。
そして、「日本政府が核兵器廃絶を掲げる一方で、米国の核の傘下で核抑止力に
頼る安全保障政策を取り続けることは矛盾している」「核兵器廃絶の日本の使命を
放棄した愚行である」と批判した。
日本のマスコミは「核抑止力に頼らない非核外交」とやらがお好きなようであるが、
支那人や朝鮮人のならず者国家群相手に、そんな空虚なお題目が通用するとでも、
正気で考えているのか、それとも、反日左翼お得意の例の第4インター方式を
意図的に遂行しているお積りか。
日本が国防で丸裸、振るチンになることが、世界に核兵器廃絶を訴えるべき、
唯一の被爆国である日本の使命であるというが、全く正気の沙汰ではない。
意識的なのか、無意識的なのかは知らぬが、発想自体が非現実的で、夢想的で
倒錯しているとしか言いようがない。


広島2

被爆当日の御幸橋西詰め


人類は既に核兵器技術を開発してしまったのである。
「人類と核兵器は共存出来ない」という向きもあるが、現に核兵器の出現後
68年間、実戦に於ける3度目の核爆発は回避している。
爆発させない核兵器とであれば、人類は共存出来る。
戦国時代に世界有数の鉄砲所有国であった日本が、江戸幕藩体制に於いて、
武家が銃器を放擲したことを、核兵器廃絶の可能性を語る譬えにする西洋人が
いるが、大いに的を外している議論である。
核兵器を根絶することは、人類には不可能である。

広島型原爆には、90%以上の高濃縮ウラン235が約15kgは必要で、
長崎型原爆には、94%以上の兵器級プルトニウム239が5kgは必要とされる。
しかし、ウラン型爆弾にせよ、プルトニウム型爆弾にせよ、全てが核分裂した
訳ではなく、実際には臨界量の10%~20%だけが核分裂を起こし、大部分は
核分裂しないまま飛散したという。
高い効率でウラン、プルトニウムを核分裂させるには技術的限界があることから、
更に大きな破壊力を得る為に、水素爆弾が開発された。
原子爆弾が核分裂反応で生じるエネルギーを利用するのに対し、水素爆弾は、
重水素やトリチウムなど、水素の同位体や、リチウムなどを核融合させて
出来るエネルギーを利用している。

昭和29年(1954年)、アメリカがビキニ環礁で行った実験の水素爆弾は、
約15メガトン、広島型原子爆弾940倍の威力があった。
昭和37年(1962年)、旧ソ連がノバヤゼムリア島で行った実験の水素爆弾は
58メガトンで、広島型原子爆弾の3,600倍の威力があった。
戦術核であれば、いざ知らず、1、2発の戦略核ミサイル攻撃を受けたが最後、
とてものこと、日本は耐えられるものではない。


エノラ・ゲイ帰投

エノラ・ゲイ クルー当日


正直なところ、私は何れ日本が核攻撃を受けるであろうことを予想している。
都心に狙いを定めた戦略核ミサイルの射程が逸れ、首都圏近郊に落下する。
何も、特別な占術を用いてのことではない。
乏しい知識の集積と、単なる第六勘に依る推察に過ぎない。
日本国は、人で表現すれば、「悲劇の天才」に似ているのである。


核爆発1






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麻生太郎副総理の「あの手口学んだらどうかね」発言問題 …正当な読解無き批難の狂騒

 2013-08-03
麻生太郎副総理の「あの手口学んだらどうかね」発言問題 

           …正当な読解無き批難の狂騒



7月29日、麻生太郎副総理兼財務相が国家基本問題研究所月例研究会で講演し、
日本国憲法の改正に就いて、ドイツのワイマール憲法下に於けるヒトラーの
ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の例を引き合いに出したことが、
ナチスの手法を肯定したと報道され、国内外の顰蹙を買っているとのこと。

この件に就いて、「日本維新の会」の橋下徹共同代表(大阪市長)は、
「ナチスドイツを正当化した発言では決してない。国語力があれば、
直ぐ分かる」と、市役所内で記者団に述べたというが、全くその通りである。

この問題は、反日左翼系マスメディアの常套手段である「悪意有る誤報」に
依って生起させられた、謀略的な騒動に過ぎない。
「ナチス発言」などと、マスメディアの印象操作丸出しの名付けをした上、
悪意ある誤報を海外に流し、それに反応した海外マスメディアの誤解に基づく
批判記事を逆輸入しては、安倍政権を揺さ振る強力な武器に仕立て上げる。
外国勢力の圧力を借りて、自国の政権を打倒し、己ら左翼勢力が権力の座に
就こうとするのは、当に第4インター由来の薄汚いお家芸である。
反日左翼の雄、朝日新聞は態々、選りに選って、アメリカのユダヤ人団体
「サイモン・ウィーゼンダール・センター」の批難コメントを頂戴して来ている。


麻生17


麻生太郎副総理の講演内容を吟味してみれば、国内外で大騒ぎするような
問題発言ではないことは一目瞭然であるが、事をややこしくしているのは、
麻生氏がナチスのワイマール憲法無効化の歴史的経緯を誤認為さっておられる
らしいところにある。
最初に「ナチス憲法」という語を目にした時、ありゃ、そんなの有ったかな?
と、私の脳裏に「はてなマーク」がポッカリ浮かんだ。

ワイマール憲法は、第一次世界大戦を経て、ドイツ革命で帝政ドイツが崩壊
した後の1919年に施行された共和制憲法であり、ナチス統治下に在っても、
改正や廃棄されること無く、存続し続けていたはずである。
但し、1933年、ドイツ国会がヒトラー政府に立法権を委譲した「民族及び
国家の危難を除去する為の法律」である「全権委任法(授権法)」の成立に
依って、ワイマール憲法は実質的に効力を失ったということである。


麻生23


7月29日の国家基本問題研究所月例研究会に於ける麻生太郎副総理の発言

「僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話が
よく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義に依って、きちんとした
議会で多数を握って、ヒトラー出て来たんですよ。
ヒトラーは如何にも軍事力で(政権を)取ったように思われる。
全然違いますよ。
ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。
ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。
間違わないで下さい。

そして、彼はワイマール憲法という、当時ヨーロッパで最も進んだ憲法下
に在って、ヒトラーが出て来た。
常に、憲法は良くても、そういうことは在り得るということですよ。
ここはよくよく頭に入れておかないといけないところであって、私どもは、
憲法はきちんと改正すべきだとずっと言い続けていますが、その上で、
どう運営して行くかは、かかって皆さん方が投票する議員の行動であったり、
その人たちが持っている見識であったり、矜持であったり、そうしたものが
最終的に決めて行く。

私どもは、周りに置かれている状況は、極めて厳しい状況になっていると
認識していますから、それなりに予算で対応しておりますし、事実、若い人の
意識は、今回の世論調査でも、20代、30代の方が、極めて前向き。
一番足りないのは50代、60代。ここに一番多いけど。
ここが一番問題なんです。私らから言ったら。
何と無く良い思いをした世代。バブルの時代で良い思いをした世代が、
ところが、今の20代、30代は、バブルで良い思いなんて一つもしていない
ですから。記憶ある時から就職難。記憶のある時から不況ですよ。

この人たちの方が、余程喋っていて現実的。
50代、60代、一番頼りないと思う、喋っていて。
俺たちの世代になると、戦前、戦後の不況を知っているから、結構喋る。
しかし、そうじゃない。

しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなで
もう一度考えて下さい。どこが問題なのか。
きちっと、書いて、俺たちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。
ベチャベチャ、ベチャベチャ、色んな意見を何十時間も掛けて、作り上げた。
そういった思いが、我々にある。

その時に喧々諤々、やり合った。30人居ようと、40人居ようと、極めて静かに
対応して来た。自民党の部会で怒鳴り合いも無く。
『ちょっと待ってください、違うんじゃないですか』と言うと、『そうか』と。
偉い人が『ちょっと待て』と。
『しかし、君ね』と、偉かったと言うべきか、元大臣が、30代の若い当選2回
位の若い国会議員に、『そうか、そういう考え方もあるんだな』ということを
聞けるところが、自民党の凄いところだなと、何回か参加してそう思いました。

是非、そういう中で作られた。
是非、今回の憲法の話も、私どもは狂騒の中、ワーッとなった時の中で
やってほしくない。

靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。
騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国の為に命を投げ出してくれた
人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。
静かに、きちっとお参りすればいい。

何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。
色んな日がある。大祭の日だってある。
8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。
日露戦争に勝った日でも行けって。
と言ったお陰で、えらい物議を醸したこともありますが。

僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、
靖国神社に連れて行かれた。
それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。
それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、ワーワー騒ぎになった
のは、いつからですか。

昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。
いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつの時からか、騒ぎになった。
騒がれたら、中国も騒がざるを得えない。韓国も騒ぎますよ。
だから、静かにやろうやと。
憲法は、ある日気付いたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に
変わっていたんですよ。だれも気付かないで変わった。
あの手口学んだらどうかね。

ワーワー騒がないで。
本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。
是非、そういった意味で、僕は民主主義を否定する積もりは全くありませんが、
しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪の中で決めて欲しくない」


麻生6


麻生太郎副総理のこのスピーチの立論には、論理整合性に欠ける箇所がある。
文脈からして、真意は「静かに」「喧噪の中で決めて欲しくない」という意味
であるにも拘わらず、「あの手口学んだらどうかね」の箇所で、クルッと論旨
が捩れている。
これは麻生氏が「ある日気付いたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法
に変わっていた」と事実誤認されておられることに由来するものであろう。
ナチスの「手口に学ぶ」としたら、そもそも憲法改正遂行の必要は無いのである。


麻生19


麻生太郎副総理「ナチス憲法発言」撤回に寄せたコメント

「7月29日の国家基本問題研究所月例研究会に於ける私のナチス政権に関する
発言が、私の真意と異なり誤解を招いたことは遺憾である。

私は、憲法改正については、落ち着いて議論することが極めて重要であると
考えている。
この点を強調する趣旨で、同研究会に於いては、喧騒に紛れて十分な
国民的理解及び議論の無いまま進んでしまった悪しき例として、
ナチス政権下のワイマール憲法に係る経緯を挙げたところである。
私がナチス及びワイマール憲法に係る経緯に就いて、極めて否定的に捉えて
いることは、私の発言全体から明らかである。
但し、この例示が、誤解を招く結果となったので、ナチス政権を例示として
挙げたことは撤回したい」


麻生&中川


麻生太郎副総理の発言撤回のコメントに、「悪しき例として、ナチス政権下の
ワイマール憲法に係る経緯を挙げた」とあるが、それは正しくない。
29日のスピーチを日本語文法上、正しく解釈すれば、「誰も気付かぬ内に、
静かに変わった」という良い例示として、ナチスドイツを挙げられていること
は明らかである。
しかし、麻生太郎副総理の講演内容全体として、批難されるべきものではない。
普段は「言論の自由」を強調する反日左翼のマスメディアが、政治家の自由な
発言を封殺するような真似は止した方が良い。
政治家の発言内容が反日左翼のマスメディアの悪意の下に歪曲、曲解されて、
報道されることに依って、政治家が保身の為に事なかれ主義で発言を控えれば、
日本国憲法下の主権在民とやらで、主権者たる有権者が選んだ政治家が一体、
何をどう考えているのか、分からなくなるようでは、それこそ民主主義の根幹
に関わる由々しき問題と成る。
ナチス政権の例示を撤回されたのであるから、これ以上騒ぐ必要は更々無い。


麻生10


それにしても、ドイツ紙が「日本の財務相がナチス時代を肯定的に捉える
発言をして、国際的な怒りを買った」と報じ、中国外務省は、「日本が今後、
何処に進むのかに就いて、アジア周辺国や国際社会に関心と警戒を引き起こし
ている」と、韓国外務省は、「このような発言が、過去に日本帝国主義に依る
侵略の被害に遭った周辺国の国民にどのように映るのかは明白だ」との小賢しく
生意気な談話を発表するなど、日本の憲法改正問題という国内問題に対する
内政干渉も甚だしい限りである。

麻生太郎氏は現代の日本政界に必要な政治家であると、私は考えている。
公明党だの、民主党だの、頭数は揃っていても、中国派、韓国派の売国奴
もどきばかりで、麻生太郎氏に匹敵するような有為な愛国的政治家は一人と
して居ないではないか。
反日左翼のマスメディアが麻生氏の失脚を一所懸命画策していることこそが、
麻生氏が日本政界に必要な愛国者であることの証である。
麻生政権下、「弥栄」を「いやさか」と読めずに「いやさかえ」と読んだとか、
「未曾有」を「みぞう」と読めずに「みぞうゆう」と読んだとか、高級ホテル
で高い酒を毎晩飲んでいるの、カップラーメンの値段を知らなかったの、
馬鹿だチョンだと散々扱き下ろして、国民を扇動していたが、実際には成立
させた法案や経済危機に対処した実績からして、麻生内閣はなかなかどうして、
出来の良い内閣であったと言える。

いわゆる失言の多い政治家であり、南京事件やら、日韓併合やら、創氏改名やらに
関する発言が騒動に成ったこともあったが、意外にもと言っては失礼であるが、
日本の近現代史に就いての認識は正当なもので、事の本質は把握しておられる
ように見受けられる。
どうしてもお人柄が軽薄に見られがちのようであるが、あのガハハハ!という
豪快な笑い方に象徴される楽天的な明るさが好い。

麻生太郎副総理もまた、安倍晋三総理同様、活躍される政治家に多い相当の
凶運持ちであるが、中川昭一氏亡き後、安倍内閣を強力に補佐出来る政治家は
今のところ、麻生氏しか居ない厳しい状況なのであるから、閣僚辞任、議員辞職
の必要など断じて無い。

麻生副総理 靖国参拝




風刺画 マスメディア








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宗教団体の組織的集票行動 …独裁と隷従、全体主義を好む人々

 2013-07-15
宗教団体の組織的集票行動 

     …独裁と隷従、全体主義を好む人々



来週の日曜日、7月21日は、第23回参議院議員選挙の投票日である。
参議院では政権与党が過半数を下回る捩れ国会が続き、政治が停滞している
ことから、今回の選挙で非改選議員と合わせ、政権与党である自由民主党と
公明党とで過半数を確保出来るか、大いに注目されるところである。


投票1


東京では6月23日に、参議院議員選挙の前哨戦と目された東京都議会議員選挙
の投開票が行なわれた。
自由民主党は立候補者全員が当選するという圧勝で、39議席から59議席と
躍進し、都議会第1党に返り咲いた。
公明党は23議席を維持し、第1党であった民主党は43議席から15議席に
減らす惨敗で、第4党に転落した。
世間を驚かせたのは、意外にも日本共産党が8議席から17議席と躍進し、
15議席に止まった民主党を抜いて、都議会第3党となったことであった。

今回の東京都議会議員選挙の投票率は43.5%と、戦後2番目の低さを記録した。
投票率が低ければ低いほど、組織票の強みが顕著になる。
数理的に分子が同じで、分母が小さくなるのであるから、シェアが広がる。
堅い組織票と言っても、日本共産党は政党であるから、共産党員の構成する
組織票に異論は無い。

大いに問題があるのは、宗教団体の組織票である。
日本に於ける新興宗教団体の信者数(公称)ランキング1位は「幸福の科学」
1100万人、2位が「創価学会」827万所帯、3位「立正佼成会」408万9176人、
4位「霊友会」153万1932人、5位「仏所護念会」146万6002人と続く。
これらの信者数は教団発表であり、公明党と幸福実現党の選挙に於ける得票数
からして、明らかに水増しされた虚偽数である。

18万もある宗教法人の内、完全に政党化しているのは、創価学会と幸福の科学
である。
それ以外の巨大な教団では、支持政党や、選挙ごとに支援する候補者が教団
上層部から通達され、大方の信者はそれに従った投票行動を取っていることは、
候補者の票読みと得票結果に大差の無いことからして、先ず間違いない。


信者数 テレビ


民主主義とは、君主に依る統治体制を打倒し、市民が国家を支配すべく選択
された統治体制であり、市民が直接、もしくは選挙で選らんだ代表を通じて、
間接的に権限を行使する統治形態である。
主権在民が民主主義の前提であるが、その主権の行使とは、市民が選挙で
代表者を選ぶ、その一票の投票行為でしか無い。
民主主義の基本は個人の権利と義務であり、自由主義であり、個人主義である。
また、民主主義体制では個人の権利を守る為の戦いを継続させる必要があり、
権力の集中を警戒する為に分権主義を採る。
そして、何よりも民主主義の体制は衆愚政治に陥るという致命的欠点を持つ。


信仰の場で1

信仰の場で2


民主主義社会の構成員でありながら、教団信者は個人の政治的判断を放棄し、
所属する教団経営者に全権を委ねる。
「A党を支持します」「は~い!」  \ (´〇`) ゝはぁ~い!
「今度はB党に切り替えます」「は~い!」 \ (^‐^)ゝ了解!
「反対していた政策Aに、これからは賛成します」「は~い!」(o^-')b Okey!
「支那の天安門事件、チベット人、ウィグル人虐殺に関しては、沈黙すること」
「は~い!」  (・ω‐*)ъ ねっ!
「今までは反自民でしたが、これからは『何処までも付いて行きます下駄の雪』路線で
閣僚ポストを貰いま~す♪」「凄い時代になりましたねぇ~♪」
「わ~!」「すご~い!」  ('∀`*人) すご~い!

教団内でのボスの独裁を是認し、それに隷属することを好み、自由主義も
個人主義も何のその、ひたすら金太郎飴化した言辞を吐き、行動する。
民主主義の土台である法治主義に叛いてまで、手土産ぶら提げては、せっせと
戸別訪問、投票日当日は自党への投票を依頼した人を確実に投票所に連れ出す
為に同行、教団の拠点と投票所を何度も往復する為、選挙違反行動がバレては
いけないとその都度、衣類を着替えるという悪知恵の確信犯。
身体の不自由な人であろうが、寝たきりのご老人であろうが、期日前投票など
を大いに利用して、何としても投票所にまで連れて行く。
選挙戦終盤に当選が難しいとなれば、「この選挙の戦い方次第で成仏出来るか、
出来ないかが決まるほど、それほどに大切な選挙だから…」と大法螺吹いて、
発破を掛ける始末(旧東京都第3区世田谷での実例)。
その癖、自分が選挙応援した政党でありながら、その政党が一体、如何なる類の
法案を通しているのかなどには一向に無関心。  ┐('~`;)┌


祈り1


如何なる類の宗教を信奉する信仰生活に於いても、誇り高く超然として、
「独立自尊の精神」を堅持すべきである。
特に、全国規模で狂信的に布教活動を展開している、恰も全国制覇を目指す
広域暴力団もどきの宗教団体などには、決して所属すべきではない。
親が特定の教団信者であったが為に、幼少期から自分の意志とは関わりなく、
強制的に教団メンバーであることを余儀なくされた環境で育ったなら、
遅くとも二十歳前後には離脱すべきである。
それでも、子供時代から教団内部で「阿呆陀羅センセーは絶対的存在である!」
「阿呆陀羅センセーは不世出の偉大な世界的指導者だ!」「阿呆陀羅猊下に
信服随従しなければ、成仏は叶わない」「この教団を辞めたら、地獄に堕ちる」
などと大法螺を吹き込まれて育つと、その精神的外傷を完全に払拭するのに、
教団メンバーであった期間の数倍の歳月を要することになる。


祈り2


信仰というものは、特定の宗教的概念に信を置いて、その教えを縁(よすが)に
生活する精神活動であろう。
信仰者が特定の神仏を対象として、絶対的に崇拝することは当然であるが、
宗教団体に属する信者は往々にして、教祖であれ、出家教団の管長であれ、
在家教団の経営者であれ、教会長であれ、講頭であれ、神仏と自分との間に
わざわざ生臭い宗教屋を差し挟み、そのボスの家臣であるかのように隷属する
ようになるのが常である。

ボス化する教団のリーダーというものは、教祖の権威や宗教的権威を、
月の光の如くに反射させる仕掛けを弄しているにも拘わらず、恰も太陽の光
の如くに、自分自身が輝いているかのように錯覚を起こさせて、権威付ける
演出が巧みなのである。
旧帝国陸海軍で、どんな無能な上官の命令であっても軍規上、上官の命令は
即ち、全軍の統帥権を持つ天皇陛下のご命令とした論理と同様で、信仰心など
微塵も持ち合わせていない俗物の癖に、さも偉そうに生き神様もどきを気取り、
自分に背いたならば、地獄に堕ちると宣(のたま)うまでに逆上せ上がって、
有頂天になる。
そういう輩は仕舞いには、自分が久遠の本仏だの、救世主だのと自己愛性人格
障害の発症をおっ始めることになる。


祈り3


宗教を人心統合の手段に用いる宗教屋は、何時の時代にも居るものだが、
問題とすべきは、その仕掛けの対象となる信仰者サイドの在り方である。
教団内権力掌握の為の見え透いた三文芝居に、何十万人、何百万人もの大の
大人が唯々諾々として、馬鹿面ぶら提げて付き従って行く教団信者たちの
精神構造の在り方が至極不可解である。
親玉の手駒のように、何でも言い成りになる信者たちには、反骨精神と
説かれる教理を充分に咀嚼する能力が不足しているのである。
その証拠に、その宗教教義を咀嚼した上で、自分の言葉で教理を語っている
信者に遭遇したことがない。
金太郎飴化が際立つのは、日蓮本仏論を振り翳す日興門流系の教団信者で、
インターネット上でも、行き成り喧嘩腰で突っ掛かって来ては罵詈雑言を吐く
のを常としているが、その理論展開から言葉遣いに至るまでが、恰も示し
合わせたかのように、皆一様に同じなのである。
悪態を吐く、その言葉までが同じであるということは、彼らが如何にその思想
を咀嚼して、自分自身の血肉と化していないかということの証である。
出来の悪い学生張りに、あんちょこの丸写しということである。


仏教教団では信者の判断停止化、金太郎飴化に、「我見(がけん)」という至極
重宝な言葉を多用する。
「我見」とは本来、個人の主体としての「我」が存在するという実体説を
「我執」として誤った見解とする、縁起説に立脚する仏教の立場からの
言葉であるが、転じて「自分だけの狭く偏った見方や狭い考え」という意味に
なり、更には「自分の考え」という意味にまで変化させて用いている。
信者が常識的に真っ当な考えを口にしたとしても、それが教団に都合の悪い
見解であれば、「それは我見である」として、徹底的に封殺する。
ならば、その教義が誰の見解であれば、我見ではないと言えるのか。
原始仏典であれ、大乗仏典であれ、ゴータマ・ブッダと何処の馬の骨とも知れ
ない経典制作者、編集者たちの我見であり、法然、親鸞、日蓮の教義であれ、
法然、親鸞、日蓮の我見であり、教団の公式見解であれ、教団の親玉の我見に
過ぎないものではないか。
「仏説」であるなどと、「仏」といういい加減な言葉で誤魔化すものではない。
教派神道の教祖たちにご神霊が懸かって、彼らがそのご神霊の言葉を自動書記
したり、お取次ぎをする場合のご神霊の言葉とは、訳が違うのである。

自分は「赤の他人」を生きている訳ではなく、あくまでも「自分」自身を
生きているのにも拘らず、何故に、自分の我見を否定して、赤の他人の我見を
金科玉条の如くに祀り上げる必要があるのか、よくよく考えてみたら良い。
主体性をかなぐり捨て、自分の頭脳の働きを差し置いて、わざわざ紀元前の
インドのおっさんや鎌倉時代のおっさん、現代の生臭い教団経営者のおっさん
の脳味噌に全ての判断をお任せするほど、奴隷根性丸出しで、自分を卑下する
馬鹿馬鹿しき行為はない。
超然として、独立自尊の精神を大いに発揚させて、自分は自分自身を誇り高く
生き抜けば良いのである。


祈り4


比叡山延暦寺を鎌倉時代の「総合大学」に譬えた書き物を見れば、S会の信者
お得意の表現であることが判るのだが、理系学部は無いのだから、それを言うなら
「総合大学」ではなくて「単科大学」であろうし、むしろ「大学院大学」
に譬えた方が良いのでは?などと思ってしまう。
罵倒する相手の文章を馬鹿にした表現で、彼らが好んで使う言葉に「噴飯もの」
という時代掛かった言い回しがあるのだが、喧嘩する時に使う言葉くらいは
猿真似ではなくて、己の個性を発揮しても良さそうなものだと思うのだが。
文章の最後に、日蓮の遺文の真似をして、「はかなし。はかなし。」と鎌倉時代
の言い回しそのままに書くのも、彼らの中ではパターン化しているのであるが、
取り分けて馬鹿の中の馬鹿は「墓無し。墓無し。」とグレードアップさせて書く。
思想的な咀嚼力不足の者が教団に入ると、教団からインプットされたデータを
理論武装に用いて、そのまま外部攻撃に発信するの他は無いのだ。


現代日本は、近世までの身分制度に縛られた封建社会ではなく、誰しもが平等に
諸権利を有する自由主義社会であるにも拘わらず、教団信者たちは一様に
独立自尊の精神は何処へやら、教団の親玉に信服随従することを宗教的正義と
考え、その教団内独裁を好み、喜び勇んでその支配下に収まり、直に会った
こともない、言葉を交わしたこともない、自分の名前さえ知りもしない親玉を
人生の師匠などと位置付けて、そのお神輿をクローン人間の集団のような
金太郎飴化した信者総出で担ぎ上げる。
一度、人の風下に立ったならば、半永久的にその後塵を拝することになるが、
独立自尊の気概というものを端から持ち合わせていないのだろうかと不思議に思う。


お地蔵さん1


何れの教団であれ、尤もらしいご大層な宗教スローガンを掲げ、その下で
教団に都合の良い教義の解釈を上意下達で教団内に浸透させ、行動も言動も
思考も醸し出す雰囲気までも、信者の誰もが皆同じという、どこを切っても
皆同じ金太郎飴のような教団になる。
教団というものは、大勢の信者が同じ対象に向かって、同じ方向性を持って、
宗教的思念を放射するので、自ずとそこに霊界が出来上がり、教団自体が
霊体化して、一つの教団霊のような化け物が形成されるものである。

面白いもので、一宗一派に拘泥し、凝り固まっている人の発する「気」に
依って、その信仰が教派神道系か、仏教系、中でも日蓮カルト系か、それとも
キリスト教系かは、大体感じ取れるものである。
特に、日蓮カルト系はその臭味が強いので、十中八九判別出来る。
「破折屈伏(はしゃくくっぷく)」略して「折伏(しゃくぶく)」、つまり
「他宗教、無宗教の相手を打ち負かして、自分に従わせる」ことをモットーと
する布教形態を採るだけに、非妥協的で独善的、偽善的、且つ好戦的なだけに、
愛想笑いの面の皮を一皮剥けば、常に喧嘩腰で争いを仕掛けて来る、心も御魂
もささくれて、尖がった人々である。
私が彼らを宗教ヤクザと呼びたくなるには、訳が有る。
霊能の優れた人であれば、感知出来ると思うのだが、彼らの教団は霊的に、
暴力団や右翼団体のそれと同系統なのである。


土ぼっくり 祈りタイプ


教団に属している信者は誰しも、自分の信仰している宗教が一番正しくて、
オールマイティなものだと考えているものである。
「ウチの宗教は世界で何番目かに正しい」などと考えている謙虚な信者など
居る訳が無い。
どんな宗教でもそれなりに教義体系というものを形成している訳で、それが
「体系」を為している以上、そのお伽噺を展開する同一のグラウンドに立って、
議論を進めれば、一応は辻褄の合う理論のように錯覚を起こすものである。
偽善的な愛想笑い、爽やかさを演出した教勢拡大の下心見え見えの信者どもに
車座態勢で囲まれ、美辞麗句を駆使して体系化された嘘八百を並べられると、
恰もそれらが正論であるかのように聞こえて来てしまうのは、1960年代から
70年代に掛けての、政治的に先鋭化し過ぎた学生運動盛んなりし時代、資本家
対労働者という構図での社会構造の矛盾を突いて、共産主義的革命思想を吹き
込み、活動家へと洗脳する一本釣りのオルグ同様である。
生活互助会化した教団に依存することを必要とする人々の居ること、思想的、
宗教的に独立独歩で生きて行くだけの咀嚼力を発揮出来ない人も居ることは
理解出来る。
しかし、だからと言って、飛んで火に入る夏の虫のように、自ら奴隷志願する
ことはないのではないか。
何処の教団にも隷属せず、誰にも隷従することなく、独立自尊の気概高らかに
一人静かに深く思惟し、正神界のご神霊のいらっしゃる清涼な神社に一人で
通って、大和言葉で祈り事を静かに囁くようにご神明に語り掛けるが良い。


富士 信仰







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