華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 現代社会雑感

宗教団体の組織的集票行動 …独裁と隷従、全体主義を好む人々

宗教団体の組織的集票行動 

     …独裁と隷従、全体主義を好む人々



来週の日曜日、7月21日は、第23回参議院議員選挙の投票日である。
参議院では政権与党が過半数を下回る捩れ国会が続き、政治が停滞している
ことから、今回の選挙で非改選議員と合わせ、政権与党である自由民主党と
公明党とで過半数を確保出来るか、大いに注目されるところである。


投票1


東京では6月23日に、参議院議員選挙の前哨戦と目された東京都議会議員選挙
の投開票が行なわれた。
自由民主党は立候補者全員が当選するという圧勝で、39議席から59議席と
躍進し、都議会第1党に返り咲いた。
公明党は23議席を維持し、第1党であった民主党は43議席から15議席に
減らす惨敗で、第4党に転落した。
世間を驚かせたのは、意外にも日本共産党が8議席から17議席と躍進し、
15議席に止まった民主党を抜いて、都議会第3党となったことであった。

今回の東京都議会議員選挙の投票率は43.5%と、戦後2番目の低さを記録した。
投票率が低ければ低いほど、組織票の強みが顕著になる。
数理的に分子が同じで、分母が小さくなるのであるから、シェアが広がる。
堅い組織票と言っても、日本共産党は政党であるから、共産党員の構成する
組織票に異論は無い。

大いに問題があるのは、宗教団体の組織票である。
日本に於ける新興宗教団体の信者数(公称)ランキング1位は「幸福の科学」
1100万人、2位が「創価学会」827万所帯、3位「立正佼成会」408万9176人、
4位「霊友会」153万1932人、5位「仏所護念会」146万6002人と続く。
これらの信者数は教団発表であり、公明党と幸福実現党の選挙に於ける得票数
からして、明らかに水増しされた虚偽数である。

18万もある宗教法人の内、完全に政党化しているのは、創価学会と幸福の科学
である。
それ以外の巨大な教団では、支持政党や、選挙ごとに支援する候補者が教団
上層部から通達され、大方の信者はそれに従った投票行動を取っていることは、
候補者の票読みと得票結果に大差の無いことからして、先ず間違いない。


信者数 テレビ


民主主義とは、君主に依る統治体制を打倒し、市民が国家を支配すべく選択
された統治体制であり、市民が直接、もしくは選挙で選らんだ代表を通じて、
間接的に権限を行使する統治形態である。
主権在民が民主主義の前提であるが、その主権の行使とは、市民が選挙で
代表者を選ぶ、その一票の投票行為でしか無い。
民主主義の基本は個人の権利と義務であり、自由主義であり、個人主義である。
また、民主主義体制では個人の権利を守る為の戦いを継続させる必要があり、
権力の集中を警戒する為に分権主義を採る。
そして、何よりも民主主義の体制は衆愚政治に陥るという致命的欠点を持つ。


信仰の場で1

信仰の場で2


民主主義社会の構成員でありながら、教団信者は個人の政治的判断を放棄し、
所属する教団経営者に全権を委ねる。
「A党を支持します」「は~い!」  \ (´〇`) ゝはぁ~い!
「今度はB党に切り替えます」「は~い!」 \ (^‐^)ゝ了解!
「反対していた政策Aに、これからは賛成します」「は~い!」(o^-')b Okey!
「支那の天安門事件、チベット人、ウィグル人虐殺に関しては、沈黙すること」
「は~い!」  (・ω‐*)ъ ねっ!
「今までは反自民でしたが、これからは『何処までも付いて行きます下駄の雪』路線で
閣僚ポストを貰いま~す♪」「凄い時代になりましたねぇ~♪」
「わ~!」「すご~い!」  ('∀`*人) すご~い!

教団内でのボスの独裁を是認し、それに隷属することを好み、自由主義も
個人主義も何のその、ひたすら金太郎飴化した言辞を吐き、行動する。
民主主義の土台である法治主義に叛いてまで、手土産ぶら提げては、せっせと
戸別訪問、投票日当日は自党への投票を依頼した人を確実に投票所に連れ出す
為に同行、教団の拠点と投票所を何度も往復する為、選挙違反行動がバレては
いけないとその都度、衣類を着替えるという悪知恵の確信犯。
身体の不自由な人であろうが、寝たきりのご老人であろうが、期日前投票など
を大いに利用して、何としても投票所にまで連れて行く。
選挙戦終盤に当選が難しいとなれば、「この選挙の戦い方次第で成仏出来るか、
出来ないかが決まるほど、それほどに大切な選挙だから…」と大法螺吹いて、
発破を掛ける始末(旧東京都第3区世田谷での実例)。
その癖、自分が選挙応援した政党でありながら、その政党が一体、如何なる類の
法案を通しているのかなどには一向に無関心。  ┐('~`;)┌


祈り1


如何なる類の宗教を信奉する信仰生活に於いても、誇り高く超然として、
「独立自尊の精神」を堅持すべきである。
特に、全国規模で狂信的に布教活動を展開している、恰も全国制覇を目指す
広域暴力団もどきの宗教団体などには、決して所属すべきではない。
親が特定の教団信者であったが為に、幼少期から自分の意志とは関わりなく、
強制的に教団メンバーであることを余儀なくされた環境で育ったなら、
遅くとも二十歳前後には離脱すべきである。
それでも、子供時代から教団内部で「阿呆陀羅センセーは絶対的存在である!」
「阿呆陀羅センセーは不世出の偉大な世界的指導者だ!」「阿呆陀羅猊下に
信服随従しなければ、成仏は叶わない」「この教団を辞めたら、地獄に堕ちる」
などと大法螺を吹き込まれて育つと、その精神的外傷を完全に払拭するのに、
教団メンバーであった期間の数倍の歳月を要することになる。


祈り2


信仰というものは、特定の宗教的概念に信を置いて、その教えを縁(よすが)に
生活する精神活動であろう。
信仰者が特定の神仏を対象として、絶対的に崇拝することは当然であるが、
宗教団体に属する信者は往々にして、教祖であれ、出家教団の管長であれ、
在家教団の経営者であれ、教会長であれ、講頭であれ、神仏と自分との間に
わざわざ生臭い宗教屋を差し挟み、そのボスの家臣であるかのように隷属する
ようになるのが常である。

ボス化する教団のリーダーというものは、教祖の権威や宗教的権威を、
月の光の如くに反射させる仕掛けを弄しているにも拘わらず、恰も太陽の光
の如くに、自分自身が輝いているかのように錯覚を起こさせて、権威付ける
演出が巧みなのである。
旧帝国陸海軍で、どんな無能な上官の命令であっても軍規上、上官の命令は
即ち、全軍の統帥権を持つ天皇陛下のご命令とした論理と同様で、信仰心など
微塵も持ち合わせていない俗物の癖に、さも偉そうに生き神様もどきを気取り、
自分に背いたならば、地獄に堕ちると宣(のたま)うまでに逆上せ上がって、
有頂天になる。
そういう輩は仕舞いには、自分が久遠の本仏だの、救世主だのと自己愛性人格
障害の発症をおっ始めることになる。


祈り3


宗教を人心統合の手段に用いる宗教屋は、何時の時代にも居るものだが、
問題とすべきは、その仕掛けの対象となる信仰者サイドの在り方である。
教団内権力掌握の為の見え透いた三文芝居に、何十万人、何百万人もの大の
大人が唯々諾々として、馬鹿面ぶら提げて付き従って行く教団信者たちの
精神構造の在り方が至極不可解である。
親玉の手駒のように、何でも言い成りになる信者たちには、反骨精神と
説かれる教理を充分に咀嚼する能力が不足しているのである。
その証拠に、その宗教教義を咀嚼した上で、自分の言葉で教理を語っている
信者に遭遇したことがない。
金太郎飴化が際立つのは、日蓮本仏論を振り翳す日興門流系の教団信者で、
インターネット上でも、行き成り喧嘩腰で突っ掛かって来ては罵詈雑言を吐く
のを常としているが、その理論展開から言葉遣いに至るまでが、恰も示し
合わせたかのように、皆一様に同じなのである。
悪態を吐く、その言葉までが同じであるということは、彼らが如何にその思想
を咀嚼して、自分自身の血肉と化していないかということの証である。
出来の悪い学生張りに、あんちょこの丸写しということである。


仏教教団では信者の判断停止化、金太郎飴化に、「我見(がけん)」という至極
重宝な言葉を多用する。
「我見」とは本来、個人の主体としての「我」が存在するという実体説を
「我執」として誤った見解とする、縁起説に立脚する仏教の立場からの
言葉であるが、転じて「自分だけの狭く偏った見方や狭い考え」という意味に
なり、更には「自分の考え」という意味にまで変化させて用いている。
信者が常識的に真っ当な考えを口にしたとしても、それが教団に都合の悪い
見解であれば、「それは我見である」として、徹底的に封殺する。
ならば、その教義が誰の見解であれば、我見ではないと言えるのか。
原始仏典であれ、大乗仏典であれ、ゴータマ・ブッダと何処の馬の骨とも知れ
ない経典制作者、編集者たちの我見であり、法然、親鸞、日蓮の教義であれ、
法然、親鸞、日蓮の我見であり、教団の公式見解であれ、教団の親玉の我見に
過ぎないものではないか。
「仏説」であるなどと、「仏」といういい加減な言葉で誤魔化すものではない。
教派神道の教祖たちにご神霊が懸かって、彼らがそのご神霊の言葉を自動書記
したり、お取次ぎをする場合のご神霊の言葉とは、訳が違うのである。

自分は「赤の他人」を生きている訳ではなく、あくまでも「自分」自身を
生きているのにも拘らず、何故に、自分の我見を否定して、赤の他人の我見を
金科玉条の如くに祀り上げる必要があるのか、よくよく考えてみたら良い。
主体性をかなぐり捨て、自分の頭脳の働きを差し置いて、わざわざ紀元前の
インドのおっさんや鎌倉時代のおっさん、現代の生臭い教団経営者のおっさん
の脳味噌に全ての判断をお任せするほど、奴隷根性丸出しで、自分を卑下する
馬鹿馬鹿しき行為はない。
超然として、独立自尊の精神を大いに発揚させて、自分は自分自身を誇り高く
生き抜けば良いのである。


祈り4


比叡山延暦寺を鎌倉時代の「総合大学」に譬えた書き物を見れば、S会の信者
お得意の表現であることが判るのだが、理系学部は無いのだから、それを言うなら
「総合大学」ではなくて「単科大学」であろうし、むしろ「大学院大学」
に譬えた方が良いのでは?などと思ってしまう。
罵倒する相手の文章を馬鹿にした表現で、彼らが好んで使う言葉に「噴飯もの」
という時代掛かった言い回しがあるのだが、喧嘩する時に使う言葉くらいは
猿真似ではなくて、己の個性を発揮しても良さそうなものだと思うのだが。
文章の最後に、日蓮の遺文の真似をして、「はかなし。はかなし。」と鎌倉時代
の言い回しそのままに書くのも、彼らの中ではパターン化しているのであるが、
取り分けて馬鹿の中の馬鹿は「墓無し。墓無し。」とグレードアップさせて書く。
思想的な咀嚼力不足の者が教団に入ると、教団からインプットされたデータを
理論武装に用いて、そのまま外部攻撃に発信するの他は無いのだ。


現代日本は、近世までの身分制度に縛られた封建社会ではなく、誰しもが平等に
諸権利を有する自由主義社会であるにも拘わらず、教団信者たちは一様に
独立自尊の精神は何処へやら、教団の親玉に信服随従することを宗教的正義と
考え、その教団内独裁を好み、喜び勇んでその支配下に収まり、直に会った
こともない、言葉を交わしたこともない、自分の名前さえ知りもしない親玉を
人生の師匠などと位置付けて、そのお神輿をクローン人間の集団のような
金太郎飴化した信者総出で担ぎ上げる。
一度、人の風下に立ったならば、半永久的にその後塵を拝することになるが、
独立自尊の気概というものを端から持ち合わせていないのだろうかと不思議に思う。


お地蔵さん1


何れの教団であれ、尤もらしいご大層な宗教スローガンを掲げ、その下で
教団に都合の良い教義の解釈を上意下達で教団内に浸透させ、行動も言動も
思考も醸し出す雰囲気までも、信者の誰もが皆同じという、どこを切っても
皆同じ金太郎飴のような教団になる。
教団というものは、大勢の信者が同じ対象に向かって、同じ方向性を持って、
宗教的思念を放射するので、自ずとそこに霊界が出来上がり、教団自体が
霊体化して、一つの教団霊のような化け物が形成されるものである。

面白いもので、一宗一派に拘泥し、凝り固まっている人の発する「気」に
依って、その信仰が教派神道系か、仏教系、中でも日蓮カルト系か、それとも
キリスト教系かは、大体感じ取れるものである。
特に、日蓮カルト系はその臭味が強いので、十中八九判別出来る。
「破折屈伏(はしゃくくっぷく)」略して「折伏(しゃくぶく)」、つまり
「他宗教、無宗教の相手を打ち負かして、自分に従わせる」ことをモットーと
する布教形態を採るだけに、非妥協的で独善的、偽善的、且つ好戦的なだけに、
愛想笑いの面の皮を一皮剥けば、常に喧嘩腰で争いを仕掛けて来る、心も御魂
もささくれて、尖がった人々である。
私が彼らを宗教ヤクザと呼びたくなるには、訳が有る。
霊能の優れた人であれば、感知出来ると思うのだが、彼らの教団は霊的に、
暴力団や右翼団体のそれと同系統なのである。


土ぼっくり 祈りタイプ


教団に属している信者は誰しも、自分の信仰している宗教が一番正しくて、
オールマイティなものだと考えているものである。
「ウチの宗教は世界で何番目かに正しい」などと考えている謙虚な信者など
居る訳が無い。
どんな宗教でもそれなりに教義体系というものを形成している訳で、それが
「体系」を為している以上、そのお伽噺を展開する同一のグラウンドに立って、
議論を進めれば、一応は辻褄の合う理論のように錯覚を起こすものである。
偽善的な愛想笑い、爽やかさを演出した教勢拡大の下心見え見えの信者どもに
車座態勢で囲まれ、美辞麗句を駆使して体系化された嘘八百を並べられると、
恰もそれらが正論であるかのように聞こえて来てしまうのは、1960年代から
70年代に掛けての、政治的に先鋭化し過ぎた学生運動盛んなりし時代、資本家
対労働者という構図での社会構造の矛盾を突いて、共産主義的革命思想を吹き
込み、活動家へと洗脳する一本釣りのオルグ同様である。
生活互助会化した教団に依存することを必要とする人々の居ること、思想的、
宗教的に独立独歩で生きて行くだけの咀嚼力を発揮出来ない人も居ることは
理解出来る。
しかし、だからと言って、飛んで火に入る夏の虫のように、自ら奴隷志願する
ことはないのではないか。
何処の教団にも隷属せず、誰にも隷従することなく、独立自尊の気概高らかに
一人静かに深く思惟し、正神界のご神霊のいらっしゃる清涼な神社に一人で
通って、大和言葉で祈り事を静かに囁くようにご神明に語り掛けるが良い。


富士 信仰







テーマ : 宗教・信仰 - ジャンル : 学問・文化・芸術

2013/07/15 04:21 | 現代社会雑感COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

味方を生かす為にこそ、敵を斃す …社民党議員の「人殺し基地」発言

味方を生かす為にこそ、敵を斃す 

     …社民党議員の「人殺し基地」発言



平成25年(2013年)6月11日、参議院外交防衛委員会で、社会民主党の
山内徳信参議院議員(沖縄県出身 比例代表)は米軍普天間飛行場(沖縄県
宜野湾市)の名護市辺野古移設について、「辺野古新基地建設は人殺しをする
戦争目的の飛行場建設だ」「(アメリカ)海兵隊の使う基地は、人殺しの為の
ものだ」と述べた。
また、山内議員は「辺野古移設を断念しなければ、日本政府は民主主義国家
でも文明国家でもない。野蛮国家だ」とも述べた。
この発言を受け、小野寺五典防衛相は「自衛隊も、米軍も基本的に安全保障の
為の役割を担っているのであり、決して他国の人の命を殺める為にあるとは
思っていない」と常識的な答弁をした。

山内議員は沖縄県読谷村出身であることから、アメリカ海兵隊が陸海空三軍
とは異なって、アメリカ本土防衛を任務とはせず、飽くまでも海外遠征に特化
した殴り込み部隊であり、アメリカ合衆国の国益を守るという政治目的の為の、
当事国への先制攻撃をも任務とする特殊な軍隊組織であることを強く意識して
の発言なのであろうと思われる。

因みに、昭和20年(1945年)4月1日、アメリカ軍は日本軍の北飛行場
(後の読谷補助飛行場)と中飛行場(後の嘉手納飛行場)の攻略を第一目標に
沖縄本島攻略戦を開始したことから、本島中西部の読谷村が上陸地となった。


米海兵隊 沖縄


それにしても、山内議員の『人殺し目的の辺野古基地の建設を断念しなければ、
日本政府は民主主義国家でも文明国家でもない。野蛮国家だ』との主張は
論理的ではない。
そもそも、「人殺し国家」であることと、「民主主義国家」「文明国家」である
こととは矛盾しない。
「人殺し目的」の軍隊を組織し、「人殺し目的」の軍事基地が存在している国家
を「野蛮国家」と言うならば、非「野蛮国家」など、国際社会に存在しない。

山内議員のように、北朝鮮を「民主主義国家の理想像」「地上の楽園」などと
捉えるような倒錯した思考回路で考える「民主主義」というのはデモクラシー
を意味しない。
民主主義とは政体、政策決定の単なる方法論に過ぎず、民主主義の手続きに
則って、反日売国の支那人系朝鮮人系民主党でさえもが政権を掌握出来た訳で、
将来、国民の多数の投票行動に依っては民主主義の手続きに則って、一党独裁
政権樹立であろうが、軍事政権樹立であろうが、日蓮系カルト教団の政権樹立
であろうが合法的に可能となるという性質のものである。
民主主義とは、そういうものに過ぎないのである。
日本の民主主義は、旧日本社会党直系である社会民主党の存在を否定している
が故に、まるで塩を撒かれた蛞蝓であるかのように、党勢が惨状を呈している
という現実を山内議員は認識すべきであろう。
自党が民主主義的に衰退し、滅亡するのは、民主主義者の本望ではないか。


北朝鮮 お笑い勲章


山内議員は沖縄県立高校の教員、読谷村村長、沖縄県出納長などを経て、
2007年に初当選とのことであるが、2008年には在日本朝鮮人総連合会
(朝鮮総連)が、対北朝鮮制裁措置の即時解除を求める要請文を福田康夫首相
に提出する際、朝鮮総連副議長に同行したという。
2012年1月には、沖縄県で主体(チュチェ)思想研究会開催の「金正恩最高
司令官生誕祝賀パーティー」に出席。
「苦難の戦いの中から生まれたのが『主体思想』であり、沖縄の『命どぅ宝』
の思想も同じ生きる哲学だと思います」
「金日成主席生誕100周年を迎える今年、朝鮮の若き指導者金正恩氏の下で、
21世紀に輝く国造りが展開されますことを心から祈念申し上げます」との
祝辞を述べたという。
2013年1月には那覇市で、「主体思想研究会全国連絡会(全国主体研)」
「金日成・金正日主義研究沖縄連絡会」が開催した「自主・平和の為の主体
思想全国セミナー」『金正恩第一書記の就任祝い』に「連帯のメッセージ」を
送ったという。

ここまで北朝鮮に魂を売り渡している山内議員のことであるから、
嘗て日本共産党中央委員であった上田耕一郎氏の「アメリカの死の灰は
どす黒く汚れているが、ソ連のそれは白く美しい」「社会主義国の核爆弾は
防衛目的で安全」という論述同様に、
「アメリカの基地は汚い基地、北朝鮮の基地は綺麗な基地」「北朝鮮の基地は
防衛目的で安全」とでも考えているのであろうよ。
北朝鮮の政治体制に憧憬を抱くとは、全く以って正気の沙汰ではない。


沖縄の米軍基地A


ところで、この稿の本題である「人殺しをする戦争目的云々」の件であるが、
国軍が戦闘状態で敵国の兵士を「殺す」目的は、護るべき自国民を死なせずに
「生かす」為であり、自軍の兵士を死なせずに「生かす」為である。
嘗て民主党政権下で、仙石由人内閣官房長官が自衛隊を左翼の常套語である
「暴力装置」と表現したことがあったが、これも同様の発想で、国軍である
自衛隊は敵国が行使する暴力(武力)に打撃を与える為に、武力を行使する
軍事組織であって、侵略目的の武装勢力ではない。
国際法では、戦争は合法的な事態である。
国際法に反しない戦闘状態で、軍人が戦場で敵兵を斃すこと、山内議員の言う
ところの「人殺し」をするのは合法且つ正当であって、至極当然のことである。
否、むしろ、その「人殺し」なるものは、軍人の義務である。
「軍隊は人殺し」「軍事基地は人殺し目的」とする発言は、食材としての食肉を
提供する畜産農家やお肉屋さんを「牛殺し」「豚殺し」「鶏殺し」と罵ることと
何ら変わりはない。

憲法に関する学識の無いGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)民生局の
アメリカ軍人、軍属達が学生の研究発表かレポート作成のような参考資料の
寄せ集め方式で、僅か一週間の作業で仕上げた、間に合わせのマッカーサー
即席翻訳憲法である日本国憲法前文にあるように、日本を取り巻く周辺諸国、
支那、韓国、北朝鮮、ロシアなどが、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭
を地上から永遠に除去しようと努めて」いて、「自国のことのみに専念して他国
を無視」しない、非武装で善良な国家群であって、アメリカ軍と自衛隊だけが
極東地域で突出して軍備増強に勤しんでいるような国際環境であったと仮定
するならば、その場合の戦力批判には一理はあろうというもの。
しかし、全人類が未だ絶対非暴力の境地に達してはいない現況で、同盟軍を
「人殺し」と見做す発想は余りにも子供染みていて、幼稚過ぎるのである。


おれ君1


2007年に公開された「俺は、君のためにこそ死ににいく」というタイトルの
映画がある。
脚本・制作総指揮は石原慎太郎氏、監督は沖縄県出身の新城卓氏で、徳重聡や
窪塚洋介など好い俳優が知覧の特攻基地から出撃する陸軍の特攻隊員を演じた。
タイトル中の「死ににいく」の「いく」は平仮名表記で、「行く」と「征く」の
掛詞になっているのであろう。
「君のためにこそ」と、愛する人を守りたいとの一念で、彼らは攻め寄せる
アメリカ機動部隊に特攻を敢行して、アメリカ兵を殺したのである。
「人殺し」の特攻で、愛する人々、愛する国を「生かし」てくれたのである。

剣術の世界には、「活人剣(かつにんけん)」という言葉がある。
その意味するところには多様な解釈があり、「戦わずして勝つ」という意味合い
では、「気」を以って相手を制し、相手を殺さずに勝利を収め、己を「生かし」、
相手も「生かす」という「不殺の精神」を意味したり、「殺人刀(せつにんとう)・
活人剣」の対句で、技術的な方法論としては、わざと隙を見せるなどして、
相手を先に動かし、後の先を取ることを「活人剣」、自分から仕掛けて、
一気に相手を圧倒してしまう剣を「殺人刀」とするなどの解釈がある。

江戸時代初期の大名で、徳川将軍家の兵法指南役を務めた、柳生新陰流の
柳生但馬守宗矩(やぎゅう たじまのかみ むねのり)は「兵法家伝書」で、
「殺人刀・活人剣」について、
「大勢の人を苦しめる悪人がいたとして、その悪人に打ち勝ち、確実に殺す
のが『殺人刀』であり、その悪人一人を殺したことに依って、大勢の人が
救われ、活かされるとしたら、それが『活人剣』である」(趣意)と述べている。

「人斬り」の兵法(ひょうほう)を単なる殺人技法に止め置かず、万人救済
の境地にまで昇華させていることは、参議院外交防衛委員会での小野寺五典
防衛相の「自衛隊も米軍も、基本的に安全保障の為の役割を担っているので
あり、決して他国の人の命を殺める為にあるとは思っていない」との発言に
通じるところである。


ヨーク軍曹2


第一次世界大戦に於ける武勲で、自国アメリカから名誉勲章と殊勲十字章、
フランスからは陸軍勲章を授与された、アメリカ陸軍アルヴィン・ヨーク軍曹
(1887―1964)の伝記的映画「ヨーク軍曹」が、ハワード・ホークス監督、
ゲイリー・クーパー主演で制作され、1941年(昭和16年)に公開された。
ゲイリー・クーパーは、この「ヨーク軍曹」でアカデミー主演男優賞を獲得。
日本での公開は、10年後の昭和26年(1951年)。

1918年、フランスの「アルゴンヌの戦い」で、ヨーク伍長は壊滅的打撃を
受けた分隊を率い、自軍の10倍以上ものドイツ軍を相手に勇猛果敢に戦い、
ドイツ兵25名を殺害、132名を捕虜にするという奇跡的な勝利を収めた功績で、
彼は一躍アメリカンヒーローとなった。
因みに、ヨーク軍曹の所属部隊は後にノルマンディ上陸作戦で、101空挺師団と
共に勇名を馳せることになる82空挺師団の前身、82歩兵師団の第328連隊
第2大隊であった。

ストーリーのクライマックスは、敬虔なクリスチャンで、良心的兵役忌避者で
あった射撃の名手ヨーク一等兵が信仰上の「人殺し」への忌避と、戦友や国家
の為の戦闘に於ける「人殺し」との矛盾に苛まれ、悩み抜いた結果、新約聖書
「マタイによる福音書」の「カエサルのものはカエサルに」の言辞の解釈から、
神への服従と国家に対する義務とは別次元のもので、両者を共に守ることは
矛盾ではないと思い至り、戦友を守る為にアルゴンヌで果敢に戦うという、
信仰から導かれる殺人の絶対否定を詭弁の論理で誤魔化して、兵役を美化し、
戦場に於ける「人殺し」を肯定するに至る経過の描写にある。

この映画が公開された1941年は、ルーズベルト政権がヨーロッパ戦線への参戦
を目論んでいたものの、未だアメリカの国内世論が参戦を忌避していた時期で、
国民の戦意高揚という政治的企図を持った映画でもあったと推察される。
この年の12月、日本のハワイ真珠湾攻撃を切っ掛けに、アメリカは目出度く
ヨーロッパ戦線に参戦することに相成った。





ノンフィクション小説「Black Hawk Downアメリカ最強特殊部隊の戦闘記録」
を映画化した、ジョシュ・ハートネット主演、リドリー・スコット監督作品
「ブラックホーク・ダウン」は2001年に公開された。(日本での公開は2002年)
1993年、ソマリアの民族紛争に介入した多国籍軍の中核、アメリカ軍と民兵と
の壮絶な市街戦「モガディシュの戦闘」を描いた作品である。


アメリカ軍は、最大勢力の部族を率い、平和調停を拒むアイディード将軍派の
幹部2名の捕獲を目的として、約100名の特殊部隊に首都モガディシュの拠点
を強襲させた。
想定では、作戦は30分で完了するはずであったが、作戦開始直後に、強襲型
ヘリコプター「MH-60Lブラックホーク」2機がソ連製携帯対戦車擲弾発射器
RPG-7に依る民兵の攻撃で撃墜されてしまう。
仲間の救出に敵地に突入した兵士たちは、15時間に及ぶ泥沼の市街戦を展開
することになる。
戦死19名、負傷73名にも及ぶ激戦で、この損害に衝撃を受けたアメリカ世論
は平和維持活動からの撤退に傾き、1994年、クリントン大統領はソマリアから
の撤兵を決定した。

この映画の最後のシーンが凄く好い。
激戦を戦い抜き、九死に一生を得て、多国籍軍の基地パキスタンスタジアムに
生還出来たにも拘わらず、特殊部隊デルタフォースのフート一等軍曹が仲間の
救出の為に戦場に戻る出撃準備をしている。
エリック・バナが演じる、そのフート一等軍曹に、ジョシュ・ハートネットが
演じるレンジャー部隊班長エヴァーズマン二等軍曹が「戻るのですか」と
問い掛けると、フート一等軍曹は「仲間が残っている」と応える。

フート一等軍曹は更に語る。
When I go home,
people ask me,
"Hey Hoot, why do you do it, man?
Why?
You're some kinda 'war junky'?"

I don't say a god damn word. Why?
They won't understand.
They won't understand why we do it.
They won't understand it's about the man next to you.
That's it.
That's all it is.

国に帰ると、
皆にこう聞かれる。
「おい、フート、何故戦うんだ?」
「どうして? 何の為に?」
「もしかして戦争中毒なのか?」

だが、俺は何も応えない。何故か?
どうせ奴らには解らないからさ。
何故、俺たちが戦うか。
俺たちは仲間の為に戦うってことがな。
そうとも、それだけ。
それだけさ。


フート2


アメリカ合衆国の軍人に授与される勲章の中で最高位の勲章は、議会の承認を
得て、大統領から直接授与される議会名誉勲章(Congressional Medal of Honor)
であるが、単に名誉勲章(Medal of Honor)と呼ぶことの方が多い。
授章基準及び対象は、「戦闘に於いて、その義務を超えた勇敢な行為をし、
若しくは自己犠牲を示したアメリカ軍人」とされている。
アメリカ軍人は、Honor(名誉)を至上の価値と捉えているのである。
アメリカ陸軍史上に名を残す、偉大な軍人であったダグラス・マッカーサー
陸軍元帥は1962年、82歳の時、ウェストポイント陸軍士官学校で、若き士官
候補生たちに「Duty, Honor, Country(義務と、名誉と、祖国)」を重んじて、
努力するように説いた、有名な演説を行なった。
軍人は名誉を糧として、生きるのである。
国家に忠誠を尽くす軍人を「人殺し」呼ばわりし、彼らの名誉を踏み躙る言動
は控えなくてはいけない。

因みに、「モガディシュの戦闘」で、2機目のブラックホークが撃墜された際、
デルタフォースのランディ・シュガート一等軍曹とゲーリー・ゴードン曹長が、
パイロットのマイケル・デュラント准尉を群がる民兵から守る為に、勇敢にも
たった2名で地上に降下し、壮絶な戦死を遂げた。そして、その遺体は凌辱を受けた。
この英雄的な行為を称え、アメリカ合衆国はシュガート一等軍曹とゴードン曹長に
ベトナム戦争以来の議会名誉勲章を授与している。





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2013/06/29 15:35 | 現代社会雑感COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

選択的夫婦別姓制度導入の意味するもの …日本の家族の形の破壊

選択的夫婦別姓制度導入の意味するもの 

                  …日本の家族の形の破壊



東京地裁は5月29日、「夫婦別姓を認めない民法の規定は憲法違反だ」として、
別姓を続ける為に事実婚をしているという夫婦ら5人が国に計600万円の賠償
を求めた訴訟の判決で、原告側の請求を棄却した。
石栗正子裁判長は「夫婦の双方が結婚前の姓を名乗る権利が憲法上、保障され
ているとは言えない」と述べ、夫婦同姓の民法の規定が憲法違反であると判断
しなかった。

原告側は「夫婦は結婚の際に、夫か妻の姓を名乗る」とした民法750条の規定
が、個人の尊厳や両性の平等を保障した憲法の規定に違反するとし、1996年に、
法務大臣の諮問機関である法制審議会が「選択的夫婦別姓制度」の導入を答申
したにも拘わらず、法改正されていないのは「国会の怠慢」であるとしている。

この主張に対して、裁判長は憲法の規定について、「平等の原則を立法上の
指針として示したもので、個々の国民に夫婦別姓を保障したものではない」と
述べ、国会の責任についても、「選択的夫婦別姓制度の採用に対する期待が
大きく、積極的に求める意見が多いという社会情勢にあるからと言って、
直ちに立法の義務を負うとは言えない」と述べた。

原告側は判決後、東京都内で記者会見し、「世の中の価値観は変わって行くもの。
今の情勢に合わせて、判決を出して欲しかった」「今後も選択的夫婦別姓制度の
実現を求めて行く」として、控訴の方針を表明したとのこと。


小津安二郎映画 家族


民法第750条(夫婦の氏)に「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、
夫又は妻の氏を称する」として、「夫婦同氏」の原則が定められている。

夫婦同氏の習慣は、1898年(明治31年)公布・施行の旧民法以来のもので
結婚は、妻が夫の家に入るという伝統的な親族構造の考え方を反映して、
「妻が夫の氏を称する」と定められていた訳である。


日本の家族500


先ず初めに、「別氏」と「別姓」という言葉についてであるが、現代社会に
於いては、血の繋がりに依って成り立つ同族集団としての「氏」と、
「氏」について、職掌や家格、その尊卑を表わす呼称としての「姓」、
荘園制度に於ける所有地の字(あざな)を家名とした「名字」、
平安時代以降、一族の繁栄を祈って、家名を瑞祥文字で飾った「苗字」、
この、氏、姓、名字、苗字が一般的には同義語として用いられているが、
法律用語として、厳密には「氏」を用いるべきで、「夫婦別氏制度」とするのが
妥当であろうと思われる。


家族1


他国の事情を調べてみると、トルコやタイは近年、選択的夫婦別姓制度を
導入する法改正をしたとのことで、法律上の夫婦が共に、婚姻以前の姓名を
維持出来るという選択肢の無い国は日本だけということになるが、日本には
日本固有の「家」の形、「家族」の形というものがあるのであるから、日本が
何から何まで世界標準に合わせるという名目で、日本古来の伝統、文化を破壊
しなければならないということはないのである。

儒教文化圏である支那や朝鮮の夫婦別姓は、家父長制度の下、他人である妻を
夫の家に入れないという、父系氏族文化に於ける、男尊女卑の発想が根底に
ある訳であり、ヨーロッパの夫婦別姓導入は、夫婦同姓を含むキリスト教的、
聖書的束縛から逃れようとする反キリスト教の思想、フェミニズムの影響が
あるようであり、そもそも基本的な親族構造が違う上に、日本とでは歴史的、
文化的背景が異なる訳である。


家族2


民法750条の規定に依れば、「夫又は妻の氏を称する」とあり、どちらでも選択
出来る訳であるが、現実には婚姻の際に改姓する女性が約97%に上るという
ことで、このことが不公平であり、男女差別であるとして、夫婦別姓の導入を
求める理由の一つに挙げられているようである。
しかし、どちらの姓を選択しても良いという環境下に於いて、圧倒的大多数が
夫の姓を選択しているという現状を、民法の不平等に依るものとして、民法
改正を求める議論は論理整合性を持ち得ない。

民法改正推進派の挙げる、夫婦別姓でない不利益としては、職業上の業績や
評価の連続性が中断されること、改姓に依る自己喪失感が齎されること、
夫の姓を強要され、夫の実家に組み入れられることが苦痛に感じられる…
などがあるようである。


家族3


この民法改正に依る選択的夫婦別姓制度の導入論議に於いて、疎かにされて
いるのは、「夫婦同姓の原則が打ち破られる」という観点である。
つまり、「姓」が指し示す対象が、「家族」から「個人」に変更されることに
なるのである。

婚姻は、独立した新しい「家族」を作ることである。
その新しい「家族」の名称としての「姓」を選択するということであったのに
対して、夫婦別姓を導入することに依って、「姓」が「家族」を表わす名称で
あるという原則が覆されることになる訳である。
これは非常に大きな革命的変化と言える。


夜明けの富士K


夫婦別姓制度導入の民法改正に賛成を表明している諸政党など、夫婦別姓制度
導入推進派には、親中国、親韓国の反日左翼勢力が圧倒的に多い。
要するに、彼ら推進派は選択的夫婦別姓制度の導入が、日本古来の伝統、文化、
「家」の形、「家族」の形を破壊することを意味すると知っているのである。
当に、反日左翼勢力の日本解体の為の深謀遠慮ということである。

繰り返すが、何から何まで世界標準に合わせるという名目で、日本古来の善き伝統、
文化を破壊しなければならないということは、断じてないのである。


日本解体




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2013/06/01 03:19 | 現代社会雑感COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

安倍晋三首相の書かれた「成長力」は誤字か、略字か? …払いと点の無い「成」の文字

安倍晋三首相の書かれた「成長力」は誤字か、略字か? 

               …払いと点の無い「成」の文字



4月27日、インターネット動画配信サービス「ニコニコ動画」の運営会社が
千葉市の幕張メッセで開催したイベントに、安倍晋三首相が参加され、陸海空
自衛隊のブースを訪れた際、迷彩色のフィールドジャケットとヘルメットを
着用され、最新鋭の10式戦車に搭乗されたことが批判的に話題とされた。
その後、安倍首相は参加記念の寄せ書きボードに「成長力」と揮毫されたが、
その「成長力」の内の、小学生でも書ける「成」の文字を間違えたとのことで、
アンチ安倍首相の人々には「流石に成蹊小学校、成蹊中学校、成蹊高等学校、
成蹊大学出身の『成蹊力』」などと揶揄されている。


成長力500


安倍首相は敢えて、「払い」と「点」の無いあの「成」の文字を書かれたので
あろうと、私は考えている。
成蹊学園の「成蹊」の語は、司馬遷が『史記』「李将軍列伝」に於いて、
漢時代の軍人・李広を評して記した「桃李不言 下自成蹊」(桃李もの言わ
ざれども、下おのずからこみちをなす)の一節に由来するという。
桃や李の木は口は利けないが、花の美しさ、芳しい香りに惹かれて、自然と
人々が集まって来る為に、自ずとそこへ至る小道が出来てしまう。
転じて、徳の有る人格者は自己宣伝しなくとも、その人徳を慕って、自然に
人々が集まって来て、いつしか道が出来てしまうということの譬えである。
成蹊学園出身の安倍首相は、「成」の文字には思い入れがあるに違いない。

一説には、「天(点)に頼らず、厄を祓(払)わず、物事を成す」と言う深い
意味を込めて、「払い」と「点」の無い「成」の文字を書くことがあるという。
これは成蹊学園生に尋ねてみなければ分からないことであるが、成蹊学園生の
間だけで通用する「成蹊」の文字の略し方があるのではないかと想像している。
特に画数の多い「蹊」の文字などは、如何にも略したくなりそうではないか。

大学に限ったことではないが、学生は仲間内では学校名の漢字を略してみたり、
略称で呼んでみたりするものである。
例えば、慶應義塾大学では、「慶」の文字を「まだれ」に「K」と書き、
「應」の文字を「まだれ」に「O」と書く。
また、「慶應」を「まだれ」に「KO」と書いたりもする。
塾生の間だけに通用する書き方である。


慶

応

慶応


成蹊学園生にも、きっと「成蹊」の文字を略した書き方があるに違いない。
そういう略字があるとするならば、安倍首相が「払い」と「点」の無い「成」
の文字を書かれた所以は、成蹊学園ご出身であるからこそのことということに
なるのではなかろうか。


安倍首相 子供時代



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2013/05/04 07:35 | 現代社会雑感COMMENT(2)TRACKBACK(0)  TOP

戦場を駈けるジャーナリスト達 …山本美香氏の散華を悼む

戦場を駈けるジャーナリスト達 

                …山本美香氏の散華を悼む



8月20日、トルコとの国境に近いシリア北部アレッポで、シリア反体制武装組織
「自由シリア軍」と行動を共にして、取材活動をしていたビデオジャーナリストの
山本美香氏(45歳)が、アサド政権側の民兵部隊に射殺された。
山本氏はパートナーの佐藤和孝氏(56歳)と共に20日、トルコ南部キリスから
シリアに向かい、反体制派の制圧下にあるスレイマンハラビ地区で取材中に銃撃を
受けたという。
アレッポは反体制派を支援する隣国トルコに近い戦略的な要衝で、7月下旬以来、
反体制派の制圧区域で政府軍との間で激しい攻防戦が続いている。

情報発信に積極的な反体制派は、制圧区域に取材拠点を設けるなど外国のメディア
に協力的であるというが、アサド政権は取材活動を排除する方向にあるようだ。
中東のテレビ局「アルジャジーラ」の報道では、自由シリア軍「タウヒード旅団」が
拘束したシリア政府軍の兵士は「治安局幹部の会合で、自由シリア軍に協力する、
アレッポを取材中の外国人ジャーナリスト全てを標的にした殺害計画が決定した」
「日本人ジャーナリストの殺害は、この外国人ジャーナリスト殺害命令に基づいて
行われ、実行犯は親アサド派民兵組織「シャビーハ」のメンバーである」と証言
したという。

銃撃の現場で佐藤氏が撮った映像では、通りを歩いて来る民兵部隊の少し前を
歩いていた男が、山本氏らを指差し、部隊に「ヤバーニ(日本人だ)」と叫び、
その直後に銃撃が始まっている。
警視庁の司法解剖に依れば、山本氏は9ヶ所もの銃創を負っていて、背後から
首を撃ち抜いた一弾が致命傷となったと見られている。
シリア政府軍制式装備のアサルトライフルは、7.62×39㎜弾使用のAK-47
(カラシニコフ小銃)である。





山本美香氏は昭和42年(1967年)生まれ、山梨県出身。
日本人女性で唯一の戦争ジャーナリストとして、アフガニスタンやイラク、
レバノン、コソボ、チェチェン、アルジェリア、ウガンダなど、世界の紛争地を
舞台に取材活動され、特にタリバン政権下のアフガニスタン、2001年の9.11
アメリカ同時多発テロ事件に起因するアフガニスタン紛争時の首都カブール陥落
など、劇的な場面を取材。
イラク戦争時、空爆下のバグダッドからレポートを発信し続け、一躍有名になった。
そのイラク戦争報道が評価され、ボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞。


山本美香氏の名相から数霊を読み取ると、
総運、天運、人運、地運、外運、社会運、家庭運はそれぞれ、
26、8、14、18/20、12/16、17、23となる。
また、天運8-地運18、天運8-人運14、人運14-地運18の配列から、
凶暗示が読み取れる。
数霊12、14、18等から、強い自我、意志、行動力など、美徳の暗示を読み取る
ことが出来るが、同時に事象的には孤独、挫折、危難、遭難などの凶暗示が
読み取れる。
特に注目すべきは、山本氏の全体運、総合運とも言うべき総運に、数霊26が
表われていることである。


数霊26は、古くは「英雄運」の数と呼ばれ、「非凡な才能」「ドラマチックな
生涯」「悲劇的な終末」を暗示している「波瀾運」「動乱運」のサインである。
吉と凶、幸不幸が常に表裏一体の傾向が強く、運気の定まらない暗示がある。
冷静沈着な観察眼、判断力に優れ、強い精神力を持ち、行動力も抜群であるが、
篤い情念の迸るままに、自分自身よりも他者を思い遣る傾向が強く、誠心誠意
尽くすのだが、その恩を仇で返されるような不条理が付き纏うことになる。

数霊26の際立つ特徴の一つに、攻撃的、破滅的傾向性の強い動乱志向がある。
古神道の霊魂論で言えば、一霊四魂(荒魂《あらみたま》、和魂《にぎみたま》、
奇魂《くしみたま》、幸魂《さきみたま》)の内、荒魂が比較的大きく発動する
状態と言える。
全ての人々が必ずしも、平穏無事な平和的生活を愛好する安定志向であるとは
限らない。
荒々しい心の乱れのままに与太って、突っ張って、修羅の命の同類を招き寄せ、
喧嘩に明け暮れるような街のヤクザ者も居れば、殺戮と破壊の戦場に身を置く
ことに憧れ、祖国とは無関係の紛争地域にでも、傭兵として赴く戦闘者も居る。
数霊26の傾向性を大きく発現させている人は、自ら波乱を巻き起こしてしまう
か、さもなければ、騒乱の地を求め、大胆不敵にも自ら悲劇的な終末へと赴く
ことになる。


アフガン


山本美香氏と事実婚の関係にあったという、佐藤和孝氏(56歳)の名相から
数霊を読み取ると、43、28、29、15/17、14/18、36、36となる。
佐藤氏の仕事・金運・社会運も、家庭・恋愛・結婚運も、26と似た傾向
を持つ同系の数霊36で、凶暗示の強い波乱多き英雄運である。
お二人の間には共通する同数、同系数が表われていることから、お互いに理解
し合える面を持っていたであろうこと、俗に言うところの「馬が合う」関係性
であったことが読み取れると同時に、山本美香氏は、「山本美香」氏の名相に
表われている後天運を幸も不幸も歩ませる人、つまり「非凡な才能」を発揮
させてくれる人、「ドラマチックな生涯」を歩ませてくれる人、「悲劇的な終末」
を迎えることになる境涯に導いてくれる人として、佐藤和孝氏と出会い、その彼
を自らパートナーとして選択し、無意識の内にも持って生まれた運命的な傾向性
のままに生きたことになる。

2012年5月8日、山本美香氏は早稲田大学大学院のジャーナリズムスクール
(J-School)での講義で、佐藤和孝氏との出会いに付いて語っている。
「日本のビデオジャーナリストの草分けでもある、佐藤和孝氏のボスニア戦争
を取材した映像があります。
『サラエボの冬 ~戦火の群像を記録する~』というNHK-BSで放送した
長編ドキュメンタリー作品です。
この作品を取材、撮影、編集したのが佐藤氏だったのです。
 この映像を観たとき、フリーランスの日本人でこういう活動をしている人を
ほとんど知らなかったので、本当にびっくりしました。
ボスニア紛争の真っ只中、小型ビデオカメラを持って戦場の最前線だけでは
なく、市民の生活にも入って行き、普通の人たちがどう戦争に翻弄されて行く
のかを描いている。
人々の生活に密着したこのドキュメンタリー作品を観たとき「これは凄い!」
と衝撃を受け、私もこういうことがやりたい、こういうことがやりかたった
んだ、という思いがより一層強くなりました」

「悲劇的な終末」への指向性を帯びた、運命的なお二人の結び付きは、
幸不幸表裏一体、吉凶表裏一体であったということになる。


シリア地図450


山本美香氏の語った言葉に、
「みんな止むを得ず、戦っている。一人一人に、地球上で生きる同年代の人のこと
に付いて、思いを巡らせて欲しい」
「戦う兵士の姿や悲惨さだけでなく、紛争地にも普通の人が住み、逞しく生きて
いる様子を知って貰いたい」
「伝えることによって、戦争が早く終わるかもしれないし、拡大するのを防ぐかも
知れない」というのがある。

6、16、26、36…という6系数の暗示の共通性として、義侠心の強さがある。
狭い対人関係の範囲であれば、義理人情に厚く、人の面倒見が良く、自分の
ことは二の次に差し置いてでも、人によく尽くすという美徳を発現させる。
大所高所に立てば、「世の為、人の為に」「天下国家の為に」という高邁な
目的意識を胸に秘めて、その熱い情念の迸るまま、大胆不敵に無鉄砲な行動を
取ってしまい、危地に立ち至ってしまう傾向がある。



戦場のジャーナリストと呼ばれる人達、その人がフォトジャーナリストであれ、
映像ジャーナリストであれ、その名相からは、徴として表われる箇所は違えども、
流石に6系の数霊が読み取れるものである。


●岡村昭彦氏(1929年-1985年) フォトジャーナリスト
ベトナム戦争を最前線、及びベトコン(南ベトナム解放戦線)支配区で取材。
ドミニカ革命、ナイジェリア内戦、アメリカ軍のラオス侵攻を取材。
「岡村 昭彦」氏の名相 33、15、16、18/20、15/19、24、25
人運16


●沢田教一氏(1936年-1970年) フォトジャーナリスト
ベトナム戦争を撮影した「安全への逃避」でピューリッツァー賞等を受賞。
カンボジア戦線で狙撃され、死亡。享年34歳
「沢田 教一」氏の名相 34、22、16、12/14、18/22、33、17
人運16


●石川文洋氏(1938年-) フォトジャーナリスト
1965~68年、南ベトナムの首都サイゴン(当時)で、南ベトナム政府軍、
アメリカ軍に従軍し、戦場を取材。その後も各国の紛争地帯で写真撮影。
「石川文洋」氏の名相 22、8、7、14/16、15/19、12、17
地運裏16


●酒井淑夫氏(1940年-1999年) フォトジャーナリスト
1967年に北ベトナムで第二次インドシナ戦争を撮影し、
写真集「より良きころの夢」で、ピューリッツァー賞特集写真部門を受賞。
その後、アメリカ軍のラオス侵攻、フィリピンのモロ民族解放戦線などを取材。
「酒井淑夫」氏の名相 30、14、16、16/18、14/18、26、20
人運16、地運16、社会運26


●一ノ瀬泰造氏(1947年-1973年) フォトジャーナリスト
インド・パキスタン戦争、ベトナム戦争、カンボジア内戦を取材。
「安全へのダイブ」でUPIニュース写真月間最優秀賞を受賞。
1973年、「地雷を踏んだら”サヨウナラ”!」との有名な手紙を友人宛に残し、
共産主義勢力クメール・ルージュ支配下のアンコールワットに単身潜入し、
消息を絶つ。
1982年、アンコールワット北東のプラダック村で遺体が発見され、
1973年11月にクメール・ルージュに処刑されていたことが判明した。
享年26歳。
「一ノ瀬泰造」氏の名相 45、22、29、23/25、16/20、31、43
地運16


●長井健司氏(1957年-2007年) 映像ジャーナリスト
2007年、ミャンマーのヤンゴンで軍事政権に対する反政府デモを取材中、
政府軍兵士に至近距離から狙撃され、死亡。享年50歳
「長井健司」氏の名相 28、12、15、16/18、13/17、23、20
地運16


●渡部陽一氏(1972年-) フォトジャーナリスト
ルワンダ紛争、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、イラク戦争など
多くの紛争地域を取材。
「渡部陽一」氏の名相 46、28、32、18/20、14/18、45、33
総運46



露草


8月28 日、山梨県都留市の斎場で営まれた、山本美香氏の葬儀に先立ち、
ご実家からの出棺に際し、父君は庭の露草を棺の中に手向けられたという。

異国の戦場に散華された、山本美香氏の御冥福をお祈り致します。



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2012/09/03 05:50 | 現代社会雑感COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP