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慰安婦少女像は芸術性に乏し過ぎる …お粗末極まりない彫刻アート作品

 2013-10-12
慰安婦少女像は芸術性に乏し過ぎる 

        …お粗末極まりない彫刻アート作品



ソウルの日本大使館前に設置されている慰安婦少女像は、彫刻アートとして、
余りにも稚拙で、芸術性に乏しい作品なのではなかろうか。
在米韓国人会の謀略で、この少女像と同形のものを全米各地に設置する計画が
進行中とのことであるが、その肝心の彫刻作品が我が国のお地蔵さんやグリコ
のオマケにも劣るほど、幼稚な芸術レベルではメッセージの発信力が弱かろう。
私はこの少女像の写真を初めて観た時、まるで、子供がふざけて作ったような、
そのコミカルタッチな形象に軽蔑の念さえ覚えたものである。
少女像は高さ約120cmのブロンズ像で、朝鮮人慰安婦の少女を象ったデザイン。
少女が木製の椅子に座り、何故か、隣に空席の椅子が並んでいる。
私には、この椅子の暗示が解らない。
0050 (2)

この像の正式な名称は一体、何なのか。
「慰安婦少女像」だの、「平和の少女像」、「平和の碑」等と様々に呼ばれているが、
これは作品自体に、観る者の心魂に訴え掛ける芸術性が皆無に等しいことと
連動しているのである。


アイゴー1


少女像13

ミニチュア 少女像1


この少女像は、彫刻家のキム・ウンソン氏(48歳)とキム・ソギョン氏(47歳)
夫妻が共同制作したとのことであるが、中央大学彫塑学科を卒業したという
二人掛かりでもこの有様かと、呆れるほどのお粗末な作品ではないか。

この有名なブロンズ像には、オリジナル作品が存在するが、その彩色を施した
少女像が、これまた恐ろしくお粗末なのである。
いやいや、それどころか、作家の夫妻が最初に提案した作品で、依頼者から
「日本軍の残虐性が見えない」として、却下されたという少女像は、土偶を制作
していた縄文人が観たとしても、その余りの稚拙さに吃驚するであろうほど、
お粗末この上ない代物であった。
制作依頼者に、「日本軍の残虐性」を表現する意図があった割には、完成した
像からはそんなニュアンスさえ発せられていないところが何とも滑稽である。
0050 (2)


オリジナルとブロンズ像1

オリジナル少女像
オリジナル少女像



却下された少女像
却下された原初の少女像



やたらと多弁に能書きを垂れる芸術家には、碌な者が居ないものである。
キム・ソギョン氏、キム・ウンソン氏夫妻は、
「韓国人として、元慰安婦の女性の役に立てることがなく、いつも申し訳ない
気持ちだった。再び歴史の悲劇が繰り返されないことを願って、少女像を作った」
「しかし、彫刻作業は容易ではなかった。体よりも心が苦しかった」
「作業に集中するほど、その当時少女だった女性の苦痛がそのまま頭の中に
入って来た」
「とても腹が立ち悪口が自然に飛び出したりもした」
と話した。彫刻家の感情は作品にそのまま反映された。
「デザイン草案では両手を慎ましく合わせていた少女像を、握り緊めた拳を
膝の上に置いた姿勢に変えた」
「当時、日本側が少女像の設置に反対しているというニュースを聞いて、
とても腹が立ち、拳を握った姿に変えた」等と能書きを垂れている。

少女像の制作には、娘のソフンさん(11歳)のアイデアも盛り込んだとのこと。
「銅像の影を、お婆さんの姿で形象化したが、それは当時、夫婦で会話を
交わしている時に、ソフンがアイデアを出し、採択したもの」という。
「被害者が先に平和を話しているが、彼ら(日本側)はむしろ歴史の時計の
針を巻き戻すことばかりしている。韓国政府も元慰安婦女性の傷を抱き締める
努力をもっとしたら、良いだろう」と、生意気なことをほざき捲くっている
割には、それに見合っただけの立派な芸術作品を創作出来ないのは、芸術家を
自認する者として、実に恥ずべきことである。
0050 (2)


少女像 大使館前

済州1
韓国済州島の野外彫刻公園兼セックスミュージアム、済州ラブ・ランド1


9月5日、ソウル市の瑞草(ソチョ)高校で、校庭に設置する慰安婦像の除幕式
が開催されたとのこと。
慰安婦像の設置は、校長が提案し、教師や生徒が制作したという。
これから、この慰安婦像の設置ムーブメントが進展して行くに伴い、きっと
少女の顔が徐々に仏像のような形状に変化して行くに違いない。
因みに、キム・ソギョン氏、キム・ウンソン氏夫妻が、この瑞草高校に対し、
著作権違反の可能性を提起するという、一悶着有ったそうであるが、そもそも、
著作権がどうのこうのと言うほどの立派な創作かと嘲笑いたくなる。
しかも、中央大学彫塑学科を卒業したという、二人のプロ彫刻家の作品よりも、
高校生たちが創った少女像の方が、人気俳優のペ・ヨンジュン氏似の美形で、
まだ鑑賞に堪えられるレベルであるところが、これまた滑稽ではないか。
0050 (2)

ソチョ高校の像1
ソウル市瑞草(ソチョ)高校制作の少女像

ソチョ2
ソウル市瑞草(ソチョ)高校制作の少女像

少女像を観る限り、そもそもこの創作のテーマが何であるのか、判らない。
「慰安婦の悲惨な境遇」であるのか、「少女の悲惨な境遇」であるのか、
はたまた、「平和の象徴」であるのか、明確ではないように見受けられる。

宣伝戦の真の狙いが日本誹謗である以上、少女像設置の関係者が言うところの
「日本軍の残虐性」を表現したいならば、病院の待合室に座っているような
不細工な顔の間抜けな坐像ではなく、いっそのこと、インドのカジュラーホ
寺院群に在るような男女交合のエロティックな彫刻群や、済州島の野外彫刻
公園兼セックスミュージアム、済州ラブ・ランドに鎮座在すエロ彫刻作品群
でも用いた方が手っ取り早いのではないのか。
どうやら、朝鮮民族は大和民族とは違って、彫刻作品に芸術的な価値の高さは
求めていないご様子である。
0050 (2)


カジュラホ1
カジュラホ寺院1

カジュラホ2
カジュラホ寺院2

カジュラホ3
カジュラホ寺院3

済州2
韓国済州島の野外彫刻公園兼セックスミュージアム、済州ラブ・ランド2

済州3
韓国済州島の野外彫刻公園兼セックスミュージアム、済州ラブ・ランド3

済州4
韓国済州島の野外彫刻公園兼セックスミュージアム、済州ラブ・ランド4

済州5
韓国済州島の野外彫刻公園兼セックスミュージアム、済州ラブ・ランド5

済州6
韓国済州島の野外彫刻公園兼セックスミュージアム、済州ラブ・ランド6
0050 (2)


脱亜細亜
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日本語に汚染された朝鮮語辞典 …日帝残滓(にっていざんし)とやら

 2013-08-21
日本語に汚染された朝鮮語辞典 

…日帝残滓(にっていざんし)とやら




韓国で国語研究院が編纂した朝鮮語辞典が日本語で汚染されていると指摘する
「日本語に汚染された標準国語大辞典」なる書物が出版されたとのこと。
その著者が、「例えば、『国民儀礼』という用語は日帝の残滓である」などと
述べているというが、そもそも気付くのが遅過ぎるのではないのか。

それにしても、「日帝残滓」とは、随分と酷い言葉である。
「日帝」とは、大日本帝国、或いは日本帝国主義の略称であるが、
韓国で使われる場合は、日韓併合時代の36年間を指す「日帝時代」という
意味合いなのであろうと思われる。
「残滓」とは、容器などの底に残っている滓(かす)のことではないか。
そもそも、「帝国主義」も「残滓」も、「標準」、「国語」、「辞典」も、
日帝残滓の和製漢語なのであるが。 ┐('~`;)┌やれやれ


朝鮮人は「ハングルは、人類が生み出した最も優秀な文字である」
「ハングルの誕生は奇跡であり、知識の革命である」などと自画自賛し、
「日本は、その偉大なハングルを朝鮮から奪った」と言うが、それは明らかに
歴史的事実に反する戯言である。
昭和17年(1942年)の朝鮮に於ける日本語普及率は、僅か20%に過ぎなかった
のであるから、朝鮮人の80%は朝鮮語のみを喋り、ハングルを書いていたことになる。

明治43年(1910年)の日韓併合後、日本は朝鮮の学校教育で、朝鮮語を
必修課目とし、朝鮮語教科書を作成、綴字法を統一、標準語を制定と、
極端に識字率の低かった朝鮮にハングルを普及させたのは、日本である。
明治44年(1911年)、朝鮮総督府に依って、朝鮮教育令が施行され、
初等、中等、高等学校で、日本人生徒と朝鮮人生徒の区別無く、昭和12年
(1937年)まで、ハングルは必修課目とされていたのである。

日本は明治初期、江戸山の手言葉を基本として、日本語の標準語を制定した
経験を持つ。
その経験を大いに活かし、朝鮮各地方に点在した方言を、京城(ソウル)方言を
標準語として、各種存在したハングルの綴字法も統一させ、ハングルすら
碌に読み書き出来なかった朝鮮の大衆に統一ハングルを普及させたのは、
日本の多大な文化貢献であった。

李氏朝鮮時代の終焉まで、ハングルはオンムンと呼ばれていたそうであるが、
1443年、李朝第4代世宗王の時代に考案された文字であるハングルがその後、
李朝を通じ、正統な国字としての地位を占めることは無かった。
中華思想に凝り固まった朝鮮社会のエリート、両班は慕華の念が強烈な余り、
自民族の文化を蔑視し、漢文しか使わず、民族独自の文字を制定することは、
支那(明国)からの独立の意思表示と受け取られ兼ねない、支那に対する反逆とも
捉えられ兼ねないことを恐れる余り、李朝第11代中宗時代の1506年には
正音庁(諺文庁)を廃止してしまったという。
その結果、ハングルは辛うじて命脈は保ちながらも、女子供の文字として、
日韓併合の時代に至るまで、蔑まれ続けていたのではないのか。


朝鮮語辞典2

ハングル関連Z


内鮮一体化を唱え、日本語の奨励策を執った南次郎第8代朝鮮総督でさえ、
朝鮮人の玄永燮氏や朴煕道が朝鮮語使用の全廃を献策したのに対し、
「朝鮮語を廃止するのは良くない。可及的に国語を普及するのは良いのだが、
この普及運動も、朝鮮語廃止運動と誤解されることがしばしばあるくらいで
あるから、それは出来ない相談である」と却下したのが歴史的事実である。

漢字ハングル混交文にしても、漢字と仮名文字の混交文である、和漢二重複線
言語の日本語を真似て、漢字ハングル混交文を日本人が考案したのである。
1886年、朝鮮で初の漢字ハングル混交文の新聞「漢城週報」が発刊されたのも、
日本人である福沢諭吉と井上角五郎の尽力の賜物ではないか。

そもそも、朝鮮の初の国語辞典でさえ、朝鮮総督府の朝鮮語整備の結果として、
日本人に依って刊行された、大正9年(1920年)の朝鮮総督府編「朝鮮語辞典」である。
朝鮮初の国語辞典が朝鮮総督府編纂の「朝鮮語辞典」では、日本の功績という
明らかな歴史的事実を認めることになり、都合の悪いことから、朝鮮人が
「朝鮮最古の国語辞典」と自慢する1930年刊行の「普通学校朝鮮語辞典」がある。
しかし、その「普通学校朝鮮語辞典」でさえもが、日韓併合時代の学校教育に
於ける、朝鮮語教育用に京城師範学校が編纂し、日本の出版社「以文堂」から
刊行された国語辞典なのであるから、何をか況やである。 ┐('~`;)┌
その朝鮮人が「朝鮮最古」の国語辞典であると自慢する朝鮮語辞典の存在
それ自体が、「日本が朝鮮から偉大なハングルを奪った」という大嘘の明確な
反証ではないか。

朝鮮語語彙の80%が漢字語で、その漢字を朝鮮語で読み、それを、音を表わす
要素を組み合わせて作られた、音節文字であるハングルでローマ字式に書き
表わしているに過ぎず、そして、その漢字語の大半が日本語に由来している
のであるから、日本語起源の語彙を全て、日帝残滓として排除するのは、
不可能なことである。
日本語起源の語彙を全て、日帝時代以前の朝鮮語に置き換えることが出来るほど、
朝鮮民族は豊穣な言語文化を築き上げて来てはいないのである。


朝鮮語辞典1


日本語は、漢字という中国文化を借りながらも、その漢語を中国語の音読みと、
日本語の訓読みに読み分け、漢字と仮名文字を混交させ、表現能力豊かな、
極めて優れた言語で、10世紀頃には既に完成期を迎えている。
日本は江戸時代に築き上げた豊穣な文化を背景に、幕末から明治に掛けて、
西洋から移入した新しい事柄、新しい概念など、従来日本には無かったものを、
漢語を駆使しては、ひたすら日本語に翻訳したのである。
日本語は非常に高い造語能力を持った言語である。
西洋起源の近代的な新しい概念は、それに対応する新語を創出しなければ、
表現することは不可能であった。
基本的に漢字一文字で事柄や概念を表現する中国語に対して、日本語は
二文字以上を組み合わせ、新語である和製漢語を澎湃と生み出したのである。
特に、高度な概念用語である学術用語の創出には目を見張るものがある。

また、特に私が感心するのは、「性」や「的」「化」などの接尾辞を付ける
ことに依る造語能力の無限拡大である。
必然性などの「~性」、科学的などの「~的」、一般化などの「~化」、
日本式などの「~式」、関節炎などの「~炎」、想像力などの「~力」、
学術界などの「~界」、大型などの「~型」、優越感などの「~感」、
要点などの「~点」、主観や世界観などの「~観」、生命線などの「~線」、
効率や使用率などの「~率」、方法や表現法などの「~法」、速度や震度、強度
などの「~度」、作品や芸術品などの「~品」、著者や労働者などの「~者」、
副作用や同化作用などの「~作用」、社会問題や国際問題などの「~問題」、
新時代、縄文時代などの「~時代」、日本社会や資本主義社会などの「~社会」、
現実主義や帝国主義などの「~主義」、上流階級や無産階級などの「~階級」
など、和製接尾辞を用いることに依る日本式造語能力は、東亜漢字文化圏に
計り知れないほどに多大な貢献を果たしているのである。
この厳然たる歴史的現実を、中国人や韓国人は認識してはいない。 ┐('~`;)┌


これらの和製漢語は中国に文化輸出され、中国に於けるその使用頻度の高さから、
現代中国語は既に日本起源の和製漢語を用いずには成立しないのである。
中国人(王彬彬氏)執筆の論文には「中国語の中で、日本語から来た外来語の
数は、驚くほどの数字で、現在我々が使用している社会とか人文・科学方面の
名詞、術語の70%は日本から輸入したものである。これらの言葉は西洋の言葉
を日本人が翻訳して、その後中国に入って、中国語の中に根付いたものである」
「最後に私は言いたい。我々が使っている西洋の概念は、基本的に日本人が
我々に代わって翻訳してくれたものだ。中国と西洋の間は、永遠に日本が
横たわっているのだ」と述べているほどである。
当に、現代中国語も現代韓国語も、日本起源の和製漢語無くしては絶対に
成立し得ないのである。(v^ー゚)


朝鮮語辞典3

矢印5

和綴じ 小冊子1


「日本語に汚染された標準国語大辞典」の著者たちは、国語研究院が編纂した
朝鮮語辞典の中で、日帝残滓である言葉の語源や由来が書かれていないことが
問題であるとしているようであるが、むしろ、李氏朝鮮時代に存在した語彙は
日帝残滓である語彙よりも遥かに少ないことから、そちらの方に印を付ける
編纂方法を採った方が断然、効率が良いではないか。(*´艸`)ふっふっふ

日本由来の語であることを明記せよなどと、中途半端なことを言わずに、
いっそのこと、日帝残滓とやらを全て除去した朝鮮語辞典を作ってみれば
良いのである。
そうすれば、「標準国語大辞典」自体が日帝残滓であることが嫌でも判明する。

朝鮮人が現在、使用しているハングルにしても、日本が整備したものなので
あるから、統一ハングル自体が日帝残滓である。
李氏朝鮮時代に遡って、朝鮮人自身が新たに整備し直せば良い。
漢字を抜きにしては、造語能力がゼロにも等しい朝鮮語に未来は無い。
それこそ、朝鮮人お得意の「歴史を忘れた民族に未来は無い」のである。
因みに、「歴史」も「民族」も「未来」も和製漢語であるから、日帝残滓である。

そもそも、朝鮮語は語彙に乏しく、日韓併合に至るまでは近代的な概念を
表現することすら、出来なかったのである。
否、日本語が概念を移入する以前には、その概念すら存在しなかったのである。
日帝残滓である和製漢語を排除したならば、特に自然科学用語や人文科学用語、
社会科学用語の学術用語も法律用語も全滅となるが、それでも良いのか。

時間も空間も、反響、反射、反応、肯定、否定、直接、間接、概念、概略、
主観、客観、原理、原則、帰納、演繹、具体、抽象、理念、理想、原子、元素、
物質、本質、要素、密度、悲劇、喜劇、学生、学校、論文、教科書、講師、
講演、講義、講座、衛生、医学、宗教、哲学、文学、科学、美術、芸術も…

領土も領空も領海、政治、政府、議会、議院、議員、法律、政策、施行、方針、
軍国主義、共和主義、共産主義、社会主義、封建主義、社会、資本、公民、
国際、協定、政党、選挙、宣伝、動員、組織、代表、総理、領事、幹部、覇権、
独裁、特権、侵略、解放、警察、憲兵、検察官、新聞、記者も…

企業も株式も会社、市場、景気、債権、債務、資本家、労働者、労働組合、
投資、動産、不動産、現金、代価、物価、指数、通貨収縮、通貨膨張、国債、
譲渡、申請、手続、取消、取締、引渡、解決、実業、経済、広告、経済恐慌も…

「日本語残滓を無くそう」という「ハングル愛運動」というのがあるという。
その言語的民族主義を徹底的に先鋭化させて、朝鮮語の中から日本語由来の
汚染語、日帝残滓とやらを徹底排除してみるが良い。
そうすれば、日本語と朝鮮語、そのどちらが「滓(かす)」と呼ばれるに
相応しい言語であるか、明瞭と相成る。 v(*´∀`*)v



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親日罪…親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法

 2013-08-06
親日罪

・・・親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法



8月4日、韓国憲法裁判所は、日本から爵位を受けた人物に与えられた財産を
没収対象にすることは合憲との判断を示したという。

韓国で、2005年公布の「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」は、
日本の朝鮮半島支配に協力した「親日派」が、日本から得た財産を没収し、
国有化する法律であるが、爵位を受けた朝鮮人が日本から受けた財産の没収に
就いては、1910年の日韓併合で日本に協力したか否かを基準とするとしていた。
2011年の法改正で、財産没収対象を爵位を受けた全ての朝鮮人に拡げていた。
爵位を受ける行為自体が植民地支配への協力であったと見做すことで、
財産没収対象を拡大した改正特別法は遡及立法に当たらないという理屈である。


韓国憲法裁判所1


2011年、韓国憲法裁判所は、「親日反民族行為者」の子孫の「親日反民族行為者
財産の国家帰属に関する特別法」に対する憲法訴願審判請求で、9人の裁判官の内、
合憲5人、一部違憲・一部限定4人という意見で合憲の判決を下している。
「特別法は、民族の正気を立て直し、日本帝国主義に抵抗した3.1運動の理念を
具現する為のもの」であるという。
┐('~`;)┌ 「民族の正気を立て直す」って♪

「1904年の日露戦争開戦から1945年の「光復」までに親日反民族行為者が
取得した財産は、親日行為の代価として得たと推定する」
┐('~`;)┌ 日本の保護国に成る以前の時代は、「光」の時代だったんだぁ!

遡及立法をする方式で、親日財産を国家に帰属させることに関しては、
「遡及立法を予想出来た場合には、例外的に正当化される。
親日財産の民族離反的な性格と、大韓民国臨時政府の法の正統継承を宣言した
憲法前文に照らしてみれば、親日反民族行為者が後から財産を剥奪されること
があることを十分に予想出来た」とのこと。
┐('~`;)┌ 遡及立法を予想出来た場合には、例外的に正当化されるんだぁ♪

遡及立法とは、ある法令を定める以前のことまで遡って、適用出来るように
することをいうが、実行時に合法であった行為を、事後に定めた法令に依って、
遡って違法として処罰することを禁止する「法の不遡及」は、韓国以外では
刑法に於ける大原則である。
┐('~`;)┌ 反日史観は憲法をも超越する!
韓国は法律学に於いても、歴史学に於いても、「後出しジャンケン」がお好き♪
┐('~`;)┌ 反日史観は全てを超越する!


反日11


韓国憲法裁判所の非論理的な判断は兎も角として、そもそも韓国は憲法の原本
を紛失しているという、凄まじく信じ難いことを為さるお国柄である。
2005年、韓国の公文書を保管する国家記録院が、1948年制定の韓国憲法の
原本を紛失していたことが、韓国監査院の調査で明らかになっている。
更に、国家記録院は、1952年-1962年の改正憲法に原本までも紛失している。
国家記録院では憲法を重要書類としてではなく、一般書類として保管していたとのこと。
それだけではない。
韓国行政自治省は、1948年-1962年に使用されていた韓国建国後最初の国印
までも紛失しているという。
┐('~`;)┌ 憲法も国印も、どっか行っちゃった~♪


反日13


それにしても、朝鮮貴族とやらの候爵、伯爵、子爵、男爵の身分とは… ┐('~`;)┌
朝鮮貴族令(明治43年皇室令第14号)制定時には、76名に爵位を授けたとか。
「親の因果が子に報い」ということで、その子孫の財産没収。

何時の日か、きっと、新法が制定されて、高木正雄(朴正煕)さんの子孫も
糾弾されるに違いない。 ┐('~`;)┌


脱亜細亜



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「創氏改名」の歴史的実相

 2013-08-05
創氏改名の歴史的実相

「氏の創設」は強制
「日本人式名称の氏の設定」は強制ではなかった



7月29日、勤務先の社長が本名の韓国名を名乗るよう強要したのは、
人格権の侵害であるとして、静岡県内に住む40代の在日韓国人男性が
社長を相手取り、慰謝料300万円の損害賠償を求める訴訟を静岡地裁に
起こしたとの報道があり、話題となった。

訴状に依れば、原告は韓国籍ではあるが、日本で生まれ育ち、日本名の通名
(通称名)を名乗っていた。
ところが、昨年11月から今年1月に掛けて、被告社長が第三者の前で原告に
対し、「朝鮮名を名乗ったらどうだ」と発言。
原告が、「このままで結構です。本名を名乗る積もりはありません」と返答した
にも拘わらず、被告社長は4月には全社員に原告の国籍を明かしたという。

原告は「在日韓国人は過去の歴史に於いて、様々な事情で日本に居住せざるを
得なくなった人も多く、差別を受けて来た。
本名を名乗るかどうかはその人間が判断すべきだ」と主張。
「通名を名乗っているにも拘わらず、本名を強要し、人格権と尊厳を傷付けた。
耐え難い屈辱と精神的苦痛を味わった」として、慰謝料を求めている。


また、逆のケースもある。
職場で通名(日本名)の使用を強制され、屈辱と苦痛を味わったとして、
在日韓国人の男性が、日雇い先の建設業者や元請けの大手ゼネコン、国に
100万円の慰謝料を求める訴訟を大阪地裁に起こした。
原告は、日本国が植民地支配時代の創氏改名の被害回復の義務を怠ったとも主張。

被告業者の社長も在日韓国人2世で、問題の工事の約半年前、同じ現場の工事
で原告を2日間雇った。
雇用対策法では外国人を雇う際、在留資格の証明書類などを添え、本名を
記入した外国人雇用状況届出書を国に提出するように定められている。
原告は特別永住資格を持ち、提出義務は無いがその際、元請けのゼネコンから
届出書の写しを求められた経緯があり、原告を雇う際、届出書を求められれば、
「書類の準備に3、4日掛かる。通名ならば、直ぐに働けるが?」と打診され、
原告は承諾したという。


通名ではなく、本名を名乗らせろ!という訴訟が有り、
本名ではなく、通名を名乗らせろ!という訴訟もある。
本名を名乗るのも、通名を名乗るのも屈辱と苦痛とは、実に厄介である。

通名とは、「通称名」の略で、外国籍の人が日本国内で使用するところの、
言わば、「偽名」である。
本名ではない通称名で、有効な法律行為を行うことは原則として出来ないが、
在日外国人の通称名は、居住する区や市町村に登録することで、住民票に記載
され、法的効力を有することになっている。


創氏改名2


大日本帝国が大韓帝国を併合したのは、明治43年(1910年)のことである。
朝鮮総督府が、本籍地を朝鮮に有する朝鮮人に対し、新たな「氏」の創設と
改名を許可した「創氏改名」の政策は、昭和14年(1939年)に実施された。
この創氏改名に就いて、朝鮮人は元より、多くの日本人もまた、「朝鮮総督府の
戸籍整備は、朝鮮民族の精神とアイデンティティを抹殺する為の皇民化政策の
一環として、朝鮮人に日本式の苗字と名前を付けることを強要した」という
ニュアンスの認識を持っているのではなかろうか。
しかし、それは全くの僻見というものである。

日本では明治新政府は明治3年(1870年)、「平民苗字許可令」を布告し、
既に苗字を名乗っていた武士や名主など以外の国民全てにも苗字を名乗る
ことを認めたが、それが普及しなかったことから、明治8年(1875年)に
「平民苗字必称義務令」を布告して、全ての国民に苗字を名乗ることを
義務付けた。 

李氏朝鮮は身分制度の厳しい奴隷社会で、良民と言われる両班(貴族及び
科挙官僚を輩出する階層)、中人(技術官僚・下級官僚を輩出する階層)、
常人(一般の農民)、賤民(奴婢、…、白丁《ペクチョンorペッチョン》)の
身分差別があった。
特に、朝鮮で最下層に位置する白丁は家畜同様の扱いで、白丁を殺害しても、
殺害犯が罰を受けることはなかったという。
朝鮮人を指すチョンという言葉は、どうやら、この白丁に由来するものらしい。

日韓併合の明治43年(1910年)の時点で、朝鮮人の30%から40%が奴隷身分
であったという。
生殺与奪さえ、主人に握られていた奴隷が苗字を名乗っているはずも無かった。
出身地の本貫は名乗っていたかも知れない。
日韓併合で、これらの身分制度は廃止され、奴婢や白丁などは奴隷身分から
解放されたのである。
日本に渡って来た朝鮮人の殆どが、半島及び済州島の白丁であったという。
韓国では表向き、日本在住の朝鮮人は日本に強制連行されたと大法螺を吹いて
いるが、実際には日本在住の朝鮮人が、移民した白丁であることは韓国社会の
常識であるという。
故に、祖国に帰ったとしても、厳しい差別を受けることは明白であることから、
彼らは半島や済州島に戻る訳にはいかないのである。
現在、在日韓国人、在日朝鮮人は約50万人いるが、強制連行ではなく、
戦時徴用者が僅か245人いただけのことである。
奴隷身分であった朝鮮人は、朝鮮政府ではなく、日本政府に依って初めて、
人間らしい扱いを受ける恩恵に与ったと言える。


創氏改名4


朝鮮の姓の種類は、朝鮮総統府の調査で256姓、韓国の調査では、
約300姓(249姓+百戸以下の79姓)である。
「金」「李」「朴」の三姓が全体の人口の半数以上を占め、「崔」「鄭」を
合わせて、この五姓が圧倒的に多い。
韓国の姓の数が少ない理由としては、祖先から受け継いだ姓を尊んで、
改姓を嫌う傾向があることに依る。
また、日本でのように、在所の地名を姓にする風習がなかったことも、
大いに関係していると思われる。
因みに、支那は約700姓、ヨーロッパ全体で約6万姓とのデータがある。
日本の苗字の正確な数は把握出来ていないが、確認出来ている数は12万姓とも、
13万5千姓とも言われており、また27万姓とする文献もある。

一般に、苗字、名字と言うが、その歴史は複雑である。
そもそも、日本に於ける「姓氏」とは、姓(かばね)は、古代豪族が政治的、
社会的地位を示す為に世襲した「称号」で、氏(うじ)は、血縁関係にある
家族群で構成された集団を指す。
称号としての苗字は、職業や地名、官職、出身国に由来するものが多かった
ようである。

朝鮮の姓は、「父系血統の親族集団」を表わすものである。
日本の苗字は「氏」で、「家」「家族」の名称である。
日本(氏名)  「氏」+「名」 …「山田+太郎」
朝鮮(姓名)  「姓」+「名」 …「金+勲」


創氏改名10


1909年、日本の保護下に在った大韓帝国は日本の指導に基づいて、「民籍法」
を制定し、近代的戸籍の整備を開始した。
この「民籍法」の施行に依って初めて、全ての朝鮮人が苗字を持てるように
なったのである。
それ以前、低い階層の人々は、出身地を表わす本貫しか持っていなかった。
朝鮮史上初の近代戸籍である「隆熙戸籍」の整備が終了したのは明治43年
(1910年)4月で、同年8月の日韓併合後も民籍法は維持され、日本の戸籍法
と共に朝鮮人に適用されている。
当初、朝鮮総督府は総督府令第124号「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」に
に依って、戸籍や出生で「内地人ニ紛ハシキ姓名」の届出に厳しい制限を
付けていた。
大正12年(1923年)、朝鮮総督府令第154号「朝鮮戸籍令」が公布され、
戸籍法規が統一された。

「創氏改名」と一括りで表現するが、「創氏」と「改名」は別事項である。
「創氏」は、昭和14年、朝鮮総督府が公布した「制令19号」、「改名」は
「制令20号」に基づくものである。

当時の朝鮮に於ける状況を、「金」さんという男性の一家に例えるならば、
朝鮮の姓は、「父系血統の親族集団」を表わすものであったことから、父親や
祖父、兄弟は当然「金」さんであるが、妻は「李」さん、母は「朴」さん、
祖母は「崔」さん、兄弟の嫁は「鄭」さんといった具合に、一家でも姓が皆
違っていた訳である。
家族制度の日本化として、「氏」を決めて、届け出るように指示したのが、
「創氏」ということである。
そして、「金」さん一家が「金」という姓をそのまま氏として届け出るか、
二文字からなる日本風の氏「金田」さんでも、「池田」さんでも、「大川」さん
でも選択は自由であった訳である。
そこで、「金」さんが氏を「金田」と決めて、届け出たとするならば、
それまで「李」さん、「朴」さん、「崔」さん、「鄭」さんと、家族内でも違った
名乗りをしていた人々も皆、同じ「金田」という氏になったという訳である。
これを「設定創氏」という。
但し、この場合、「姓+姓」の氏、例えば、「金李」や「崔鄭」などは禁止、
「本貫+姓」も禁止、ご歴代天皇の諱は禁止、などの制約は有った。
そして、単に日本にある苗字に倣うのではなく、姓や地名、本貫などから
付けることが奨励されたという。
この辺りに、朝鮮に於ける家族制度の日本化を図るものの、日本本国と朝鮮
との差異化への朝鮮総督府の配慮が窺える。

また、「金」さんが創氏の届出をしなかった場合、家長の姓である先祖伝来の「金」が、
「金」さん一家全員の氏となったのである。
これを「法定創氏」という。

李明博(月山明博)さんの家族は、「月山」を一家の氏にすると申告し、
朴正煕さんの家族は、「高木」を一家の氏にすると申告し、その際に「正煕」と
いう朝鮮名を、日本式の「正雄」に改名したということになる訳である。
強烈な反日家である朴槿惠氏さんは、「高木さんのお嬢さん」である。┐('~`;)┌


日本(氏名)  「氏」+「名」 …「山田+太郎」

朝鮮(姓名)  「姓」+「名」 …「金+勲」

       ↓
朝鮮(氏名) 『氏』  +「名」 …「金+勲」「金本+勲」「富岡+康夫」…





創氏を届け出たのは322万戸で、創氏率は約80%であったという。
創氏は法律に定めた義務であり、強制であったが、先祖伝来の姓を抹殺した
訳ではないのである。
創氏は、新たに「家」「家族」の氏を設けたことであり、先祖伝来の姓に変更を
強要された訳ではない。
朝鮮戸籍には届け出た創氏が書き加えられ、姓は抹消されることなく、本貫欄
に出身地である本貫と共に、姓が記載されることになったのである。

「改名」自体には力点が置かれた訳ではなかった。
創氏した氏に似合うように、改名しても良いという趣旨であり、期間限定では
なく、許可制で、手数料も必要であった。
改名率は10%と低かった。


京城 創氏相談所


「創氏改名は朝鮮総督府の強制であった」とする説と、
「創氏改名は日本国内外に於ける内地人との差別を回避する為に、
朝鮮人が望んだもので、自発的に受容した」とする説の両極に分かれる。

「創氏改名」の「改名」の部分には、何ら問題は無い。
重要なのは「創氏」の定義である。
この「創氏」の意味するところを曖昧にしたままの議論が、多々見受けられる。
「創氏」を「氏の創設」と定義しているケースと、「日本人式名称の氏の設定」と
定義しているケースに分かれる。
要するに、「氏の創設」は義務であり、強制であった訳である。
しかし、「日本人式名称の氏の設定」は強制ではなく、嘗ては総督府令第124号
「朝鮮人ノ姓名改称ニ関スル件」に明らかであったような日本人と朝鮮人との
差別化を緩め、希望者には日本人風の苗字の名乗りを許可するということである。

平成15年5月31日、当時は自由民主党の政調会長であった麻生太郎氏が
東京大学の五月祭に於ける講演会の質疑応答で、「創氏改名は朝鮮人が望んだ」
と述べたことで、批難を浴びたことがあった。

学生の質問
「 中国や韓国と外交をする上で、歴史問題をどうすればいいと思うか?」

麻生太郎氏の回答
「 歴史認識を一緒にしようと言っても、隣の国と一緒になる訳が無い。
例えば、朝鮮人の創氏改名の話。
日本が満州国をやる前に、創氏改名の話が出たことは一回も無い。
しかし、当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートを貰うと名前のところに
『キン』とか『アン』とか書いてあり、「朝鮮人だな」と言われた。
仕事がし難かった。
だから名字をくれ、と言ったのがそもそもの始まりだ。
これを韓国でやりあったら、灰皿が飛んで来た。
その時に「若い者じゃ話にならない、年寄りを呼んで来い」と言ったら、
おじいさんが現われて『あなたのおっしゃる通りです』と。
序でに、「ハングル文字は日本人が教えた。うちは平仮名を開発したが、
お宅らにそういう言葉は無いのか、と言ってハングル文字が出て来た」と
言ったら、もっと凄い騒ぎになった。
その時もそのおじいさんが『よく勉強しておられる。あなたの仰る通りです』
と言って、その場は収まった。
やっぱり、きちんと正しいことは歴史的事実として述べた方が良い」

この麻生太郎氏が語られたところの「創氏改名」は、「日本人式名称の氏の設定」
という意味である。

当時の朝鮮総督の発言や新聞記事に於ける「創氏」の語が、「氏の創設」の
意味であったり、「日本人式名称の氏の設定」の意味であったりと、明確ではない
ところが見受けられるのは奇妙なものである。

昭和14年(1939年)11月、
朝鮮民事令改正公布時の南次郎朝鮮総督の談話
「本令(朝鮮民事令)の改正は、申す迄もなく、半島民衆に内地人式の
「氏」の設定を強要する性質のものではなくして、内地人式の「氏」を
定め得る途を拓いたのであるが、半島人が内地人式の「氏」を称ふることは
何も事新しい問題ではない」

此処では、「創氏」は「日本人式名称の氏の設定」の意味である。

朝鮮総督府局長会議に於ける南次郎総督の発言
「創氏改名に就いて、一部には未だ誤解している向きがあり、
特にこの制度を強制しているといふことは絶対に無く、
創氏せよというのは強制するという主旨では絶対にない」
此処での「創氏」の語自体は「日本人式名称の氏の設定」の意味であるが、
「この制度を強制しているといふことは絶対に無く」という発言は明らかに
おかしいのである。
「氏の創設」自体は強制である。
強制でなければ、「法定創氏」は有り得ない。
南次郎総督は陸軍大将(予備役)で、軍人であったからか、その発言は
厳密さに欠けていた。


創氏改名8


宮本元朝鮮総督府法務局長の談話
「半島人の極少部分で、『氏』制度が創設されたのは、必ず内地人式の『氏』を
設定しなければならぬ法意だとか、内地人式の氏を設定しなければ、内鮮一体
の統治方針に反対するのだとか、解釈している向きがあるとのことだが、
それは誤解である。
今迄、朝鮮半島に於いては、家の称号が無かったので此の度、家の称号である
『氏』を定めることになったのであるが、好むと好まざるとに拘らず、一律に
内地人式氏を設けねばならぬ性質のものではない」

東京帝国大学法理研究会に於ける宮本元朝鮮総督府法務局長の講演 
昭和15年(1940年)
「氏制度の設定に依り、半島人は氏の設定を義務附けられた次第でありますが、
内地人式氏の設定に就いては法令上、何等義務附けられたるものに非ざるは
固より、法令の運用上に於いても、聊かたりとも強制的又は勧奨的意図を
有せざる所であります。
換言すれば、半島人に内地人式氏を称し得る途を拓いたに過ぎないのであります」

流石に法務局長だけあって、「氏の設定」は義務付けられたものであり、
「内地人式氏の設定」は義務付けられたものではなく、強制ではないと
明確に立て分けている。
要するに、こういうことであった訳である。

但し、実務を遂行する朝鮮人地方官僚に於いては、内地朝鮮一体に拘り過ぎ、
高い創氏率を挙げようと功を焦る余りに、望まぬ一家にも日本風の氏を強要
したような例もあったであろうことは想像に難くない。


演劇「族譜」


日韓併合は、明治43年(1910年)のことであり、創氏改名は、昭和14年
(1939年)である。
29年間も、明治43年(1910年)の「隆熙戸籍」、大正12年(1923年)の
「朝鮮戸籍令」で統一された戸籍法が適用されていた程であることから、
大日本帝国朝鮮総督府にとって、創氏改名という政策がそれほど必要性の高い
重要課題であったとはとても思えない。
韓国併合も、そもそも会員100万人を呼号した一進会の日韓合邦の請願などが
発端となり、創氏改名も「朝鮮名のままでは、商売が遣り難いから、日本名を
名乗りたい」という朝鮮人の訴えが発端となっている。
西洋列強の宗主国のように、冷淡に放っておけば、良かったのである。











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歴史を忘れた民族に未来は無いとのこと・・・小賢しき朝鮮人の言い草よ!

 2013-07-30
「歴史を忘れた民族に未来は無い」とのこと 

・・・小賢しき朝鮮人の言い草よ!


7月28日に行われたサッカー東アジア杯の日韓戦で、試合開始前から
ハーフタイムまで観客席に、「歴史を忘れた民族に未来は無い」とハングルで
書かれた横断幕が掲げられたという。
また、試合開始前後には、朝鮮併合に反対していた元勲、伊藤博文を暗殺した、
韓国の大英雄、朝鮮独立運動家、稀代の勘違い野郎、人殺しの安重根とやらの
肖像を描いた幕も掲げられたという。


チ5


不可解なのは、その「歴史を忘れた民族に未来は無い」という説教じみた台詞
がハングルで書かれていたことである。
日本人に向けたメッセージの積もりなのであろうが、大方の大和系日本人には、
あんな幼稚な金釘のような表音文字を読解出来る訳が無いではないか。

大枚の付け届けが功を奏し、何をしても大目に見て貰える自信はあるものの、
一応は国際サッカー連盟(FIFA)の視線を慮って、日本語や英語で書くだけの
度胸が無かったのかも知れない。
尤もメッセージをハングルで書いたということは、優秀な朝鮮民族に対して、
「歴史を歪曲する民族に未来は無い!」「歴史を捏造する民族に未来は無い!」
という自虐的省察の警鐘にもなるので、一石二鳥の素晴らしいパフォーマンス
と言えるのかも知れない。


馬鹿チョン1


文章の意味の厳密さに拘る私としては、「歴史を忘れた民族に未来は無い」の、
「歴史を忘れた」とは、どういう意味か、「未来は無い」とは、どういう意味か、
その辺りが曖昧な表現は好きではない。
支那人や朝鮮人が歴史を歪曲、捏造し続け、それに呼応する反日左翼の売国奴、
国賊のような、名ばかりの日本人の多い現代日本の中でも、大東亜戦争敗戦後
70年近くを経て、やっとこさっとこ、我らが祖国日本の歩んで来た近現代の
道程を正視眼的に評価出来る、覚醒した若い世代が現われて来たことを大変に
嬉しく思う昨今である。


朴元大統領1


この「歴史を忘れた民族に未来は無い」という小賢しいメッセージを、
ウリナラファンタジーに酔い痴れているようなお馬鹿民族にお返ししよう。
朝鮮人は自民族の歴史の実相も、「日韓併合」の真相も認識してはいないのである。
臭い物には蓋をしておきたいというのが本音であろうよ。

韓国の現大統領朴槿恵氏の父親で、軍事クーデターで政権を掌握し、
1963年から1979年に暗殺されるまで、軍事独裁体制を敷いていた
朴正煕(ぼく せいき)元大統領(日本名 高木正雄)は、その著書
「国家、民族、私」の中で、朝鮮民族の歴史に就いて、「我が半万年の歴史は、
一言で言って、退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった」と述べている。
また、「(朝鮮社会は)姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な
封建社会の一つの縮図に過ぎない」「我が民族史を考察してみると、情けない
という他はない」とも述べている。

また、ある時、日韓閣僚会議で、朴正煕元大統領は日本の朝鮮統治に就いて、
「日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。
自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て
義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な
労働力だった自分を学校に行かせてくれた。
すると成績が良かったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。
さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することが出来た。
卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。
日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に
非難するつもりもない、むしろ私は評価している」と正当に評価している。




カメラマン1

500 朝鮮 古写真



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カメラマン1




朝鮮総督府2

朝鮮総督府1

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朝鮮人は三年の恩を三秒で忘れる。
三年の恩を三日で忘れるという、ニャンコにも劣る大馬鹿民族であるからして、
極力、関わらぬに越したことは無い。
疎遠に成るべく、放っておくのが唯一の正しい選択である。


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