華やぐ日々よ …詠山史純の愚考拙文録 日本仏教批判

日蓮の呪縛から解き放たれよ!②…天人相関説に基く立正安国論

日蓮の呪縛から解き放たれよ!② 
               
              …天人相関説に基づく立正安国論



日蓮は、1222年(貞応元年)から1282年(弘安5年)の鎌倉時代を生きた
天台僧であり、浙江省天台山国清寺の智(ちぎ《538年-597年》中国の
仏教僧であり、天台宗の実質的な開祖であるが、慧文、慧思に次ぐ第三祖と
位置付けられている)の理論体系を踏襲した上で、日蓮法華宗の宗祖となった。


日蓮は1260年(文永元年)、満38歳の時に、「立正安国論」を、鎌倉幕府の
前執権(第五代)北条時頼(この時点では、得度して最明寺入道)に対し、
御家人の宿屋光則(鎌倉の光則寺はその屋敷跡)を介して呈上した。
これは日蓮の最初の「国家諌暁(こっかかんぎょう)」と意義付けられている。
「国家諌暁(国主諌暁)」とは、国家の主権者に対し、その誤りを正し、
正義を明らかにして、諌めるという意味である。

鎌倉幕府が編纂した歴史書「東(吾妻)鏡」にも記録されているように、
当時は暴風雨や旱魃、大寒気などの異常な気象現象や大地震が起こるなど、
自然災害が頻発し、それに伴って、「諸国の田園ことごとくもって損亡す」と
いうほどの大飢饉に襲われ、伝染病の流行や火災なども続発し、鎌倉の街路は
死人や病人で溢れ、1261年(弘長元年)には、病者や孤児、死屍を路辺に
捨てることを禁じる法令を発せねばならぬほどの悲惨な状態で、世は暗澹たる
状況にあったという。

特に、1257年10月(正嘉元年8月)に起きた大地震はマグニチュード7.0~7.5、
震央は相模湾内部、江ノ島の南約10km、鎌倉の沖合いであったと推定され、
鎌倉の都では「戌の刻大地震。音有り。神社仏閣一宇として全きこと無し。
山岳頽崩し、人屋顛倒す。築地皆悉く破損し、所々の地裂け水湧き出る。
中下馬橋の辺地裂け破れ、その中より火炎燃え出る」というように、主な建物
が悉く倒壊するほどの甚大な損害を被ったという。


日蓮はこの大地震を機に、駿河国(現在の静岡県中央部)にある岩本実相寺に
籠もって、一切経(大蔵経ともいう。2世紀後半から始まったシナに於ける経典
の漢訳事業が進み、6世紀頃には集大成され、北魏では「一切経」と呼び、
梁では「大蔵経」と呼んだ。仏典の総数は、経・律・論合わせて5048巻)を
読んだということになっている。
「立正安国論」の著述は、1253年(建長5年)に安房から鎌倉に入った日蓮が、
初めて結んだ松葉が谷の草庵で為されたと伝えられ、その鎌倉大町の地は
祖師の聖跡として、日蓮宗寺院・安国論寺になっている。

立正安国論400

日蓮は、「立正安国論」の中で、相次ぐ天変地変、飢餓、疫病の原因は、国中の
人々が正法である法華経を信仰せずに、禅宗や念仏専唱の浄土宗等の邪宗教に
帰依しているからだとして、護国三部経の「金光明最勝王経」「仁王般若経」
「法華経」や「大方等大集経」「大般涅槃経」「薬師瑠璃光如来本願功徳経」
などの経文を引用し、国を救い、民を救う正しい宗教は法華経信仰以外に無く、
法華経を国教にすれば(立正)国家も国民も安泰(安国)となると主張したの
である。
そして、速やかに日本国中が法華経に帰依せずに、邪宗教を信仰し続ければ、
必ず自界叛逆(内乱)、他国侵逼の難(他国からの侵略)も続発するであろうと
警告した。

では、何故に法華経以外を信仰すると、災難が起こるのかという説明では、
「世皆正に背き人悉く悪に帰す。
 故に善神国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず。
 是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る」

『この災難の原因は、世の中の全ての人々が正しい教えに背いて、悪法邪法に
 帰依したことに依る。
 その為、国を護る諸天善神はこの国を捨てて天上に去り、正法を広める聖人
 も去って還って来ないのだ。
 その隙に乗じて、悪魔や悪鬼が襲って来て、次々に災難が起こるのである』と、
邪宗教を崇めた結果、災難が起きているというのである。

これは所謂「神天上(かみてんじょう)の法門」と言われるもので、
世の人々が皆、正しい仏法である法華経に背く時、善神が法味に飢え、
守護すべき国土を捨てて、天界の本地に戻り、その代わりに神社仏閣には
悪鬼・魔神が住み、種々の災難を起こすのだという論法である。
日本の「神」は、法味という食べ物(法華経の題目「南無妙法蓮華経」)を
食べなければ、神力が一切出ないというのだ。
神に法味を捧げる方法は、「南無妙法蓮華経」=「妙法蓮華経(法華経)に
帰依します」と唱えることだという。

最明寺入道 北条時頼400

「立正安国論」に於いて「災難を除く方法」についての記述部分では、
「大般涅槃経」の「蟻子を殺す者は必ず三悪道に落つ。謗法を禁むる者は
定めて不退の位に登る」
『蟻を殺した者でも必ず三悪道に堕ちるが、謗法の者(法華経を信仰しない者)
を殺せば、必ず不退転の菩薩の位に達し、成仏の境涯に到る』など、
「正しい仏法を護る為ならば、武器を執って良い」「邪宗教を信仰する者を
殺害しても、罪にならないどころか、仏に成れる」という趣旨の経文群を
これでもか、これでもかと長々引用し、他宗派を非難し、根絶を訴えている
のである。

「所謂覚徳とは是れ迦葉仏なり。有徳とは則ち釈迦文也」
『昔、邪宗教の者に迫害されても、正法を弘めた覚徳比丘とは、後の迦葉仏の
ことである。その時の王で、正しい仏法を護る為に戦闘して、謗法者を殺した
有徳王は、後の釈迦牟尼仏である』という引用文もある。

同じく、「大般涅槃経」からの引用文で、
「刀杖を持つと雖も『応に』命を断ずべからず」
『但し、刀や杖を持っていても、みだりに人の命を断ってはならない』という
のもある。
この一文の「応(みだり)に」を意図的に日蓮遺文集から削除している宗派が
ある。
それは何故かと言えば、「殺してはならない」というのは、殺すことを禁じる
意味であるが、「みだりに殺してはならない」というのは、殺すことを善しと
して許容した上で、そのことに制限を設けているに過ぎないという意味となる
からであって、奇麗事ばかりをほざいている教団としては、殺人教団オーム
真理教の「ポア」同様の概念で、実に都合が悪いからである。
但し、日蓮系教団の信者などというものは、己らの信仰が世界最高唯一絶対
無二の正しい宗教だと逆上せ上がって、偉そうな口を叩いている割には、
「立正安国論」を通読している者など殆ど居ないのが実態であるから、何が
どう書いてあろうが、「日蓮在世が末法時代でないこと」同様に、誰も問題意識
は持たないのだ。

太刀400

但し、長々と「邪宗教を信仰する者を殺害しても、罪にならないどころか、
仏に成れる」と述べた割には、謗法の坊主を殺せとは言わず、布施を絶って、
兵糧攻めにせよと主張している。

「夫れ釈迦之以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能仁以後の経説は
 則ち其の施を止む。
 然れば則ち四海万邦、一切の四衆、其の悪に施さず」
『釈尊の前世の事蹟で、謗法を禁断する方法として、謗法者の命を断ったこと  
 を説いたが、今の釈尊が教えるのは、謗法の坊主に対して布施をしては
 ならないということである』と兵糧攻め作戦を提起しているのだ。

「正法を毀る者をば大臣・四部之衆、応当に苦治すべし」
『正法(法華経)を謗る者があれば、国王や大臣や役人やその他、皆で力を
合わせ、徹底的に根絶しなければならない』
正法を謗る人を禁じて、正法を信ずる人を重んずるならば、国中は安穏で
天下は泰平になるであろうというのである。


因みに、日蓮は「撰時抄」では「建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の
一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頸をゆひのはまにて切らずば
日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ 」
『建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等の寺院
を焼き払って、彼らの首を由比ガ浜で斬ってしまわねば、日本国は必ず滅ぶ
と申した』と述べている。

「然れば則ち三界は皆仏国也。 仏国其れ衰へん哉。
 十方は悉く宝土也。 宝土何ぞ壊れん哉。
 国に衰微無く土に破壊無くんば、身は是れ安全にして、
 心は是れ禅定ならん。 此の詞此の言信ずべく崇むべし矣」

『そうするならば、この世界はそのままで仏の国となる。
 仏の国が衰えることがあろうか。いや、決して衰えることはない。
 十方の世界は、そのままで浄土(平和楽土)が現出する。
 浄土が破壊されることがあろうか。いや、決して破壊されることはない。
 国が衰えることなく、世界が破壊されなければ、その身は安全であり、
 心は平和でありましょう。
 この言葉を真実と信じなければいけない、崇めなければいけない』
これは当に机上の空論である。

大蔵経400
                    大蔵経

人々が、正しい仏法である法華経を信奉しないが故に起こったと、日蓮の言う
「三災七難(さんさいしちなん)」であるが、「七難」については、「立正安国論」
に引用された護国三部経の「金光明最勝王経」「仁王般若経」「法華経」や
「大方等大集経」「薬師瑠璃光如来本願功徳経」の経典に依って、その内容に
多少の差異がある。

「三災」は、「倶舎論(くしゃろん)」に依ると、
「大の三災」には、「火災」「風災」「水災」があり、
「小の三災」には、
「穀貴(こっき)」五穀の値段が異常に高騰する物価騰貴の災難、
「兵革(ひょうかく)」戦乱の災難、
「疫病(やくびょう)」伝染病や流行病の災難がある。

「七難」とは、正しい仏法を誹謗することに依って起こる七種の難で、
「薬師瑠璃光如来本願功徳経」の七難を例に挙げると、
 ①人衆疾疫(にんじゅしつえき)難 (伝染病が流行り、多くの死者が出る)
 ②他国侵逼(たこくしんぴつ)難  (外国から侵略される)
 ③自界叛逆(じかいほんぎゃく)難 (自国に内乱が起こる)
 ④星宿変怪(せいしゅくへんげ)難 (彗星や流星が現われたり、天体の運行や 
                  輝きに乱れが起こる)
 ⑤日月薄蝕(にちがつはくしょく)難(日食や月食など異常現象が起こる)
 ⑥非時風雨(ひじふうう)難    (季節外れの暴風や強雨が起こる)
 ⑦過時不雨(かじふう)難     (雨季に雨が降らない天候不順が起こる)

日蓮は、他宗を撲滅して、法華経を信奉するならば、これら種々の災難は悉く
摧滅(さいめつ)して、安穏な仏国土が現出するというのであるが、大乗経典には
こう書いてある、ああ書いてあると学生の卒業論文のような引用の寄せ集めで
あり、机上の空論も甚だしいものである。
小学生の少女がポルノ小説を書き、オーガズム(性的絶頂)を感じたの、
どうのこうのと描いているようなものである。

「天変地異」の「天変」は天空に起こる変動のことで、異常気象やそれに
依って齎される災害、日食や月食、隕石、彗星、暴風・大雨などを言い、
「地異」は、地震や津波、火山の噴火など、地上で発生する異変のことを
意味するが、それらの原因を人為的なものと見做すのは、
「天と人とに密接な関係があり、相互に影響を与え合っている」という儒教の
教義である「天人相関説(てんじんそうかんせつ)」の思想そのものである。

日本国中で法華経を信仰して、「南無妙法蓮華経」と「正しい教えである白い
蓮の花に帰依します」とクマーラ・ジューヴァ訳法華経の表題「妙法蓮華経」を
繰り返し唱えたならば、地震も起きず、火山も噴火せず、日食や月食も起こらず、
隕石も落ちず、彗星も見えず、暴風雨も起こらず、伝染病も流行せず、
内乱も起こらず、外国も侵略して来ないという有り難いお話であるが、
そもそも、この「天人相関説」は、シナでは紀元前後の後漢時代に既に
「天文は純然たる気の運行に過ぎず」として批判された思想なのである。



ところが、21世紀の現代日本には、この「立正安国論」の無謬性を信じ、
教団経営者の言うがままに、布教せんと活動している日蓮系カルト教団信者は
推定で、少なくとも全人口の5%ほどは存在し、政治的には第三勢力を形成
している。
現に、全国の書店に「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」だの、
「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」だのという、日蓮の立正安国論を真似た
「国家諫暁書」気取りの書籍が置いてある。

何故に、このような馬鹿げた論が為されるかと言えば、日蓮が仏法の「法」の
概念を取り違えていることから起こっているのである。
ある巨大日蓮系カルト教団では、「南無妙法蓮華経と唱えると、自分の生命が
宇宙のリズムと合致して、幸福な境涯になる」とまで広言している。
たとえ「宇宙のリズム」とやらと合致したとしても精々、六道輪廻が良い
ところだと、私には思えるのだが。

仏教における「法」とは、サンスクリット語で「ダルマdhárma」、
サンスクリット語の俗語であるパーリ語で「ダンマdhamma」であるが、
原始仏典に依れば、ゴータマ・ブッダが説いたのは、宗教教義としての「教」
(ドグマ)ではなく、人として歩むべき道を歩んで行く為の生活の指針となる
倫理道徳的な「規範」や「法則」としての主観的世界の「法」(ダルマ)で
あったはずで、何もニュートンやアインシュタインではあるまいし、客観的
世界の法則性を説いた訳ではないのである。

ゴータマ・ブッダのイメージにせよ、その教説にせよ、伝言ゲームのような
口伝や翻訳、意図的な偽作が重ねられ、針小棒大な表現の加上に加上が積み
重ねられ、最初期の仏教が伝えられる原始仏典の「スッタニパータ(経の集成
orブッダの言葉)」や「ダンマパダ(真理の言葉or法句経)」の教えとは似ても
似付かぬ変質を遂げ、原意から遠く離れた煩瑣な教理を弄する8万4千種もの
仏教経典群にまで爆発的に膨張した。
それはまるで、村一番の美人と評された田舎娘の評判が評判を呼び、やがて
日本一の美人と称され、次には三国(日本、インド、シナ)一、世界一と
エスカレートし、仕舞いには美の神ヴィーナスとまで崇め奉られるような
馬鹿馬鹿しいことなのである。




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2011/12/26 07:16 | 日本仏教批判COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

日蓮の呪縛から解き放たれよ!① …日蓮在世は像法時代

日蓮の呪縛から解き放たれよ!① 

               …日蓮在世は像法時代



日蓮は、1222年(貞応元年)から1282年(弘安5年)の鎌倉時代を生きた
天台僧であり、浙江省天台山国清寺の智(ちぎ《538年-597年》中国の
仏教僧であり、天台宗の実質的な開祖であるが、慧文、慧思に次ぐ第三祖と
位置付けられている)の理論体系を踏襲した上で、天台法華宗に対して、
日蓮法華宗の宗祖となった。

仏教の開祖であるゴータマ・シッダールタ(釈尊)が現在のネパール国境付近
(インド説もある)、カピラワットゥの釈迦族に生を享けたのは紀元前5世紀頃で、
463B.C. から383B.Cまでの80年の生涯であったと推定されている。
従がって、日蓮が生まれたのは、ゴータマ・ブッダ入滅後1605年であって、
2000年未満であることは注目すべきことである。

何故ならば、日蓮の崇拝者たちは「法華経には、ブッダ入滅後2000年以降の
『末法の時代』に釈尊の使者として、地涌(じゆ)の上首(じょうしゅ)
上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)が出現し、法華経を広め、民衆を救済すると
ブッダの予言が説かれていて、その上行菩薩の再誕こそが日蓮である」として、
日蓮本仏論を形成しているのである。
日蓮はその著「撰時抄」に於いて
「大集経に大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。
所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、
次の五百年には禅定堅固已上一千年、
次の五百年には読誦多聞堅固、
次の五百年には多造 塔寺堅固已上二千年、
次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」
と説いている。

「大集経」は正式には「大方等大集経」であるが、その中の
「我が滅後に於て500年の中は解脱堅固、次の500年は禅定堅固、
次の500年は読誦多聞堅固、次の500年は多造塔寺堅固、
次の500年は我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」
を典拠として、ブッダ入滅後2000年以降の500年には、仏教徒の間で論争が
闘わされ、正しい教えが隠没してしまうという仏教に於ける下降史観である。
ブッダ入滅後に於ける教法の流布すべき「時」を大別し、正法時代・像法時代・
末法時代という三期の時代があるという予言思想は、中国南北朝時代に成立した
もので、この末法思想はインド伝来のものではない。

平等院鳳凰堂400
          京都宇治 平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)

元より、この大乗仏教経典である「大方等大集経」にしても、「法華経」同様、
ブッダ入滅後500年~600年程の紀元後1世紀後半~2世紀に大乗運動がインドで
展開され、その上、中国で加上編集された、ブッダに仮託された思想文学、神話
とも言えるような偽経であり、正法・像法・末法の三時観の予言も「創作」、言葉
を変えれば、「捏造」に過ぎないのだが、この説に従がえば、日蓮は像法時代を
生きたのであって、末法時代ではない。
日蓮の教説は、末法時代であることを大前提として立論されているのであって、
その第一歩からして虚偽、虚構であれば、教義体系そのものが成立不可である。
末法観に基いて、我こそは救世主なり!と大騒ぎしてみたものの、実は鎌倉時代は
未だ像法時代で、末法時代を迎えてはいなかったという歴史的ズッコケギャグは、
吉本新喜劇の舞台であったなら、ここで一発大きくコケる場面ではないか。
この錯誤は、日蓮がブッダ入滅時を紀元前943年とする説を採り上げ、平安時代
末期の永承7年(1052年)を末法第一年と捉えたことに依る。

実は、この正法時代・像法時代をそれぞれ500年とする説もあることはあるが、
日蓮自身が「撰時抄」で1000年刻みとしている以上、日蓮教徒はその説に
従がわざるを得ないことから、日蓮カルト教団の中にはゴータマ・ブッダの
在世を2500年前ではなく、「3000年前」とあやふやに嘘を吐いて、誤魔化し、
辻褄を合わせた積りになっている巨大集団もある。
「ブッダ入滅後2000年以降の末法時代に仏法を広めるという上行菩薩こそが、
鎌倉時代の日本に出現した日蓮である」という教義体系である以上、日蓮在世の
13世紀が末法時代であってくれないと教団経営陣は実に困るのである。
「3000年前」としておけば、ブッダ入滅は紀元前1000年頃となり、
日蓮の誕生はブッダ入滅後2222年程となり、2000年の壁をクリアし、
末法時代に誕生したとして、目出度く帳尻合わせが出来るという次第である。
何十万人、何百万人もの日蓮教徒がこれで納得するのであるから、信仰に対し、
余程不真面目なのか、余程算術が苦手な人々の集団なのであろうかと軽蔑せず
にはいられない。


日蓮カルト教団の教義は大方、以下のような立論の仕方をする。
「仏法は3000年前、インドのゴータマ・ブッダに依って説かれた。
ブッダはその生涯で50年に亘り、法を説いたが、晩年の8年間に説いた法華経を以って、
一切衆生を成仏得脱せしめた。
そのブッダが、滅後2000年以降の末法時代には人の心が荒くなり、『白法隠没
(びゃくほうおんもつ)と言って、釈迦仏法が滅尽すると予言されている」
更に、「ブッダは法華経で『上行菩薩』という威徳ある大菩薩が、根源の大法を
以って末法時代の一切衆生を救うと予言された。
その上行菩薩こそが日蓮であり、日蓮は宇宙法界に存在するあらゆる諸仏の
本源に位置する『久遠元初(くおんがんじょ)の自受用身(じじゅゆうじん)』と
いう本仏である。
末法時代は、この根源の本仏である日蓮が、根源の大法『南無妙法蓮華経』を
以て、全人類をお救い下さるのである」という決まり文句である。



日蓮は、浄土宗の開祖である法然房源空(1133年-1212年)が「選択本願念仏集」を
撰述し、易行として「専修念仏」を提唱したのに倣い、中国六朝時代の訳経僧
鳩摩羅什(350年-409年、クマーラ・ジーヴァ)が中国語に翻訳した法華経の
タイトル「妙法蓮華経」を唱える行を提唱した。
法華経の「タイトル=テーマ=表題=題名=題目」を唱えるから、「唱題」と言う。

「南無(ナム)」というのは、サンスクリット語のnamas(ナマス)及び、namo(ナモー)
の音訳で、「心から信じる」「帰命(きみょう)」「帰依(きえ)」と意訳される。

日蓮教徒はこの「法華経に帰依する」という意味の題目「南無妙法蓮華経」は、
「宇宙法界をも包含する生命の極理」だというのである。
「『南無妙法蓮華経』は、ブッダは法華経の寿量品にストレートには書いて
いないが、言外に意味を込めて、文章の底に秘し沈めた教え(法)であり、
『三世十方の諸仏』の『成仏の種』であり、末法時代10000年間の一切衆生が
成仏する為の『唯一の正しい教え(法)である』と言うのである。

「『南無妙法蓮華経』こそが宇宙根源の法である」などと言われると、有り難く
聞こえなくもないのだが、『妙法蓮華経に帰依します』が宇宙根源の法であると
いう意味であるから、実に奇妙な言い回しである訳なのだ。
日本仏教界の怠慢で、仏教経典は和訳して、日本語で読誦することなく、
パーリ語やサンスクリット語で書かれた経典を中国語訳されたものを音読して
いるだけであるが、「妙法蓮華経」は「正しい教えの白い蓮」という意味である
から、「法華経のタイトルに帰依する」という意味の日本語の唱え言葉は
「正しい教えの白い蓮に帰依します」となる。

このように、日本語で表現すると、「正しい教えの白い蓮に帰依します」こそが
「宇宙法界をも包含する生命の極理」であると主張している日蓮教徒たちが、
実は如何に訳の解らない理論を振り翳しているのかが良く解るのである。
出家教団であれ、在家教団であれ、それらの経営陣の幹部連中は、そもそもそんな
己らの吐いている教説など信じてはいないものである。
知解出来ないが、信解している積りになって、選民意識を擽られ、煽てられ、
大層有り難がっているのは、「信+者」で教団の「儲」の対象とされている
思考停止、判断停止の教団構成メンバーだけである。




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2011/12/21 13:14 | 日本仏教批判COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

日蓮の名相 …数霊21の傲慢な象意

日蓮の名相 …数霊21の傲慢な象意

…「ヤァ!ヤァ!我こそは…」の傲慢な頭領運



日蓮の物語りを弟子の日興(富士門流の祖)が記したとされる「産湯相承事
(うぶゆそうじょうのこと)」(偽書との説もある)に依れば、日蓮は幼名を
「善日麿(ぜんにちまろ)」と称したという。
「麿」というのは、鎌倉時代に於いて「子供」を示す言葉である。

この「善日」との命名の由来は、日蓮の母、梅菊女(うめぎくにょ)が、
日蓮を懐妊した時と出産した時に見たという不思議な夢にある。
懐妊時に見た夢というのは、彼女が「比叡山の頂きに腰掛け、琵琶湖の水で
手を洗うと、富士山から太陽が昇り、その日輪を彼女が懐く」というもので
あったという。
またこの時、日蓮の父、三国太夫(みくにのたいふ)=貫名次郎重忠
(ぬきな じろう しげただ)は、「虚空蔵菩薩が肩の上に見目麗しい子供を
乗せて現われ、『この子は上行菩薩といい、一切衆生を導く大導師である。
この子を汝に授ける』と言われた」という夢を見たという。

更に母、梅菊女は日蓮の誕生時に、「梵天・帝釈等の諸天善神が現われて、
『善哉善哉(よきかな、よきかな)、善日童子、末法教主勝釈迦仏」と三度唱え、
礼をして去って行った」夢を見たという。
このことに因って、「善日」と名付けられたというのだが、日蓮はこの母の夢を、
母の物語と思ってはならない、仏の言葉と拝するようにと語ったという。



日蓮の幼き日、12歳の善日麿は、現在の千葉県、安房に在る慈覚大師の流れを
汲む天台密教の寺、清澄寺に登り、学問したという。(本尊問答抄)

「幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てゝ曰はく、日本第一の智者となし給へ
 と云々」(善無畏三蔵抄)
「幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て、
 日本第一の智者となし給へ。十二のとしより此の願を立つ」(破良観等御書)
とあるように、日蓮は不思議法師の彫刻と伝える清澄寺の虚空蔵菩薩へ、
『日本第一の智者となし給へ』と誓願したというのである。
少年期の青雲の志は真に結構ではあるが、後の増長振りからして、この幼少
の段階で既に、「日本第一」という権威志向の意識が現われていたことになる。

清澄寺400
               千葉県天津小湊町 千光山清澄寺

善日麿は16歳の時、清澄寺の道善房を師として出家し、「産湯相承事」に
依れば、「是生房蓮長(ぜしょうぼう れんちょう)」と名乗ったとあり、
是生房の「是」とは、「日」の「下」の「人」という意味であると語られている。
但し、「是生房」に付いて、日蓮自身は金沢文庫蔵の『授決円多羅義集唐決』の
自筆写本の奥書に於いて、「生」ではなく、「聖」の字を当て、「是聖房」と
記している。
尚、日朗門流の相伝書である『当宗相伝大曼荼羅事』にも「是生」とあるが、
身延門流の相伝書である日意の『日蓮大聖人五字口伝』には「仮名ハ是性房」と、
「性」の字が当てられているなど、「ぜしょうぼう れんちょう」と訓じた
ことは確かでも、「しょう」の音にどの漢字を当てたのかは定かではない。
「産湯相承事」は、後付けのようなその内容も然ることながら、このことが
日蓮撰日興相伝の親撰とは見做されない根拠の一つにはなっている。

日蓮との名乗りに付いては、
「日蓮は富士山自然の名号なり、富士は郡名なり実名をば大日蓮華山と云う
 なり、我中道を修業する故に是くの如く国をば日本と云い神をば日神と
 申し仏の童名をば日種太子と申し予が童名をば善日・仮名は是生・実名は
 即ち日蓮なり」                (産湯相承事)

「神力品に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて
 能く衆生の闇を滅す」等云々、此の経文に斯人行世間の五の文字の中の人の
 文字をば誰とか思し食す、上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり」
                        (右衛門大夫殿御返事)

「経に云く『世間の法に染まらざること蓮華の水の在るが如し地より而も
 湧出す』云々、地湧の菩薩の当体蓮華なり」    (当体義抄送状)

「明らかなる事・日月にすぎんや浄き事・蓮華にまさるべきや、法華経は日月
 と蓮華となり故に妙法蓮華経と名く、日蓮又日月と蓮華との如くなり」
                         (四条金吾女房御書)

「一切の物にわたりて名の大切なるなり、さてこと天台大師・五玄義の初めに
 名玄義と釈し給えり。日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし」
                         (寂日房御書)
と、自分こそ、「末法の一切衆生を救済する本仏である」との確証を得たと自負
するが故にその意義を込め、蓮長は建長5年(1253年)年32歳の時、立宗を
宣言するに当たって、本仏の名称としての「日蓮」と改名したというのである。

日蓮映画B400

ゴータマ・シッダールタ滅後から約500年以上経た後に成立したと推定される、
ゴータマ・ブッダに仮託された一宗教文学作品に過ぎない「法華経」を、
中国浙江省に在る天台山国清寺の智(ちぎ)が、ゴータマ・ブッダ一代の教説を
「五時八教(ごじはっきょう)」という虚構の教判に依って判釈し、法華経こそ
唯一真実、最勝の経典であるとして、法華経の教理に基づく「一念三千の法門」
を説き、「摩訶止観」に説くところの観法(かんぽう)によって悟りに至ると
説いた訳だが、その中国天台宗ではクマーラ・ジーヴァ(鳩摩羅什)が脚色を
交えて翻訳した「妙法蓮華経」を所依の最重要経典として採用した。
それに倣い、比叡山の伝教大師最澄は、自らの宗派を「天台法華宗」と名付け、
法華経を至上の教えとしたという経緯の上で、浄土系の「称名念仏」「専修念仏」、
禅系の「只管打坐」など、鎌倉仏教界の風潮であった易行指向の成仏実践法に
沿って、日蓮の場合は「南無妙法蓮華経」の題目を唱える唱題行で、法華経に
南無(帰命)して行く中で、凡夫の身の中にも仏性が目覚めて行き成仏の道を
歩むことが出来るという教えを説いたに過ぎないのである。

法華経の物語の中には、ブッダが法華経を説いた時、末法の世に出現して、
法華経を広めるように4人の菩薩に依頼したという場面があり、そのブッダ
から法華経の伝道を付嘱(ふぞく)された4人の菩薩の内、最上位に居るのが
上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)であるが、日蓮は自らを上行菩薩の生まれ
変わりという宗教的自覚の下に教化を展開したことになる。

それにしても、紀元前後のインドで、創作に創作を重ねられて成立した宗教
文学作品が、中国で脚色を交えた翻訳、編集され、虚構の天台学でゴータマ・
ブッダの出世の本懐であるとする最高の経典に祀り上げられ、虚構の三時説に
依る末法観に基いて、その物語の中の架空の登場人物である上行菩薩の生まれ
変わりこそが自分であると日蓮は自負したというのであるから、仮説に仮説を、
真っ赤な嘘に嘘を積み重ねた高層ビルのようなもので、法華経信仰、日蓮信仰
というものは砂上の楼閣のようで、実に妙ちきりんなものである。
しかも、末弟子たちはその大嘘を日本中に広め、中には国立戒壇を建立し、
国教化を目的として活動する勢力もあり、更には世界中に広め、世界人類を
もその真っ赤な大嘘で支配しようと目論む信者が1000万人以上は居るので
あるから、馬鹿馬鹿しいこと、この上無い。

日蓮映画A400

日蓮は、「開目抄」の中で「我日本の柱とならん 我日本の眼目とならん
我日本の大船とならん」という「三大誓願」を述べている。
その気概は気宇壮大で立派なものであると思うが、宗教的境地が進展したと
いうことなのか、強烈な自負心が極端にエスカレートして行くことになる。

日蓮は「聖人知三世事」に於いて、「日蓮は一闇浮提第一の聖人なり」と、
法華経本門の釈尊こそが真の聖人であり、自分こそが三世常住の仏であると
言い切っている。

「撰時抄」では、
「南無日蓮聖人と唱えんとすとも、南無と計りにてや有らん、不便なり」
「日蓮当世には日本第一の大人なり」と。

「下山抄」に於いては、
「教主釈尊よりも大事なる日蓮」と。
浄土系で、阿弥陀仏よりも自分の方が凄いと言う僧侶は先ず居ないと思われる。

「佐渡抄」に於いては、
「斯かる日蓮を用うるとも悪敷く敬わば国亡ぶべし」と。

正嘉元年(1257年)の大地震や文永元年(1264年)年の大彗星、文永9年の
北条氏一門の内紛、二月騒動も、2度に亘る蒙古襲来も、日蓮在世中の様々な
天災人災の総べては、「一闇浮提第一の聖人」である日蓮を誹謗し、死罪・流罪
に処した大謗法罪に因って、日本一国一同に招き寄せた罰の現証であるという
のであるから、あな恐ろしや、である。

「産湯相承事」には、
「日蓮は天上天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり」
「三世常恒の日蓮は今此三界の主なり」(仏と同体の意味)
「日蓮は無量億劫の能報者(能化)なり」とあり、
能化(のうけ)というのは、衆生(しゅじよう)を教化する仏・菩薩を言い、
所化(しよけ)は、その仏・菩薩に依って教化を受ける者を言う。
普通の仏教徒は、能化はブッダ一人で、それ以外の人々は総べて所化だと
捉えるが、「自分は永遠の能化である」と語ったというのであるから、この
天にも昇る勢いの傲慢さ加減は、手の施しようが無い。
但し、この「産湯相承事」は、「日蓮本仏論」を宣揚する為に偽作された文書
であるように思われる。

これまた、偽書であるとの見解の多い「百六箇抄(ひゃくろっかしょう)」は、
「法華本門宗血脈相承」と言われ、「本因妙の教主本門の大師日蓮 謹んで
之を結要す万年救護写瓶の弟子日興に之を授与す云々」とある。
この中には、「天上天下唯我独尊は日蓮これなり」と記されているが、
この「天上天下唯我独尊」は、「我は世界の内で、最も優れた存在である」
「宇宙間に、我より尊い存在は無い」というのであるから、実に恐れ入る。
これは、所化サイドから仏を讃える文言であるから、自分で言うな!と
突っ込みたくなる訳である。


教祖に誇大に祀り上げ、宗教的権威を更に加上させるべく、信者が教祖の
誕生譚を創作することは、どの宗教に於いても行なわれることであるが、
「産湯相承事」が後世の偽書でなく、日蓮自身が本当にこのように語った
としたならば、それはそれで、日蓮の自意識過剰の異常性を物語る証となる。
「産湯相承事」「百六箇抄」の相承書二書を偽作であるとして、排除したと
しても、「日蓮は一闇浮提第一の聖人なり」や「教主釈尊よりも大事なる日蓮」
「日蓮当世には日本第一の大人なり」と自ら「日蓮本仏論」を宣揚していた
かのように思われるほどに、自覚を通り越した傲慢そのものではないか。



御本仏にしては、情けないエピソードがある。
弘安4年(1281年)10月、日蓮60歳の時の「富城入道殿御返事」に、
「……鎮西には大風吹き候て浦浦島島に破損の船充満の間、乃至京都には
思円上人。又云く、理豈然らんや等云云。此の事別して此の一門の大事なり。
総じて日本国の凶事なり。仍つて病を忍んで一端是れを申し候はん。
『是偏に日蓮を失わんとして無かろう事を造り出さん事兼ねて知れり』……」
とある。
2度目の元寇の際、蒙古軍が全滅し、退けることが出来たとの便りを弟子から
受けたのだが、その知らせに対して、「そんなはずがない。そのニセ情報は、
この日蓮を陥れる為のデマである」と返書しているのである。
再度蒙古軍が攻めて来たら、必ずや日本は敗れ、この国全体が壱岐・対馬の
ようにな悲惨な状態になるとの予言をしていた日蓮だけに、そんな風に事実を
否定してまで我を張ったのであろうが、現代の日蓮系在家カルト教団も全く
同様の独善的な発想をする思考回路である。



日蓮の弟子、日興の法灯を継ぐ富士門流の大石寺から破門された創価学会の
名誉会長池田大作氏は、平成19年(2007年)4月12日、訪日した中国の
温家宝首相と会談した際、冒頭で自らを「庶民の王者」と言い放った映像が
マスコミ報道でテレビ放送されたものだ。

しかし、彼の「庶民の王者」というのは、まだまだ控え目な方である。
昭和40年(1965年)、富士門流に連なる信徒団体である一法華講の講頭として、
教団内部の権力を掌握したに過ぎなかった37歳の彼は、高瀬広居氏に依る
インタビューに応え、
「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化
 一切の指導者・最高権力者である」と言い放っている。
その他にも、まだまだ究極の驕り高ぶりのセリフは続く。
「私は現代の救世主である」
「私は太陽の帝王だ」
「世界の盟主である」
「釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である」
「私には日本の中に語り合える人はいない。
 世界的に著名な人のみを相手にする」
「私にはもう叶う人は世界にもいない。私は宇宙と語る」
と、淵源の祖師である日蓮譲りの増上慢振りを遺憾なく発揮している。

「池田大作」氏の名相からは、筆勢主義の算定では総運に、「日蓮」と同じ
「傲慢」の象意を持つ数霊21が読み取れる。
私の正字主義では、「虚飾に憧れる」が象意の一つである数霊22が読み取れる。
仏様であろうが、「庶民の王者」であろうが、姓名数理、数霊(かずたま)の
神秘の世界を免れないのである。



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2011/11/26 11:39 | 日本仏教批判COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

虚妄の仏教⑧ …馬鹿馬鹿しい法華三十番神説

虚妄の仏教⑧

…馬鹿馬鹿しい法華三十番神説


日蓮宗には、日本の神々が法華経とその信者を守護するという
「法華神道(ほっけしんとう)」の信仰がある。
「法華経」の「安楽行品第14」に、「諸天昼夜。常為法故。而衛護之。
(諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護す)」とあることから、
法華経の信者には常に諸天善神のご加護があるというのだ。

何故に日本の神々が、紀元1世紀頃にインドで創作された空想小説、
中国に伝播後、翻訳、加筆、編集を経た、釈尊に仮託した思想文学
を卑屈にも守護せねばならないのか、という馬鹿馬鹿しい話であるが。


法華三十番神説と言って、日本の神々30柱が、1ヶ月30日の間、
日替わりで「法華経」を守護するという輪番制の考え方がある。
(太陰太陽暦では、月の日数は29日か30日である)
日蓮宗系の寺院に、「番神堂」「番神宮」という名のお堂が有るのは、
その「法華守護三十番神」を祀る神仏習合の名残である。


そもそもの発端は、最澄(伝教大師)が比叡山に祀ったのが最初の
ようで、仏教の天台宗と神道が融合した「仏本神従」の神道である
「山王神道」=「天台神道」にある。
日蓮宗の「法華守護三十番神」だけでなく、「天地擁護の三十番神」
「王城守護の三十番神」「吾国守護の三十番神」などもあった。
日蓮宗の「法華神道」は「天台神道」の亜流ということになる。

この天台宗の「三十番神思想」を日蓮宗が受容して、「法華神道」を
成立させた経緯は、どういうものであったろうか。
そもそも、その思想的土壌として、日蓮には「神天上思想」という
国神観があった。

「立正安国論」に「世みな正に背き人ことごとく悪に帰す。
故に善神は国を捨てて相去り、聖人所を辞して還らず、
是を以て、魔来たり、鬼来たり、災起こり、難起こる」
「法華経の法味を食して威光・勢力を増す諸天善神は、
邪宗邪義の蔓延によって法味を味わえないために天上へ去り、
逆に神社には魔神・鬼神が乱入して、国中に災いを起こし、
そこに詣でる者は鬼神に憑かれて災いを招く」とあり、
「神天上思想」、「善神捨国思想」を表明している。
このことは、裏を返せば、日蓮は文字曼荼羅に天照大御神と
八幡神を勧請するなど、神祇信仰を積極的に取り入れていた
ということになる。




「法華守護三十番神」自体の起源については、
平安時代初期、天台宗の円仁(えんにん 794-864)、
後の第3世天台座主(ざす)慈覚大師が、法華経を書写し、
三年程を要して写経し終えた経典を「根本如法経(こんぽん
にょほうきょう)」と称し、安置する小堂を根本如法堂と称した。
この堂の法華経を守護する為に、日本の主要な神々三十神を
勧請して祀り、1ヶ月30日を交替で守り番をすると定めて、
これを「三十番神」と称したのが始まりであるという。

因みに「如法経」とは「如法写経」とも言い、法式通りに経文を
清浄に書写することや、筆写した経文を言い、またそれを安置、
埋納する供養を意味する。
本来、経典は種々あるが、大抵は「法華経」を指すことが多い。


では、この天台宗の三十番神信仰を日蓮宗に取り入れたのは誰なのか
と言うと、日蓮(1222~1282)説と日像(1269~1342)説の二説ある。

日蓮勧請説にも二説あり、建長元年、日蓮が比叡山定光院で読経して
いると、法華守護の三十番神が列を成して、その姿を現したという説と、
日蓮が「吉田流卜部氏」の吉田兼益より神道を伝授され、三十番神の
守護を法華経に依って勧請したという説がある。

一方、京都で日蓮宗を布教しようとした日像が、日蓮の国神観を
基にして、布教のために比叡山延暦寺の三十番神信仰を取り入れた
という、日像勧請説の方が信憑性は高い。


室町時代に入ると、京都の日蓮教団は大いに繁栄し、法華経信仰の
流布と共に、その中心思想である三十番神説は民衆的な信仰として、
法華神道は全盛を極めたという。
室町時代には商工業と経済が発展したが、経済的に潤っていた
京都町衆の半分から3分の2もが日蓮宗の檀信徒となり、毎月
2~3ヵ寺の日蓮宗寺院が建立され、本山だけでも京都に21ヶ寺
在ったという。
天文元年(1532年)の「昔日北華録」には「京中大方題目の巷」
と記録されているほどである。



当番の神々と受け持ちの日にちには、地域や宗派に依って、幾つかの
パターンが見られるが、基本的には下記の如くであったようだ。


1日  伊勢大明神  
2日  石清水(いわしみず)八幡大明神 
3日  賀茂(かも)大明神  
4日  松尾(まつのお)大明神  
5日  大原野大明神   
6日  春日大明神  
7日  平野大明神  
8日  大比叡(おおびえ)権現    
9日  小比叡(おびえ)権現  
10日 聖真子(しょうしんじ)権現  
11日 客人(まろうど)大明神    
12日 八王子権現
13日 稲荷大明神  
14日 住吉大明神    
15日 祇園大明神   
16日 赤山(せきざん)大明神  
17日 健部(たけべ)大明神    
18日 三上大明神  
19日 兵主(ひょうず)大明神 
20日 苗鹿(のうか)大明神  
21日 吉備大明神   
22日 熱田大明神  
23日 諏訪大明神   
24日 広田大明神  
25日 気比大明神  
26日 気多大明神  
27日 鹿嶋大明神   
28日 北野天神  
29日 江文(えふみ)大明神  
30日 貴船大明神

三十番神400

それにしても、1日は伊勢神宮の天照大御神、2日は岩清水八幡神…と、
その順番にさえ何の根拠も無く、良くもまぁ、これほどまでに嘘八百を
賢しらに並べ立てたものだと呆れるが、現代でも法華経の信者を日本の
神々が守るという基本的な考え方は変わっていない。
日蓮系諸教団に於ける「諸天善神」の解釈は概して、
下記のようなものである。


「諸天善神とは、梵天、帝釈、日天、月天、明星天、天照大神、
八幡大菩薩など、法華経を受持する人とその国土を守護する一切の
天、神を言う。
諸天善神と言っても、一定の実体を持つものではなく、
法華経を行ずる人を守護する種々の『働き』を言う。
この諸天善神は、それ自体の意思をもって存在しているものではない。
法華経の信者の生命力、一念の働きが社会や環境などに反映して、
それが様々な働きとして顕れて来るものだ。
あらゆる神々は総べて同心に、法華経の守護神である。
釈尊を含む一切の仏・菩薩や神々は、南無妙法蓮華経の仏、
即ち日蓮が衆生を救済するその用(はたら)きの一環としてあるので
あるから、日蓮の御意を離れたところに善神の守護はない。
一切の邪宗・邪義の教えを捨て、日蓮の仏法が世の中に唯一無二、
絶対の仏法であるとの確信をもって信心に励めば、誰しも必ず
諸天善神の加護を受けることが出来る。しかし、神社に詣でると、
そこには悪鬼が乱入しているので、仏罰が当たる」

日蓮系の信者は、どこまで自己中心的なものの捉え方をするのだと
呆れ返るばかりだが、現代日本にこう考える人々は現実に何百万人か、
何千万人か、存在するのである。


1271年、日蓮が鎌倉幕府に処刑されることとなり、竜の口の刑場へ
向かう際、若宮小路で、鶴岡八幡宮に向かい、「八幡大菩薩に最後に
申すべき事あり」と言って、馬を降り、
「八幡大菩薩は、法華経の行者であり、一分の咎も無い私が処刑
されんとしているのを黙って見ているのか。
今夜、日蓮が首を切られて、霊山浄土へ参った時には、『天照大神、
八幡大菩薩こそ、誓願を果たされなかった神でありました』と、
遠慮無く、教主釈尊へご報告申し上げる。
八幡大菩薩が心に痛みを憶えるならば、急いで計らいを実行しなさい」
と諫暁(かんぎょう)したほどであるから、日本の神々を謗法扱いする
日蓮門下の傲岸不遜は永久に変わるはずもないのだ。

「神は人の敬うによって威を増す(神は人が尊敬することに依って、
益々威光を増す」ということがある。
「神は非礼を受けず(礼儀に外れたことを願って祭っても、
神は受け入れない)」ということもあるのだ。


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2011/10/09 11:42 | 日本仏教批判COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

虚妄の仏教⑦  …省略して、お茶を濁す発想

虚妄の仏教⑦

               …省略して、お茶を濁す発想


仏教では一体、何の為に経典を読誦(どくじゅ)するのであろうか。
黙読の上、沈思黙考しても良かりそうなものと思うが。
釈尊滅後500年程も経ってから、インドで創作され、中国で漢訳、
加筆、編集された経典、その日本語に翻訳されていない経典を
我が国の仏教徒はそのまま有り難く音読で読誦している訳だ。

インドの正統バラモン教では、近代に至るまで何千年もの間、
その経典を口誦(こうしょう)に依って伝えて来たように、
原始仏教経典に限らず、経典の口誦伝承はインドの伝統的な風習
であったという。
仏教を受容した中国に於いても、インドでの経典読誦をごく自然に
仏道修行の一環として模倣し、日本は口誦の必然性の理論的根拠など
構築することもなく、読経という行為をただ単にそのまま猿真似した
に過ぎないのだろう。


転読B400


「転読」「転経」という「経典の読み方」がある。
「転読」「転経」という言葉は単に「声を転じて、経呪を読むこと」
という意味で、「読経」と同義語としても用いられるが、私が話題に
する「転読」は「経典の飛ばし読み」を意味する。

「転読」というのは、大部の経典を読誦する際、字句を一々読まずに、
経本の初・中・終の数行のみを読んで、後は経本のページを手繰って、
パラパラと翻転させることで、全巻を読誦したことに代えるという
略読方法である。

主に各種般若部経典の全集で600巻の大部の経典「大般若波羅密多経」
を、法会で読誦する際に行なわれる。
600巻もの膨大な経典を全部読誦することは時間的にも困難である
ということから、大勢の僧侶が寄り合い、経本をパラパラと捲って、
風を通すことで読んだことにするのである。
これは巻物形態の経巻ではなく、折本の経典=経本でなければ、
出来ない所作ではある。


転読A400


仏教寺院には、経典を収納する経蔵があるが、「輪蔵(りんぞう)」
「転輪蔵(てんりんぞう)」という建築様式のものがある。
経蔵全体が回転するように、中央に中心軸の柱が施されている
もので、要するに回転式の書架である。
八葉蓮華を象っているのか、八面の書架を持つ八角錐の形式が
多いようだ。

この経蔵を一回転させると、それだけでそこにある経典を総べて
読誦したのと同じご利益、功徳があると言われていて、押しながら
一周するか、その場に立って、拝みながら回すという拝み方が、
如何にも省略好きの仏教らしくて、愉快なのだ。
どう考えても、それはないだろうと思うのだが。
お百度参りまでする神徒の私としては、誠の尽くし方が随分と
違うものだと訝しく思うのだ。
所詮は、外来宗教に過ぎないということか。


転輪蔵400


「題目(だいもく)」と聞くと先ずはどうしても、日蓮宗で唱える
ところの「お題目」「妙法蓮華経」の5字「南無妙法蓮華経」の
7字を連想してしまうが、本来は、書物や文学作品などの「表題」
「題名」「タイトル」を意味するものだ。
「源氏物語」も「ノルウェーの森」も「題目」という訳だ。

仏教では、経典の題号を言う訳であるから、何も「法華経」に限らず、
「般若心経」も「阿弥陀経」も「華厳経」も「題目」なのだ。
ただ、日蓮が法華経の題目を口唱することが、末代鈍根の者に
相応しい修行であると説いて、それが広まったという歴史的経緯が
あることから、「題目」が主に「法華経の題目」を意味するように
なっただけのことである。

「法華経」というのは略称で、正しくは「妙法蓮華経」という。
鳩摩羅什(クマーラジーヴァ)が「サッダルマ・プンダリーカ・
スートラ(正しい教えである白い蓮の花)」
sad=「正しい」、dharma=「教え」「真理」、puNDariika
=「清浄な白蓮華・因果倶時」、suutra=「仏の説いた経典」
を「妙法蓮華経」と翻訳したことから、日本人も「妙法蓮華経」と
呼んでいる。

ところで、この「法華経」の文字数は69384字であるという。
この69384字ある経典のタイトル「妙法蓮華経」の5字だけを
唱えることで、全部読んだのも同様とする日蓮系諸教団の
「お題目」自体が、省略の発想から生まれているのだ。
「源氏物語を読んだ」「源氏物語を読んだ」と口唱していれば、
「源氏物語」全部読み切ったことに成るという考え方である。

そもそも、「法華経」という3文字の名詞が一般的であるが、
それさえも「妙法蓮華経」5字の略称であるというのだから、
仏教徒はどこまで簡略化するのが好きなのだ。


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2011/10/09 11:37 | 日本仏教批判COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP