帝国憲法四方山話③…憲法発布勅語…歴史的連続性の認識

 2018-04-20
帝国憲法四方山話③ 

…憲法発布勅語…歴史的連続性の認識



「憲法発布勅語」 明治22年(1889年)2月11日

「朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権
ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス
惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ
無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ
国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ朕我カ臣民ハ
即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順シ
相与ニ和衷協同シ益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固
ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ」


明治憲法B


(ふりがな表記)

「朕(ちん)国家ノ隆昌(りゅうしょう)ト臣民(しんみん)ノ
慶福(けいふく)トヲ以テ(もって)中心ノ欣栄(きんえい)トシ
朕カ祖宗(そそう)ニ承(う)クルノ大権ニ依(よ)リ現在及将来ノ臣民ニ
対シ此ノ不磨(ふま)ノ大典(たいてん)ヲ宣布ス
 惟(おも)フニ我カ祖(そ)我カ宗(そう)ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼
(ほよく)ニ倚(よ)リ我カ帝国ヲ肇造(ちょうぞう)シ以テ(もって)
無窮(むきゅう)ニ垂(た)レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳(いとく)ト
並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉(したが)ヒ以テ(もって)
此ノ光輝(こうき)アル国史ノ成跡(せいせき)ヲ貽(のこ)シタルナリ
朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ
奉体(ほうたい)シ朕カ事ヲ奨順(しょうじゅん)シ相与(あいとも)ニ
和衷(わちゅう)協同シ益々(ますます)我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ
宣揚(せんよう)シ祖宗ノ遺業(いぎょう)ヲ永久ニ鞏固(きょうこ)
ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分(わか)ツニ堪フルコトヲ
疑ハサルナリ」


明治憲法C


●欣栄(きんえい)
喜びと光栄。 喜ばしい光栄。

●不磨(ふま)
磨り減らないこと。 長く価値を保つこと。 不朽。
「不磨の大典」
①.長い間改定されていない、重要な法律や規則。
②大日本帝国憲法の美称
「現在及将来の臣民に対し、此の『不磨の大典』を宣布す」との文言があった
ことから、第73条に憲法改正の規定は存在したが、大東亜戦争敗戦後、占領軍
の圧力で新憲法が起草されるまで、改正発議は一度も無かった。

●輔翼(ほよく)
政務を助けること。 君主を補佐すること。

●肇造(ちょうぞう)
(国などを)初めて造ること。 創造。

●無窮(むきゅう)
果てしないこと。 また、その様。 無限。 永遠。

●奉体(ほうたい)
受け賜って、よく心に留めること。 また、それを実行すること。

● 奨順(しょうじゅん)
助け従うこと。 勧奨し順行すること。 また、奨め導くこと。

●和衷協同(わちゅうきょうどう)
心を合わせ、互いに協力して事を為すこと。 和協。

●鞏固(きょうこ)
強くしっかりして、揺るがない様。 強固。


後醍醐天皇と楠正成
笠置城(京都府相楽郡笠置町笠置)にて、後醍醐天皇に拝謁する楠木正成公


現代語訳 (文責在詠山史純)

朕(われ)は、国家の隆盛と臣民の幸福とを以って、一番の喜びと光栄とし、
朕(われ)が歴代天皇から受け継いだ大権に依って、現在及び将来の臣民に対し、
この不朽の大いなる法典を宣布する。
考えてみるに、我が祖先(神武天皇)、歴代天皇は、我が臣民の祖先たちの協力、
補佐に依り、我が帝国を創造し、それを後世に永久の模範として示された。
このことは、我が神聖なる歴代天皇の威徳と、並びに臣民の忠実勇武にして、
国を愛し、殉国を厭わない行為に依って、この光輝ある日本の歴史に足跡を
残して来た。
朕(われ)は、我が臣民が、すなわち歴代天皇の忠実で善良なる臣民の子孫で
あることを思い起こし、我が帝国の光栄を国の内外に広く知らしめ、歴代天皇
の偉業を永久に強固たるものにするという希望を同じくし、その任の分担に
耐え得ることを疑わないものである。


後醍醐天皇と名和長年
隠岐島から脱出された後醍醐天皇を船上山(鳥取県東伯郡琴浦町)に迎える名和長年公


「我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ」
(我が祖先(神武天皇)、歴代天皇は、我が臣民の祖先たちの協力、補佐に依り、
我が帝国を創造し《意訳》)という文言が好い。
神代以来の万世一系の天皇と臣民という関係の連続性を自覚させられる。
何時の時代の日本人も、皇統を縦糸に織り成す歴史的な連続体の中に生きたと
いう日本的事実の中に在る。
日本全国が江戸幕藩体制に在って、征夷大将軍に委任統治され、民衆に天皇の
存在が殆ど忘れ去られていたような時代、明治期に於いて、「天皇陛下のお召し
に依って、徴兵される」と言われても、「そんなオッサン、わしゃ、知らんぞ」
と返答したような時代であっても、伝統的な天皇の価値観は変わらなかった。
近代日本国家のスタートに当たり、王政復古を必要としたこと、神代以来の
天皇の宗教性、カリスマ性を必要としたことは、如何にも日本的である。
日本人の誰しもが、親の親の親…と何代も何十代も遡って行けば、何処かで
歴代天皇との血の繋がりがあるかも知れないと感じさせるような大家族国家
を自覚させられるものがある。


京都御所


この憲法発布勅語の「此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス」という文言に依って、
残念ながら、明治憲法が「不磨の大典」「不朽の大典」とされ、条文の改正が
事実上、不可能に近かったことが、昭和の悲劇を導いてしまったとも言える。
内閣制度を憲法に明記し、政府の権限を明確に規定しておけば、第11条
「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」との条文はそのままであっても、政府が皇軍を
統制することは可能であったはずである。

第7章補則、第73条「将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ
勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スベシ」と改正条項が明記されていたにも
拘わらず、改正に必要な天皇の勅命の奉戴工作を企図する者さえいなかった。
憲法外機関の元老たちが、政府の最高首脳として充分に機能していたことで、
明治憲法の欠陥が露呈することなく、制御されていた時代はまだ良かった。
本来ならば、元老の時代の終焉と共に、状況の変化に相応した憲法改正を
すべきであった。

「GHQ民生局の軍人、軍属25人&コミンテルンのスパイ&日本人売国奴
共同制作の即席翻訳占領憲法」である現行のお馬鹿憲法も「不磨の大典」と
化していることは、再び日本に悲劇を招く恐れがあるということである。


第219記事1
昭和天皇は、新憲法典「日本国憲法」に裁可のご署名をされている場面の写真に、
「裕仁」とサインを認められ、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥に贈られた。





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帝国憲法四方山話②…日本には欽定憲法こそが相応しい

 2018-04-20
帝国憲法四方山話② 

…日本には欽定憲法こそが相応しい



大日本帝国は明治18年(1885年)、太政官制を廃止して、内閣制度を導入し、
伊藤博文(長州)が初代内閣総理大臣となった。
明治22年(1889年)、大日本帝国憲法が発布され、第1回帝国議会が開会
された翌明治23年(1890年)に施行された。
また、憲法発布と同時に、皇室の家法である皇室典範も定められた。

それに先立つ明治15年(1882年)、参議伊藤博文や井上毅らが渡欧し、
ベルリン大学のルドルフ・フォン・グナイスト、ウィーン大学のロレンツ・
フォン・シュタインの両憲法学者から、ドイツ系立憲主義の理論を学んだ。
ドイツ帝国は小国家を統一した連合国家で、その憲法は単一民族国家である
日本には適さず、むしろドイツ帝国の中核、旧プロセイン王国の憲法体制が
最も適すると判断され、明治16年(1883年)、憲法取調局(制度取調局)は
プロセインタイプをベースに、憲法草案の起草を開始した。

日本の法体系の根幹となるべき憲法であれば、単なる立憲君主国の制度を
外国に倣って導入すれば良いというものではなく、それは日本の歴史、伝統、
文化に立脚した、日本の国柄を十全に反映したものでなければならない。


憲法発布A


大日本帝国憲法は、明治天皇が内閣総理大臣黒田清隆(薩摩)に手渡すという
「欽定(きんてい)憲法」の形態で発布された。
欽定憲法とは、「君主の意思に依って制定され,国民に与えられた憲法」と
定義され、ヨーロッパでは王権と民権との対立構造の中で、強い権力を有する
君主が民権の伸張を抑圧する為、一方的に国民に押し付けるのを常とする。
しかし、憲法の立案に関わった伊藤博文が、「そもそも憲法を設ける趣旨は、
第一に君権(公権力)を制限し、第二に臣民(国民)の権利を保全すること
である」と述べているように、大日本帝国憲法は欽定憲法でありながら、
恰も民定憲法であるかのように、王権と民権の均衡が図られていた。

それは偏に、万世一系の天皇が皇祖の神勅を奉じて統治する一大家族国家と
という、日本の国体に起因する。
天皇は皇祖皇宗、ご歴代天皇の神霊を祀り、その大御心を奉戴して国を統治し、
国民はそのご歴代天皇の下で臣民として生きたご先祖代々を敬い、君臣共に
生者のみの概念でものを考えないのである。


明治元年(1868年)3月14日、16歳の明治天皇が紫宸殿に公卿諸侯を
集め、天神地祇を祀り、神々に誓約するという形で新しい国家の方針を
表明された「御誓文(五箇条のご誓文)」同様に、大日本帝国憲法もまた
明治天皇が「76箇条のご誓文」を「天神地祇のご神前で神々(皇祖皇宗)に
お誓い申し上げた」ということである。
従がって、「欽」の語は「天子に関する物事に冠して、敬意を示す」語であるが、
明治22年発布の欽定憲法の「欽(つつ)しんで、定める」という敬意の対象は、
明治天皇ではなく、神々(皇祖皇宗)である。
近代日本の国是からして、天皇と国民という生者間の王権と民権のせめぎ合い
の中で、天皇が国民に下されたという意味の欽定憲法ではないのである。
それは、大日本帝国憲法発布に於ける「告文(つげぶみorこうもんorこうぶん)」
「憲法発布勅語」及び「大日本帝国憲法上諭(前文)」に明示されている。


御誓文500


大日本帝国憲法「告文」

明治22年2月11日公布
明治23年11月29日施行
昭和22年5月3日失効


皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ神靈ニ誥ケ白サク皇朕レ天壤無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ寶祚ヲ承繼シ
舊圖ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ發達ニ
隨ヒ宣ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示シハ以テ子孫ノ率由スル所ト爲シ
外ハ以テ臣民翼贊ノ道ヲ廣メ永遠ニ遵行セシメ益國家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲
民生ノ慶福ヲ增進スヘシニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆
皇祖
皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ
逮テ時ト倶ニ擧行スルコトヲ得ルハ洵ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威靈ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ
皇祖
皇宗及
皇考ノ神祐ヲリセテ朕カ現在及將來ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ
愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ
神靈此レヲ鑒ミタマヘ


※上奏文等に於いて、高貴な人に関する語を記述する際、最高の敬意を示す為 
 に改行し、他よりも高く書く「擡頭(たいとう)」という文書上の作法がある。
 (縦書き)
「皇」の文字を各行の先頭に記述するのはその為で、この「告文」の場合、
敬意の対象は皇祖皇宗である。


明治憲法告文


(ふりがな表記)

皇朕(わ)レ謹(つつし)ミ畏(かしこ)ミ
皇祖(こうそ)
皇宗(こうそう)ノ神霊(しんれい)ニ誥(つ)ケ白(まう)サク
皇朕(わ)レ天壌無窮(てんじょうむきゅう)ノ宏謨(こうぼ)ニ
循(したが)ヒ惟神(ただかみ)ノ宝祚(ほうそ)ヲ承継(しょうけい)シ
旧図(きょうと)ヲ保持(ほじ)シテ敢(あへ)テ失墜(しっつい)スルコト
無(な)シ
顧(かへり)ミルニ世局(せいきょく)ノ進運(しんうん)ニ膺(あた)リ
人文(じんもん)ノ発達ニ随(したが)ヒ宜(よろし)ク
皇祖
皇宗ノ遺訓(いくん)ヲ明徴(めいちょう)ニシ典憲(てんけん)ヲ成立シ
条章(じょうしょう)ヲ昭示(しょうじ)シ内(うち)ハ以(もち)テ
子孫(しそん)ノ率由(そつゆう)スル所(ところ)ト為(な)シ
外(そと)ハ以(もち)テ臣民(しんみん)翼賛(よくさん)ノ道(みち)ヲ
広(ひろ)メ永遠(えいえん)ニ遵行(じゅうんこう)セシメ益々(ますます)
国家ノ丕基(ひき=統治の基礎)ヲ鞏固(きょうこ)ニシ八洲(やしま=日本
の美称〉民生(みんせい=臣民の生活)ノ慶福(けいふく)ヲ増進(ぞうしん)
スヘシ
茲(ここ)ニ皇室典範(こうしつてんぱん)及憲法ヲ制定ス
惟(おも)フニ此(こ)レ皆(みな)
皇祖
皇宗ノ後裔(こうえい)ニ貽(のこ)シタマヘル統治(とうち)ノ洪範(こうはん)ヲ
紹述(しょうじゅつ)スルニ外(ほか)ナラス
而(しか)シテ朕(ちん)カ躬(み)ニ逮(および)テ時(とき)ト倶(とも)
ニ挙行(きょこう)スルコトヲ得(う)ルハ洵(まことに)ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威霊(いれい)ニ倚藉(いしゃ)スルニ由(よ)ラサルハ無(な)シ
皇朕(わ)レ仰(あおぎて)テ
皇祖
皇宗及
皇考(こうこう)ノ神祐(しんゆう)ヲ祷(いの)リ併(あわ)セテ
朕カ現在及将来ニ臣民(しんみん)ニ率先(そっせん)シ此ノ憲章(けんしょう)ヲ
履行(りこう)シテ愆(あやま)ラサラムコトヲ誓(ちか)フ庶幾(ねがわ)クハ
神霊(しんれい)此(こ)レヲ鑒(かんがみ)ミタマヘ


御告文A


現代語訳 (文責在詠山史純)

告文
皇朕(われ=明治天皇)は謹んで、皇祖皇宗(神武天皇および歴代天皇)のご神霊
にお告げ申し上げます。
皇朕(われ)は、いつまでも続いて行く天地のように、いつまでも続く広大な
計画に従い、ご神霊の皇位を継承し、これまでの国土と伝統文化を維持し続け、
決して失墜することの無きように致します。
歴史を顧みて、世の中の進歩、向上に連れ、人倫の発展を更に進めるに当たり、
皇祖皇宗が残して下さいました訓戒を明らかにした憲法を作ります。
皇室典範と憲法を制定して、その条章を明示し、皇室では子孫がこれらの規則
から外れないようにし、国民には、天皇を補佐する道を広めて、皆が助け合い、
永遠に憲法に従わせるようにして、益々国家統治の基礎を強固にし、国民の
生活の幸福を増進致します。
その為に、ここに皇室典範及び、憲法を制定致します。
深く顧みるに、これはみな皇祖皇宗が子孫に遺し給われた統治の模範に従い、
行動することに他なりません。
そして、皇朕(われ)の代に成って、憲法を制定出来るのは誠に皇祖皇宗及び、
先帝(孝明天皇)の有り難いご神威に依るものです。
皇朕(われ)は仰いで、皇祖皇宗及び、先帝(孝明天皇)のお助けを祈願し、
併せて、皇朕(われ)の現在及び将来に、国民に率先して、この憲法を実行
して、これを誤ることの無いようにすることをお誓い致します。
願わくば、ご神霊よ、この誓いに照らし合わせて、皇朕(われ)を導き給え。


明治憲法発布C


●天壌無窮(てんじょうむきゅう)
天地とともに永遠に続くこと。

●宏謨(こうぼ)
広大な計画。 宏図(こうと)。

●惟神(ただかみorかんながら)=随神
神代のまま。 神の思し召しのまま。
人為の加わらない神代から伝わって来た神の御心のまま。

●宝祚(ほうそ)
天皇の位。 皇位。 宝位。 おおみくらい。

●率由(そつゆう)
前例から外れないようにすること。 

●臣民(しんみん)
君主国に於いて、君主の支配の対象となる人々。
明治憲法下に於ける、天皇・皇公族以外の国民。

●翼賛(よくさん)
力を添えて助けること。 天皇の政治を補佐すること。

●紹述(しょうじゅつ)
先人の業を受け継いで、それに従って行うこと。

●皇考
在位中の天皇が亡くなった先代の天皇を言う語。

●倚藉(いしゃ)
依ること。 頼ること。


明治憲法発布2


大日本帝国憲法は旧プロセイン王国の憲法を参考にしつつも、日本の国柄を
尊重し、日本の伝統と外来の制度を調和させ、明治天皇が皇室典範と共に
完成したことを皇祖神にご報告為され、自らが率先して、憲法を遵守される
ことを誓われた後、時の内閣総理大臣黒田清隆に授けられたのである。

大日本帝国憲法下に於ける天皇は専制君主で、天皇主権であったと一概に
西洋の概念では捉え切れない、日本の歴史が織り成す特殊な君臣の関係性がある。
また、その根底には過去から現在、未来へと、連綿と繋がる万世一系の皇統、
そして、ご歴代天皇と共に日本に生きた我々の祖先たち、その連続体の中に
今を生きる今上天皇も我々国民も在るという時間的観念がある。
宗教的信仰を持つ者が、常に神々や仏のご照覧を感じて、日々暮らしている
のと同様の意識である

従がって、日本国の憲法は、祭祀王としての天皇が国民に示される欽定憲法こそが
相応しいのである。



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帝国憲法四方山話①…占領政策基本法は失効させるべき

 2018-04-20
帝国憲法四方山話① 

…占領政策基本法は失効させるべき



現行の憲法典である「日本国憲法」は一応、民定憲法ということになっている。
昭和20年(1945年)8月15日にポツダム宣言を受諾、日本国政府が降伏し、進駐軍のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)、マッカーサー司令部の強制で、
形式上は大日本帝国憲法73条の憲法改正手続きに従ったものの、日本の伝統、
文化に基づかない、ひたすら日本の国体破壊、日本の弱体化を目的とした
即席翻訳占領憲法を強要され、昭和22年(1946年)に施行された。

民定憲法とは、「国民が直接、あるいは国民から選ばれた代表者を通じて制定
する憲法」ということであるが、欽定憲法である大日本帝国憲法を第73条の
憲法改正手続きを踏むという形式で改正した結果、民定憲法である日本国憲法
に変貌させた詐術は、実に不条理である。
いっそのこと、GHQが大日本帝国憲法を停止させるなり、廃止させるなり、
詐術を弄さぬ方法で、形式的に継続性を持たぬ占領政策基本法に過ぎない
新憲法の制定を超法規的に強要していたならば、日本国憲法の明確な無効性
から、日本国政府が失効させることも比較的容易で、自主憲法制定への道が
大きく開けていたに違いない。


ポツダム宣言3


そもそも、大日本帝国憲法の改正は、日本人の発議に依るものではない。
GHQがポツダム宣言第10項「……日本政府は、日本の人民の間に民主主義的
風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除する
ものとする。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立する
ものとする」との条文に基づき、国民主権を謳った憲法を占領政策基本法と
して、押し付けたのである。

昭和21年(1946年)6月21日、帝国議会衆議院本会議に於いて、吉田茂総理大臣は、
「ご承知の如く、我が国は目下、洵にに容易ならざる事態に際会致して居ります。
『ポツダム宣言』の趣意に副うて、民主主義的平和国家の建設という大事業を控え
……諸君、今議会の劈頭に於いて、新生日本の建設の基盤たるべき憲法改正案が
勅命に依つて付議せられましたのであります。
幸いにして、今議会は新選挙法に依る総選挙の結果成立したる歴史的民主議会
であります。
政府は此の機会に、諸君と共に国家最高の法典たる憲法改正を議することを
無上の光栄と致します、
而して、政府は速かに民主主義と平和主義とに依る政治の運営、並びに行政と
経済の全般に亙って再檢討を行い、是が改革を実行し、真に平和的国際社会の
一員たるの資格と実質を齎し得んことを期して居るのであります」
と述べている。


進駐軍11


日本国憲法は、占領軍が日本を統治する為に、日本の国体破壊、日本の弱体化
を目的とした占領政策基本法であって、民定憲法とは名ばかりで、国民主権を
謳っているにも拘わらず、日本国憲法は「最終決定権者である国民の総意に
基づいて」いないという、致命的な矛盾を孕んでいる。
連合軍に依る占領下で為された新憲法制定はハーグ陸戦条約違反であり、
その憲法制定自体が国民主権に違反しているという超法規的行為である
ことからして、日本国憲法が無効であることは明白である。


GHQ御仕着せの憲法典「日本国憲法」の前文と第9条第2項は、「国家の主権的
権利としての自衛戦争の放棄」、則ち「国家安全保障の放棄」を意味し、米軍の
駐留とセットに成っている。
憲法典「日本国憲法」では、原文の「War as sovereign right of the nation」を
「国権の発動たる戦争」と翻訳されているが、より正確に「国家の主権的権利と
しての戦争」と訳した方が、この憲法典が如何に独立国たるべき我が国の基本的
国家主権を損じているかを明確にする。
現行の憲法典は、独立国たるべき我が国の基本的国家主権を認めないという、
被占領国(occupied Japan)の憲法典なのである。
第9条第1項は、124ヶ国に及ぶ世界標準の平和主義条項としては許容出来るが、
第2項は、「国家の主権的権利としての自衛戦争の放棄」、則ち「国家安全保障の放棄」を
意味し、「日本国政府は、外国の軍事攻撃から、国民の生命、財産、領土、政治的独立を
軍事的手段では守護しない」との宣言に他ならないのである。
我が国が、この米国の占領政策基本法たる憲法典「日本国憲法」を維持する限り、
我が国は真の独立国家たり得ない。
前文も第9条第2項も、「侵略国の蹂躙するが侭にお任せ致します」「略奪、暴行、
殺戮も属国化も、どうぞ思うが侭、ご自由に為さって下さいませ」「我が国は、
武力に依る抵抗は一切致しません」という、日本国政府の無責任な態度を明記した、
荒唐無稽極まり無き、阿呆陀羅憲法典の駄文なのである。


現行の憲法典は改正するのではなく、失効させる必要がある。
本来であれば、昭和26年(1951年)9月8日調印、昭和27年(1952年)発効の
サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復した時点に於いて、日本国政府は
日本国憲法を廃止し、大日本帝国憲法を改正すべきであったのである。
現行憲法の廃止と修正大日本帝国憲法の発効、もしくは自主憲法制定を
タイムラグ無しで施行すれば良いのである。


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御仕着せの憲法典「日本国憲法」物語(45)…第9条は、「政府は国民の生命、財産を護らない」との宣言である。

 2018-04-01
御仕着せの憲法典「日本国憲法」物語(45)


…第9条は、「政府は国民の生命、財産を護らない」との宣言である。



CONSTITUTION OF JAPAN
CHAPTER II
RENUNCIATION OF WAR
Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order,
the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea,
and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.


日本国憲法 第2章 戦争の放棄
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。


日本国憲法では、原文の「war as a sovereign right of the nation」は、
「国権の発動たる戦争」と翻訳されているが本来、正確に「国家の主権的権利
としての戦争」と訳した方が、この憲法典が如何に独立国たるべき我が国の
基本的国家主権を損じているかを明確にする。


日本解体の為の左翼の駄文、「マッカーサー総司令部の25人&コミンテルンの
スパイ&日本人の売国奴共同制作の即席翻訳阿呆陀羅憲法」である憲法典
「日本国憲法」第2章「戦争の放棄」第9条は、要するに、「日本国政府は、
外国からの軍事攻撃から、我が国の領土の保全と政治的独立、日本国民の生命、
財産を、軍事的な手段に依って守ることを放棄する」と宣言しているのである。
本来であれば、独立国たるべき日本政府は、この従属国の占領政策基本法で
ある憲法典「日本国憲法」に拠って、「国民の生命、財産を護らない」のである。
「戦争という法的状態」に在ったとしても、「交戦国という地位に基づく正当な
権利」さえ行使出来ないのである。
現行の憲法典である日本国憲法は、アメリカ軍の駐留とセットになっており、
我が国の基本的国家主権を認めないという、被占領国「Japan under the
occupation」「occupied Japan」の憲法典なのである。
北朝鮮に依る拉致被害者を未だに救出出来ず、無惨にも放置した侭である現状が
それを如実に物語っている。
憲法典に於ける「国家安全保障の放棄」は、極めて由々しき問題である。


第167記事1
枢密院本会議
昭和21年(1946年)10月29日、修正帝国憲法改正案可決


現代に於いても、GHQ御仕着せの憲法典「日本国憲法」を「世界に比類無き
平和主義の憲法である」と評価し、第2章の「戦争の放棄」第9条が、「護憲運動」
とやらの拠り処となっている訳であるが、日本国憲法施行直後に刊行された
解説書でも同様に、美濃部達吉博士は、「嘗て他国に類の無い絶対的の戦争抛棄
を宣言することとなったのである」と述べ、佐々木惣一博士も、「一国が、その
憲法において、戦争の絶対放棄や戦力の放棄を規定することは、他の国には
絶えてその例がない」と述べている。
また、東京大学憲法研究会の著書では、「徹底して戦争を放棄した点で、本条(第9条)
は世界史的な特色を有することが明らかになった」と叙述されている。


しかし、実は、そうでもないのである。
歴史上、最初に平和主義条項を謳ったのは「日本国憲法」ではない。
第9条第1項では、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に
希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を
解決する手段としては、永久にこれを放棄する」として、「紛争解決の為の手段
としての戦争」を放棄すると宣言している。
この条項は、第一次世界大戦の反省として、大正8年(1919年)のベルサイユ
平和条約、大正13年(1924年)のジュネーブ議定書、大正14年(1925年)の
ロカルノ条約などを経て、昭和3年(1928年)8月 27日調印の「戦争放棄に
関する条約」[General Treaty for Renunciation of War as an Instrument of
National Policy](不戦条約orパリ不戦条約orケロッグ・ブリアン条約)の
焼き直しである。

「戦争放棄に関する条約」昭和4年(1929年)7月発効
第1条
「締約国は国家間の紛争の解決のために戦争に訴えることを非とし、且つ彼ら
相互間の関係において、国家政策の手段としての戦争を放棄することを、各々の
人民の名において厳粛に宣言する」
第2条
「締約国は彼らの間に起こる総ての争議または紛争は、その性質、又は原因の
如何を問わず、平和的解決に依るの外にその処理、または解決を求めないことを
約束する」

我が国同様に「国際紛争解決するための手段としての戦争放棄」を憲法典で
謳っている国々は、アゼルバイジャン、エクアドル、ハンガリー、イタリア、
ウズベキスタン、カザフスタン、フィリピンと7ヶ国存在する。
更に、「国際紛争の平和的解決」、「侵略戦争または攻撃的戦争の否認」、「平和を
国家目標に設定」、「中立政策の推進」など、平和主義条項を憲法典に明記して
いる国家は124ヶ国に及ぶ。

従がって、第9条第1項は止むを得ず、維持するとしても、直截には、「国家の
主権的権利としての自衛戦争の放棄」、則ち「国家安全保障の放棄」を意味しない。


甚だしき問題は、第9条第2項「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の
戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」の条文である。
前述の如く、「国策遂行の手段としての戦争放棄」を明記した憲法典は、日本国
憲法が嚆矢という訳ではないのであるが、但し、第9条第2項の如き、平和主義
=非武装として、「国家国民の安全保障の放棄」を明確に宣言している、無責任
極まり無き、無為無策の阿呆陀羅憲法典は、当然の事ながら、バチカン市国等
を除き、空前絶後、皆無である。
そもそも、日本国憲法では如何なる事態の戦争行為をも一切、想定していない
ことが非現実的で、空想的過ぎるのである。
独立国の憲法典に於いては、世界標準の「国際紛争解決する為の手段としての
戦争放棄」条項を掲げておけば、それで充分なのである。
インテリパンダ (2)

第167記事2
昭和23年(1948年)7月5日
米独立記念日を祝い、占領軍が有楽町を行進、皇居前広場で、
連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の閲兵を受ける。


日本政府が、この占領基本法たる日本国憲法を遵守することは、国民の生命と
財産の保護、安全保障を放棄し、如何に無責任極まり無き態度であるかは、
憲法制定時の政府首脳の国会答弁などに明らかである。


※幣原喜重郎総理大臣
昭和21年(1946年)3月20日、GHQ案の「憲法改正草案要綱」を枢密院に
説明した際、「第9条は何処の憲法にも類例は無いと思う。戦争放棄は正義に
基づく正しい道で、日本はこの大旗を掲げて国際社会の原野をトボトボ歩いて行く。
付き従う国の有る無しに関わらず、敢えてこれを行う」
0050 (2)


※金森徳次郎憲法担当国務大臣
昭和21年(1946年)7月11日 第90回帝国議会 
衆議院 帝国憲法改正案委員会に於ける金森徳次郎憲法担当国務大臣
「……かつて総理大臣が申しましたように、日本が大勇気を奮って、
こういう風に比較的簡明なる言葉を用いまして、理論的には自衛戦争は正しい
にしても、総べての戦争が自衛戦争の名を借りて、然らざる戦争に赴くという
ことの労い(うれい)を、憲法の中に残して置くような言葉を避ける方が
良いという考えも成立する訳であります。
この憲法はそのような考えに依りまして、特に区別せず、謂わば捨て身に
なって、世界の平和を叫ぶという態度を取った次第であります」
0050 (2)

憲法担当国務大臣が、何と「捨て身になって」と明言しているのである。
有史以来初の惨憺たる大敗北で、日本国の国家指導者も気が狂ったのか、
主権国家たるものが、国家国民の安全保障までを「捨て」たのである。
これほどまでに国民の生命と財産を危険に曝し、無責任極まりない態度を取る
先進国の政府など有りはしない。
しかも、それでいて、国民の武装権すら認めていないのである。
「侵略国の蹂躙するが侭にお任せ致します」「略奪、暴行、殺戮も属国化も、
どうぞ、思うが侭、ご自由に為さって下さいませ」という、政府の態度を明記した
憲法の条文なのである。


※吉田茂総理大臣
昭和21年(1946年)6月28日 第90回帝国議会 
衆議院 本会議

「戦争放棄に関する憲法草案の条項に於きまして、国家正当防衛権に依る
戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯くの如きことを認めることが
有害であると思うのであります。(拍手)
近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於いて行われたることは顕著なる事実で
あります。
故に正当防衛権を認めることが偶々(たまたま)戦争を誘発する所以であると
思うのであります、
また、交戦権放棄に関する草案の条項の期する所は、国際平和団体の樹立に
あるのであります。
国際平和団体の樹立に依って、あらゆる侵略を目的とする戦争を防止しようと
するのであります。
しかしながら正当防衛に依る戦争が、もし有りとするならば、その前提に
於いて侵略を目的とする戦争を目的とした国があることを前提としなければ
ならぬのであります。
故に正当防衛、国家の防衛権に依る戦争を認めるということは、偶々戦争を
誘発する有害な考えであるのみならず、もし平和団体が、国際団体が樹立された
場合に於きましては、正当防衛権を認めるということそれ自身が有害であると
思ふのであります。
御意見の如きは、有害無益の議論と私は考えます。(拍手)」
0050 (2)

吉田茂総理大臣は、第9条は一切の軍備を禁止し、自衛戦争をも放棄した
ものとして答弁している。
当時と現在とでは、憲法第9条に対する解釈が政府と日本共産党とでは、
180°大逆転していることこそが、この条文が国家の最高法規たる憲法の
条文として、相応しくない証である。
国家の最重要課題である安全保障の規定でありながら、一字一句変わらない
その条文の解釈が、どうにでも変化するような致命的な欠陥を持っていること
の証である。
日本国憲法を放棄しないのであれば、改正の第一段階として、せめて、第9条
第2項は撤廃すべきである。


第167記事3
国会周辺のデモ隊を監視する米軍(撮影日時不詳)


安倍晋三首相の憲法改正プランでは、第9条に「自衛隊」の存在を明記した
第3項を新設し、比較的に国民の抵抗の少ないであろう、加憲という形態で、
自衛隊の合憲性を確保する政治的判断が為されている。
しかし、連合国軍に依る軍事占領下に在った昭和25年(1950年)に設立された、
警察予備隊から、保安隊、陸上自衛隊、旧海軍から海上警備隊、警備隊、
海上自衛隊と、国際政治状況の変化に翻弄され、変遷を経て来た歴史的産物の
固有名詞を書き込んだ条文は、国家の基本法たる憲法典に相応しくない。
此処は飽くまでも正攻法で、連合国最高司令官総司令部(GHQ)御仕着せの
阿呆陀羅憲法典「日本国憲法」の致命的欠陥である、第9条第2項を綺麗
さっぱりと削除すべきである。



この措置で、自衛隊の違憲論争に終止符を打ち、我が国の安全保障上の障壁を
除去出来る。
国軍たる自衛隊は、ポジティブリスト(positive list)ではなく、ネガティブリスト
(negative list)に基づき、作戦行動が可能になるのである。

振り向いてニヤリ! (2)






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御仕着せの憲法典「日本国憲法」物語(44)…条文、条項の無様な重複4

 2018-03-01
御仕着せの憲法典「日本国憲法」物語(44)


…条文、条項の無様な重複4



一国の基本法たる憲法典は本来、洗練された条文構成であるべきである。
しかし、日本解体の為の左翼の駄文、「マッカーサー総司令部の25人&
コミンテルンのスパイ&日本人の売国奴共同制作の即席翻訳阿呆陀羅憲法」
である憲法典「日本国憲法」は、甚だ粗雑な作りであることは論を俟たない。


連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)元帥が、
GHQ民生局長 コートニー・ホイットニー(Courtney Whitney)准将に、
憲法改正三原則(マッカーサーノート)に基づく、「日本国憲法」の草案作成を
下令したのは、昭和21年(1946年)2月3日(日)の事であるが、実際に
GHQ民生局が憲法草案作成作業を開始したのは2月7日(木)で、2月12日(火)に
草案作成作業を完了させたのであるから、草案作成作業期間は6日間である。


草案作成に当たり、GHQ民生局は「運営委員会」の下、25人の軍人軍属を、
「立法権に関する委員会」「行政権に関する委員会 」「人権に関する委員会」
「司法権に関する委員会 」「地方行政に関する委員会 」「財政に関する委員会 」
「天皇・条約・授権規定に関する委員会 」の7つの分科会に配置して、条文
作成作業を行なった経緯から、それぞれの条文を合体させた時点で、条文の
重複が発生した訳である。

昭和21年(1946年)4月10日(水)の第22回総選挙を経て、5月16日(木)に
召集された第90回帝国議会に於いても、GHQ草案を殆ど丸呑みの状態で、全体を
俯瞰して精査する作業さえ怠ったという杜撰な新憲法制定過程であった訳である。


第166記事1



第5章 内閣 第73条
内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
1 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
2 外交関係を処理すること。
3 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、
国会の承認を経ることを必要とする。
4 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
5 予算を作成して国会に提出すること。
6 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。
但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、
罰則を設けることができない。
7 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。

第7章 財政 第86条 
内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け
議決を経なければならない。


第5章 内閣 第73条「内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ」
第5項「予算を作成して国会に提出すること」との条文と、第7章 財政
第86条「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け
議決を経なければならない」との条文は同趣旨であり、一文に纏めるべきである。


第166記事2


第7章 財政 第83条 
国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。

第7章 財政 第85条 
国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。

第83条「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使
しなければならない」との条文と、第85条「国費を支出し、又は国が債務を
負担するには、国会の議決に基くことを必要とする」との条文は同趣旨であり、
一文に纏めるべきである。


第164記事1
0050 (2)


例えば、「国家予算」に関する条文作成一つにしても、「行政権に関する委員会 」
「財政に関する委員会 」それぞれの立脚点の違いから、同趣旨の条文であっても、
視点の異なる条文が作成され、それらを持ち寄った段階で、同趣旨の条文、
条項の重複が発生した訳である。
そして、更に咀嚼力不足の第90回帝国議会に於いて、そのお粗末なGHQ草案を
殆ど丸呑み、可決されたのである。








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