スポンサーサイト

 --------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)
タグ :

関東大震災時の朝鮮人大虐殺とやらのこと。…調子に乗って、大法螺を吹くな!

 2017-09-02
関東大震災時の朝鮮人大虐殺とやらのこと。

…調子に乗って、大法螺を吹くな!



大正12年(1923年)9月1日11時58分32秒、神奈川県相模湾北西沖80km
を震源として、最大震度7、マグニチュード7.9の大正関東地震が発生し、
東京府、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、静岡県、山梨県の1府6県に
及ぶ広域に甚大な被害を及ぼした。
この関東大震災で東京、神奈川の京浜地帯は壊滅的な打撃を受けた。

この関東大震災の混乱の中で、「朝鮮人が襲撃して来る」などの情報が
日本人避難住民の間に流れ、自警団を組織した日本人が、罪の無い
朝鮮人の大量虐殺を行ったということになっている。

反日左翼の日教組では、教育研究の会合で、「関東大震災時の朝鮮人虐殺に就いて、
その犠牲者数を6,600人とする授業を行う」という指導方針の周知徹底を図っている。
小学校の教科書では、「罪のない数千人の朝鮮人が殺される事件が起きました」、
中学校教科書では「7,000人」、高校教科書では「6,000人以上」「6,700人」もの
罪の無い朝鮮人が虐殺された等と記述されている有様である。


日教組チョン偏向


しかし、当時の新聞記事に依れば、朝鮮人の暴徒が日本陸軍を襲撃したケースや
婦女暴行、爆弾テロを起こす等、「何の罪も無い朝鮮人」云々等と、悠長なことを
言ってはいられない危機的状況であったことが推察される。

当時の日本政府の発表からすると、殺害された朝鮮人は233人となっている。
中には過剰防衛に相当するようなケースもあったに相違無いが、自警団が
混乱状況の中で、家族や住民を守る為に、襲い来る朝鮮人を殺害したのであれば、
それは止むを得ない正当防衛戦であったと言える。

それにしても、「6,000人」だの、「7,000人」だのという犠牲者数には根拠が無い。
何故ならば、日本政府が掌握していた朝鮮人の人口からして、関東大震災時、
被災地域の居住者は約9,800人で、震災後の9月17日の時点で、警察や軍に依って、
保護、収容された朝鮮人は6,797人という調査結果が残されており、その人数からして、
「朝鮮人を6,000人虐殺した」の、「7,000人虐殺した」のという大量殺害説には数理的に
無理があることに依る。


チョン記事13


チョン記事14


チョン記事15


鮮人1


チョン記事35


チョン記事29


チョン記事30


チョン記事32


チョン記事17


チョン記事18


チョン記事23


チョン記事27


チョン記事7


チョン記事6


チョン記事4


チョン記事3


チョン記事33




スポンサーサイト
タグ :

対米英開戦の詔勅…米国及び英国に対する宣戦の詔書

 2017-08-19
対米英開戦の詔勅

…米国及び英国に対する宣戦の詔書



第119記事1


第119記事5慶応義塾福澤研究センター様依り
※画像は、慶応義塾福澤研究センター様のサイト依り、拝借。


天佑(てんゆう)を保有し、万世一系の皇祚(こうそ)を践(ふ)める
大日本帝国天皇は昭(あきらか)に忠誠勇武なる汝(なんじ)有衆(ゆうしゅう)に示す。

※天祐:天の助け。
※皇祚(こうそ)を践(ふ)む:皇位を継承する。
※昭(あきらか)に:はっきりと。
※有衆:国民(天皇から臣民に語り掛ける語)


朕(ちん)茲(ここ)に、米国及び英国に対して、戦(たたかい)を宣す。


朕(ちん)が陸海将兵は、全力を奮(ふるっ)て、交戦に従事し、
朕(ちん)が百僚有司は励精(れいせい)、職務を奉行(ほうこう)し、
朕(ちん)が衆庶(しゅうしょ)は各々、其の本分を尽し、
億兆一心(いっしん)、国家の総力を挙げて、征戦の目的を達成するに
遺算(いさん)なからんことを期せよ。

※百僚:多くの官吏。百官。
※有司:役人。
※励精:精を出して励むこと。また、その様。精励。
※奉行する:命令を奉じて、物事を執り行うこと。
※衆庶:諸々の人々。一般の人々。庶民。
※遺算:手落ち。計算違い。見込み違い。


抑々(そもそも)、東亜の安定を確保し、以(もっ)て、世界の平和に寄与するは、
丕顕(ひけん)なる皇祖考(こうそこう)、丕承(ひしょう)なる皇考の
作述(さくじゅつ)せる遠猷(えんゆう)にして、朕(ちん)が拳々(けんけん)
措(お)かざる所。

※丕顕(ひけん):大いに明らかなこと。(「丕」は「大)の意)
※皇祖考:天皇の亡祖父。(此処では明治天皇)
※丕承(ひしょう):大いに受け継ぐこと。
※皇考:天皇の亡父。(此処では大正天皇)
※作述する:先人の言説を伝え述べることと、自分で新しく説を為すこと。
  先人の業績を受け継いだり、新たに創作したりすること。
※遠猷(えんゆう):遠い将来まで考えた図り事。遠謀。
※拳々(けんけん):両手で恭しく捧げ持つこと。
※拳々措(お)かざる:常に心に持ち続けるの意。


而(しこう)して、列国との交誼(こうぎ)を篤(あつ)くし、万邦共栄の
楽(たのしみ)を偕(とも)にするは、之亦(これまた)帝国が常に国交の
要義と為す所なり。


※而して:そうして。そこで。そうであるから。
※交誼:親しい交わり。


今や不幸にして、米英両国と釁端(きんたん)を開くに至る。
洵(まこと)に已むを得ざるものあり。
豈(あに)朕(ちん)が志ならんや。

※釁端(きんたん):不和の始まり。
※釁端を開く:紛争を招く。
※豈(あに):(打ち消しの表現を伴って)決して。
 (反語表現で)どうして…であろうか。


中華民国政府、曩(さき)に帝国の真意を解せず、濫(みだり)に事を構えて、
東亜の平和を攪乱し、遂(つい)に帝国をして、干戈(かんか)を執るに至らしめ、
茲(ここ)に四年有余を経たり。

※曩(さき)に:先に。以前に。
※干戈(かんか):干(たて)と戈(ほこ)の意。武器。武力。戦争。


幸(さいわい)に国民政府更新するあり。
帝国は之と善隣の誼(よしみ)を結び、相(あい)提携するに至れるも、
重慶に残存する政権は、米英の庇蔭(ひいん)を恃(たの)みて、
兄弟(けいてい)尚(なお)未(いま)だ、牆(かき)に相鬩(あいせめ)くを
悛(あらた)めず。

※庇蔭(ひいん):ひさしの陰。庇(かば)うこと。また、お蔭を被ること。
※牆(かき)に相鬩(あいせめ)く:仲間同士が内輪で争う。
※悛(あらた)める:過ちを止めて、心を正すこと。


米英両国は、残存政権を支援して、東亜の禍乱(からん)を助長し、
平和の美名に匿(かく)れて、東洋制覇の非望を逞(たくまし)うせんとす。


剰(あまつさ)え、与国を誘(いざな)い、帝国の周辺に於いて、
武備を増強して、我に挑戦し、更に帝国の平和的通商に有(あ)らゆる妨害を与え、
遂に経済断交を敢(あえ)てし、帝国の生存に重大なる脅威を加う。

※剰(あまつさ)え:そればかりか。その上に。
※与国:助け合う関係にある国。同盟国。


朕(ちん)は政府をして、事態を平和の裡(うち)に回復せしめんとし、
隠忍久しきに弥(わた)りたるも、彼は毫(ごう)も交譲(こうじょう)の
精神なく、徒(いたずら)に時局の解決を遷延(せんえん)せしめて、
此の間(かん)、却(かえ)って益々、経済上軍事上の脅威を増大し、
以(もっ)て、我を屈従せしめんとす。

※毫(ごう)も:少しも。些かも。(後に打消しの語を伴い)
※交譲(こうじょう):互いに譲り合うこと。互譲。
※徒(いたずら)に:無駄に。虚しく。
※時局:国家・社会の、その時の情勢。世の中の成り行き。


斯(かく)の如くにして推移せんか、東亜安定に関する帝国積年の努力は
悉(ことごと)く水泡に帰し、帝国の存立、亦(また)正(まさ)に
危殆(きたい)に瀕(ひん)せり。

※推移せんか:推移したならば。
※危殆に瀕する:非常に危ない状態になる。大きな危機に曝される。


事(こと)既(すで)に此に至る。
帝国は今や、自存自衛の為、蹶然(けつぜん)起(た)って、
一切の障礙(しょうがい)を破砕(はさい)するの外(ほか)無きなり。

※蹶然(けつぜん):勢い良く立ち上がる様。勢い良く行動を起こす様。


皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)の神霊、上(かみ)に在り。

※皇祖皇宗:天皇の始祖たる神武天皇と当代に至る迄の歴代の天皇。


朕(ちん)は、汝(なんじ)有衆(ゆうしゅう)の忠誠勇武に信倚(しんい)し、
祖宗(そそう)の遺業を恢弘(かいこう)し、速(すみやか)に禍根を
芟除(さんじょ)して、東亜永遠の平和を確立し、以(もっ)て、
帝国の光栄を保全せんことを期す。
(文責在詠山史純)

※信倚(しんい)する:信じ頼ること。信頼すること。
※祖宗(そそう):「皇祖皇宗」の略称。
※恢弘(かいこう):事業等を大きく押し広めること。
※芟除(さんじょ):刈り除くこと。良くないものを取り除くこと。


御名御璽

昭和十六年十二月八日

内閣総理大臣兼内務大臣兼陸軍大臣 東条英機
文部大臣 橋田邦彦
国務大臣 鈴木貞一
農林大臣兼拓務大臣 井野碩哉
厚生大臣 小泉親彦
司法大臣 岩村通世
海軍大臣 嶋田繁太郎
外務大臣 東郷茂徳
逓信大臣 寺島 健
大蔵大臣 賀屋興宣
商工大臣 岸 信介
鉄道大臣 八田嘉明


第119記事2
「米国及び英国に対し宣戦」昭和16年12月8日「官報号外」




東京日日


大阪毎日


朝日夕刊2





タグ :

終戦の詔勅…大東亜戦争終結ニ関スル詔書

 2017-08-16
終戦の詔勅

…大東亜戦争終結ニ関スル詔書



朕(ちん)深く世界の大勢と、帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以って、
時局を収拾せんと欲し、
茲(ここ)に忠良なる爾(なんじ)臣民(しんみん)に告ぐ。


朕(ちん)は帝国政府をして、米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する旨
通告せしめたり。

※蘇国:ソ連のこと。


抑々(そもそも)帝国臣民の康寧(こうねい)を図り、万邦共栄の楽を
偕(とも)にするは、皇祖皇宗の遺範にして、朕(ちん)の拳々(けんけん)
措かざる所、曩(さき)に米英二国に宣戦せる所以(ゆえん)も
亦(また)実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出て、
他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、固(もと)より朕(ちん)が志にあらず。

※康寧(こうねい):平穏無事であること。安寧。
※皇祖皇宗:天皇の始祖たる神武天皇と当代に至る迄の歴代の天皇。
※遺範:先人から遺された手本。
※拳々:両手で恭しく捧げ持つこと。
※曩(さき)に:先に。以前に。
※所以(ゆえん):訳。理由。
※庶幾(しょき)する:切に願い望むこと。


然るに、交戦已に四歳を閲し、朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、
朕が一億衆庶の奉公、各々最善を尽せるに拘らず、戦局必ずしも好転せず、
世界の大勢、亦(また)我に利あらず。

※閲する:経過すること。
※百僚:多くの官吏。百官。
※有司:役人
※励精:精を出して励むこと。また、その様。精励。

加之(しかのみならず)、敵は新たに残虐なる爆弾を使用して、頻(しきり)に
無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。

※加之(しかのみならず):そればかりでなく。それに加えて。
※無辜(むこ):罪の無いこと。また、その人。


而(しか)も尚、交戦を継続せむか、終(つい)に我が民族の滅亡を
招来するのみならず、延(ひ)いて人類の文明をも破却すべし。

斯の如くんば、朕(ちん)何を以ってか、億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せむや。

是れ、朕が帝国政府をして、共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。

朕は帝国と共に終始、東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を
表せざるを得ず。

帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉じ、非命に斃れたる者、及(および)
其の遺族に想を致せば、五内(ごだい)為に裂く。

※五内(ごだい):五臓の意。
※五内為に裂く:これが為に、全身が裂かれる様に痛む。
これが為に、これ以上辛いことは無い。


且(かつ)、戦傷を負い、災禍を蒙(こうむ)り、家業を失いたる者の厚生に
至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり。

※軫念(しんねん)する:天子が心を痛め,心配すること。


惟(おも)うに今後、帝国の受くべき苦難は固(もと)より、尋常にあらず。

爾(なんじ)臣民の衷情も、朕(ちん)善く之を知る。

※衷情:嘘偽りの無い心。真心。衷心。誠意。


然れども、朕(ちん)は時運の趨(おもむ)く所、堪え難きを堪え、
忍び難きを忍び、以って、万世の為に太平を開かんと欲す。

朕は茲(ここ)に国体を護持し得て、忠良なる爾(なんじ)臣民の赤誠に
信倚(しんい)し、常に爾(なんじ)臣民と共に在り。

※赤誠:少しも嘘偽りの無い心。ひたすら真心を以って、接する心。
※信倚(しんい)する:信じ頼ること。信頼すること。


若し夫れ、情の激する所、濫(みだり)に事端を滋(しげ)くし、
或いは、同胞排擠(はいせい)互に時局を乱り、為に大道を誤り、
信義を世界に失うが如きは、朕(ちん)最も之を戒む。

※事端:事件の糸口。事の起こり。事の端緒。
※事端を滋(しげ)くする:事件を沢山引き起こすこと。
※排擠(はいせい):人を押し退けたり,陥れたりすること。排斥。


宜しく挙国一家子孫相伝え、確けく神州の不滅を信じ、任重くして、道遠きを
念(おも)い、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし、志操を鞏(かた)くし、
誓って、国体の精華を発揚し、世界の進運に後(おく)れざらんことを期すべし。

爾(なんじ)臣民(しんみん)、其(こ)れ克(よ)く、朕(ちん)が意を体せよ。
(文責在詠山史純)

御名御璽

昭和二十年八月十四日

内閣総理大臣 男爵 鈴木貫太郎
海軍大臣 米内光政
司法大臣 松阪広政
陸軍大臣 阿南惟幾
軍需大臣 豊田貞次郎
厚生大臣 岡田忠彦
国務大臣 桜井兵五郎
国務大臣 左近司政三
国務大臣 下村宏
大蔵大臣 広瀬豊作
文部大臣 太田耕造
農商大臣 石黒忠篤
内務大臣 安倍源基
外務大臣兼大東亜大臣 東郷茂徳
国務大臣 安井藤治
運輸大臣 小日山直登


終戦の詔勅1

終戦の詔勅2

終戦の詔勅3

終戦の詔勅4
国立公文書館所蔵


終戦に関するテレビ番組等では、玉音放送の「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」の
一部分が象徴的に用いられ、恰も昭和天皇が国民に対し、「堪え難きを堪え、
忍び難きを忍べ」とご命令為さった如くに解釈させたいが為であろうが、
恣意的に編集されることが常態化している。
しかし、「然れども、朕は時運の趨く所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、
以って、万世の為に太平を開かんと欲す」とある如く、この「堪え難きを堪え、
忍び難きを忍び」の主語は、昭和天皇御自身であり、「(朕は)堪え難きを堪え、
忍び難きを忍んで、これからもずっと続いて行く将来の為に、太平を築いて
行きたい(文責在詠山史純)」と仰ったのである。

※張横渠の立言「天地の為に心を立つ。生民の為に命を立つ。
往聖の為に絶学を継ぐ。『万世の為に太平を開く』」


敗戦の哀しみ
玉音放送を拝聴し、敗戦の哀しみに涙を流す、海軍軍需工場に勤労動員された
女子挺身隊の可憐な女学生


昭和20年12月15日、占領軍の連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、
日本政府に対し、神道指令を発し、「大東亜戦争」という呼称の使用を禁止した。

「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」
(昭和二十年十二月十五日
連合国軍最高司令官総司令部参謀副官発第三号《民間情報教育部》
終戦連絡中央事務局経由日本政府ニ対スル覚書)
「公文書ニ於テ『大東亜戦争』、『八紘一宇』ナル用語乃至ソノ他ノ用語ニシテ
日本語トシテソノ意味ノ連想ガ国家神道、軍国主義、過激ナル国家主義ト
切り離シ得ザルモノハ之ヲ使用スルコトヲ禁止スル、而シテカカル用語ノ
却刻停止ヲ命令スル」

そして、日本人は「大東亜戦争」とは歴史観も価値観も全く異なる、
「太平洋戦争」という呼称を強要されたのである。
「大東亜戦争」という呼称は、昭和16年(1941年)12月12日、東條内閣が、
支那事変も含めた上で、閣議決定したものである。
我が国は「大東亜戦争」を戦ったのであって、「太平洋戦争」を戦ったのではない。





タグ :

ロッキードP-38とチャールズ・リンドバーグ①…プロローグ

 2017-08-11
ロッキードP-38とチャールズ・リンドバーグ①

…プロローグ


大東亜戦争で日本軍と戦った、アメリカ陸軍航空軍第475戦闘航空群のロッキード
P-38ライトニング(Lockheed P-38 Lightning)パイロットの中には、太平洋戦線に
於ける最大の功労者は、チャールズ・A・リンドバーグ(Charles Augustus
Lindbergh)であったと極論する者が居た。
「幕末の三舟」と称された一人、勝海舟が赤坂氷川に隠居した晩年、坂本龍馬を
評し、「薩長連合、大政奉還、あれはみんな龍馬一人でやったことさ」と述べたのに似て、
極端に大袈裟な物言いであるが、C・リンドバーグがP-38ライトニングの
性能(航続距離)向上に多大な貢献を果たしたことは確かである。

昭和2年(1927年)、「スピリットオブセントルイス号」を駆って、5,810kmの
飛行距離を33時間29分30秒で飛び、初めて大西洋単独無着陸飛行を成功させた
C・リンドバーグは、その燃費効率向上術で航続距離を増大させ、P-38ライトニングの
行動半径を400マイル(約640km)から600マイル(約960km)にまで拡げ、
6~7時間であった作戦飛行時間を10時間以上にまで伸ばしたと評価されている。
(左右内翼に懸吊する増槽《補助燃料タンク》の種類に依り、事情は異なるが)
空戦の最前線に於いて、機体を改造することなく、燃費効率の良い操縦技術を
駆使し、メーカーのロッキード社でさえ認識していなかったその性能を最大限に
引き出した事例は、極めて稀なことであったに違いない。


C・リンドバーグはヨーロッパ戦線へのアメリカの参戦に反対したことから、
フランクリン・ルーズベルト大統領に依って軍籍を剥奪され、当時は一民間人に
過ぎなかったが、P-38に搭乗して、約50回の飛行を行った。
偵察飛行に同行した際に遭遇した日本軍機(陸軍九九式襲撃機or九九式軍偵察機)を
対進戦闘で撃墜までしている。
九九式襲撃機は複座であったから、C・リンドバーグは軍籍になかったにも拘わらず、
日本人を二人殺していることになる。
真に残念ながら、当該機の固定武装が、翼内2挺の7.7 mm 機関銃から、12.7 mmに
換装されていたとしても、中央胴に強力な火力を集中したP-38の敵ではなかったに
違いない。


第117記事1
レイテ湾上で作戦中の第475戦闘航空群第431戦闘飛行隊
フレデリック・チャンプリン大尉機
※画像は、米国のサイト「WORLD WAR Ⅱ TODAY」依り、拝借。


第117記事2
昭和19年(1944年)5月、ニューギニアのエミラウ島に滞在中の
チャールズ・リンドバーグ(左から二人目)
※画像は、豪州のサイト「AUSTRALIA@WAR」依り、拝借。


第117記事3
昭和19年(1944年)7月、ニューギニア島のホランジアで、
P-38J型のコックピットに搭乗するチャールズ・リンドバーグ
※画像は、豪州のサイト「AUSTRALIA@WAR」依り、拝借。




タグ :

文民統制と文官統制…シビリアンコントロールの概念を履き違えてはいまいか?

 2017-08-09
文民統制と文官統制

…シビリアンコントロールの概念を履き違えてはいまいか?




南スーダン国連平和維持活動(PKO)で派遣された陸上自衛隊施設科部隊の
所謂、日報隠蔽問題とやらの事。

本年2月8日、派遣部隊の指揮を執った統合幕僚監部(陸上幕僚監部は指揮を
執っていない)から日報データが開示されたが、その後、陸上自衛隊では廃棄済みと
発表されていた日報電子データ(統合幕僚監部が公表した日報と同じもの)が
保管されていたことが、陸上自衛隊内部からリーク(leak)された。

稲田朋美防衛大臣(当時)は本年7月28日の記者会見に於いて、大臣直轄組織である
防衛監察本部(防衛監察監は元福岡高検検事長の北村道夫氏)の南スーダン国連
平和維持活動(PKO)部隊の日報隠蔽問題に関する特別防衛監察結果を公表した。
陸上自衛隊は日報データを廃棄したと説明したが、実際には保管していたと
事実認定した上で、この日報データ保管を非公表とする方針を、稲田大臣が
事前に了承していた事実は無かったと結論付けた。
この陸上自衛隊に依る日報データ保管を非公表とする方針は、黒江哲郎事務次官が
隊員の個人的データは情報公開の対象となる行政文書には該当しないと判断し、
本年2月16日の会議で、岡部俊哉陸上幕僚長に指示したものと認定された。

倒閣運動に勤しむ反日偏向マスメディアは、この陸上自衛隊のリークに就いて、
稲田大臣と陸上自衛隊の確執に依るものとし、「陸自のクーデター」だの、
「シビリアンコントロールが利いていない」等と、頓珍漢な議論を展開した。


第116記事2
※画像は、防衛省・自衛隊のHP依り、拝借。


シビリアンコントロール(civilian control)だの、ガバナンス(governance)だの、
言語の意味や概念の把握が不充分な儘、横文字言葉を多用したがる、我が国の
風潮は好ましくない。
「文民統制」と翻訳される「シビリアンコントロール(civilian control)」は、
その最たる一例であるが、我が国ではこの「シビリアンコントロール」の意味を
履き違えてはいまいか?

「シビリアンコントロール」とは、軍事に対する政治優先を意味するもので、
文官(civil officer)が武官(military officer)を統制するという「文官統制」を
意味している訳ではない。

「シビリアンコントロール(civilian control)」とは、
「文官が武官を統制する(A civil officer controls a military officer.)」
「文官が武官を支配する(A civil officer rules over the military officer.)」
ことを意味するのではなく、
「文民政府が武官を統制する(A civilian government controls a military officer.)」
「文民政府が武官を支配する(A civilian government rules the military officer.)」
ことを意味するのである。

我が国では、この「文民統制」と「文官統制」の意味を履き違えていることから、
防衛省に於いて、背広組(内部部局部員=文官)を制服組(自衛官=武官)より
優位とする異常な体制が出来上がっているのである。
防衛省の職員は本来、全員が武官(自衛官)であるべきで、文官(事務官)は
不要である。
否、むしろ、赤軍に於ける政治局員の如き文官の存在は、緊急事態に対処する
臨機応変な軍事行動の即応性を阻害し、極めて有害である。


第116記事1
※画像は、陸上自衛隊のHP内「フォト・ギャラリー」依り、拝借。


旧軍に於いては、軍政(組織編制、予算、人事等)を司ったのは、陸軍省、
海軍省であり、軍令(作戦立案、作戦実施)を司ったのは、参謀本部(陸軍)、
軍令部(海軍)であった。

大日本帝国憲法に於いて、軍政に関しては、第12条「天皇ハ陸海軍ノ編制及
常備兵額ヲ定ム」との条文があり、軍令に関しては、第11条「天皇ハ陸海軍ヲ
統帥ス」とある。
帝国憲法の不備は、責任内閣制の記述が無かったことであるが、明治、大正年間は
存命中であった元老の影響力が多大であったことから、皇軍の統帥権独立云々の
憲法解釈が誤用されることは回避出来ていた。
統帥権とは、軍の作戦用兵を決定する最高指揮権を意味する。

大正11年(1922年)、ワシントン会議に於いて、戦艦、航空母艦の保有制限を
規定したワシントン海軍軍縮条約締結の際には起こらなかった統帥権独立の
議論であったが、昭和5年(1930年)、立憲民政党の浜口雄幸内閣が、補助艦
保有量の制限を規定した、ロンドン海軍軍縮条約に調印したことに対し、犬養毅や
鳩山一郎の立憲政友会が皇軍の統帥権を政争の具に担ぎ出し、「海軍軍令部の
承認無くして、兵力量を決定することは天皇の統帥権を犯すもの」として、
浜口内閣を攻撃した。
浜口雄幸首相は議会に於いて、「一応、天皇が最終的な権限を持っているが、
実際上は責任内閣制度であるから、内閣が軍縮条約を結んでも構わない。
これを統帥権干犯と言うならば、外交を外務大臣がやるのは外交権干犯に
なるのか?(趣意)」と正当な答弁を為されたが、後日、暗殺されるに至る。
これが所謂、統帥権干犯問題であるが、この後、統帥権の独立を錦の御旗に
暴走する軍部を議会が制御出来なかったのは、当に堕落した政党人の自業自得で
あったと言える。
斯様な経緯から、帝国憲法下で確立していた、国家公認の憲法学説でもあった、
「統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣を初めとする
他の機関からの輔弼を得ながら、統治権を行使する」との天皇機関説が
排除されるに至る。


第116記事3


陸上自衛隊の「陸上幕僚監部」は、旧陸軍に於ける「参謀本部」に相当し、
海上自衛隊の「海上幕僚監部」は、旧海軍に於ける「軍令部」に相当する。
航空幕僚監部を含めた三隊(三軍)の統幕監部は、防衛大臣の幕僚機関として、
防衛省内に置かれ、軍政及び軍令は一元化されている。
自衛隊は、内閣総理大臣を最高司令官とし、防衛大臣、防衛副大臣のラインで、
指揮、命令系統が確立しているのであるから、文民統制は機能している。
従がって、防衛省内に於ける、軍事の専門家たる武官(制服組)に対する、
軍事の素人たる文官(背広組)に依る統制は不要であるどころか、実戦に於ける
弊害でしかない。

我が国は、武家政権の長い歴史を持つ。
江戸時代には「役方」と称する武士が「文官」の役割を果たし、「番方」と
称する武士が「武官」の役割を果たしていた。
同様に、防衛省の職員は、全員が武官(自衛官)であるべきである。


第116記事4
※画像は、防衛省・自衛隊のHP依り、拝借。


南スーダン国連平和維持活動(PKO)で派遣された陸上自衛隊施設科部隊の
所謂、日報隠蔽問題で陸上自衛隊内部から情報がリークされたことを、大袈裟に
反乱であるとか、シビリアンコントロールが利いていないとか、馬鹿馬鹿しい
議論が為されたが、行政機関からの情報のリークは、政府に反抗する官僚の
常套手段であり、何も防衛省に限ったことではない。
官僚に依る情報のリーク等は、内閣府出向の文部科学省高等教育局専門教育課
課長補佐である、前事務次官のお手付き女でも、さらりと遣って退け、処分も
為されない、その程度のことに過ぎないのである。

自衛隊に対し、シビリアンコントロールが利いていないと言えるケースとは、
例えば、内閣総理大臣に依る攻撃命令の無い段階で、尖閣諸島沖で領海侵入した
中国公船を海上自衛隊が勝手に撃沈し捲ったとか、韓国に不法占拠されている
竹島を航空自衛隊が空爆し、海上自衛隊が艦砲射撃し、陸上自衛隊が敵前上陸し、
奪還したという様な場合である。



タグ :
≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫ 次ページへ ≫
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。